見出し画像

AGNUS DEI 神の子羊のポワン・ティレ

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


祭壇布

ー 色糸のポワン・ティレ

 ポワン・ティレ( point tiré )はフランス語でドロンワーク( drawn work )を意味して、布地の経糸緯糸を引きながらステッチをかけたり糸をかがったりして模様を描く技法です。

 16世紀初期にイタリアで発展した技法とされ、イタリアではプント・ティラート( punto tirato )と呼ばれました。

 16世紀から17世紀にかけて亜麻布の周囲を色糸でポワン・ティレの技法によって装飾した作品が多く製作されました。これは教会の祭壇を飾るために作られたもので、信者によって信仰の証としての布施として教会に寄進されたのです。

 この時代の祭壇布の多くは亜麻布の無地部分の劣化が原因で、現在ではポワン・ティレの箇所のみ切り取った形で各所の美術館などに伝わりコレクションとしてほ保存されています。

 私のコレクションのなかに、この祭壇布のオリジナルの形をとどめた珍しいものがあります。

 柘榴色の絹糸でポワン・ティレがほどこされた祭壇布は無地部分にシミや修復の痕が見られますが、400年の年月を経て良い状態を保っています

薄手の亜麻布の周囲を柘榴色のポワン・ティレで飾られた祭壇布
( 17世紀初期 )
一見すると刺繍のように見えますが、モチーフの背景はドロンワークによる透かし模様になっています

ー 生命の泉と天使

 教会への寄進物であるこの作品ではヨハネによる福音書に記述されているイエス・キリストを表す《 神の子羊 》が中心に据えられ、カトリック教会における伝統的な図像表現であるキリスト教の旗を持つ姿に描かれています。

 その子羊を礼拝する天使の描写、鳥や動物達が集うエデンの園にあるといわれる生命の泉は有名なファン・エイク兄弟により描かれた『 ヘントの祭壇画 』にも見られます。

ファン・エイク兄弟作の『 ヘントの祭壇画 』
( 1430年 - 1432年 )

 裕福な商人でヘントを代表する名家の出身だったヨドクス・フィエトは、お同じく裕福な名家出身のエリザベト・ボルルートと結婚しました。子供に恵まれなかったこの夫妻は教会に多額の寄付をして前代未聞ともいえる大規模な祭壇画の制作をフーベルト・ファン・エイクに依頼しました。

 製作途中にフーベルトは亡くなり、後を弟のヤン・ファン・エイクが引き継いだといわれています。

祭壇画は内装下段の絵画により別名『 神秘の子羊の礼拝 』とも呼ばれています

 この祭壇画は、内装下部には緑に覆われた牧草地の中央に祭壇に捧げられた生贄の子羊が配されて、前景には生命の泉である噴水が描かれています。

 子羊の周囲を14名の天使が円形に取り囲んでいて、子羊の胸の傷口からあふれた血が金の杯に流れ込んでいます。祭壇の前飾りの上部には、『 ヨハネによる福音書 』からの「 見よ、世の罪を取り除く神の小羊 ( ECCE AGNUS DEI QUI TOLLIT PECCATA MUNDI ) 」という言葉が記されています。

 前景中央には生命の泉を表す噴水と、噴水の基台から流れ出す小川が描かれていてその川底には宝石がきらめいています。噴水の基台には「 これは生命の泉、神の玉座と神の子羊を源とする ( HIC EST FONS AQUE VITE PROCENDENS DE SEDE DEI + AGNI ) 」と書かれていて、生命の泉が「 神の子羊の血からうまれた 」ことを象徴しています

旗をもつ神の子羊と天使、動物たちの集うエデンの園、生命の泉が描かれたデザイン

 『 ヨハネの福音書 』を基にしたこれらの宗教的な題材が、柘榴色の絹糸によるドロンワークで表現され、これが教会にまつわる染織品であることを物語っているのです。

ボストン美術館

ー デンマン・ウォルドー・ロス

 アメリカのマサチューセッツ州ボストンに所在するボストン美術館は合衆国内でも有数の美術館で、所蔵数は50万点を超える規模を誇っています。

 同館は8つの部門に分かれていて、そのなかに「 染織・衣装 」部門があります。メトロポリタン美術館の衣装部門ほど知名度はありませんが、コプトやビザンツ帝国時代の断片や中世のタペストリーからヨーロッパのドレス、アジア、アフリカ、中南米の染織品などの膨大なコレクションを有しています。

金銀糸の刺繍とボビンレースで装飾された女性用の上衣 ( イギリス 1610年 - 1615年ごろ )
ボストン美術館蔵

 このボストン美術館に私の蒐集した祭壇布と同じデザインの断片が所蔵されています。

 ボストンのものは42cmに裁断された断片で、デンマン・ウォルドー・ロスDenman Waldo Ross ( 1853年 - 1935年 )が寄贈したものです。 

 ロスは画家であり、美術品のコレクターでもありました。彼はハーバード大学で美術・デザインの教鞭を執る傍らで、世界中を旅し蒐集を重ねていきました。

 40年間でボストン美術館に1万1000点、ハーバード大学のフォッグ博物館に9000点以上の作品を寄贈しました。

ボストン美術館にロスが寄贈したポワン・クペの断片
( 17世紀初期 )

ー Punto di Milano

 デンマン・ウォルドー・ロス・コレクションには数多くの祭壇布の断片が収めら、一部を除いてその多くは柘榴色の絹糸でドロンワークされています。

 宗教的題材を基にしたデザインがある一方で、イスラム圏の染織品から影響を受けた作品も見られます。

オリエンタルな人物文様
ペルシャが起源の《 花鳥鹿花瓶文様 》
 《 生命の泉 》をモチーフにしたデザイン

 東洋美術に造詣の深かったデンマン・ロスの努力により数多くのこの種の作品がボストン美術館には集められています。

アカンサスの葉をモチーフにした中近東起源のデザイン
中東が起源の花鳥人物文様
ペルシャなどからもたらされた有翼の人物とグリフォン
葡萄のアラベスク文様
トルコなどの中東からもたらされた柘榴文のデザイン
絨毯などの舶載の染織品から影響を受けたデザイン
ラテン語でIesus Hominum Salvator《 人類の救い主イエス 》を表すI H Sの文字

 
 ボストン美術館では不思議なことに、これらの作品を全て《 プント・ディ・ミラノ 》punto di Milanoと呼んでいます。イタリア語でミラノのレースやミラノの刺繍という意味です。

 このプント・ディ・ミラノは他の博物館や美術館では見られない名称で、ボストン美術館のみで見られます。

 16世紀から17世紀にかけて製作された平織りの亜麻布に色糸でドロンワークをほどこした作品群は、おもにスペインで作られたと考えられています。

 数世紀にわたってイベリア半島ではイスラム、ビザンティン、ペルシア、ユダヤなどのさまざまな文化圏の影響を受けてきました。これにより東西の文化が融合した独自の芸術が花咲くこととなります。

 そのため、刺繍やドロンワークのデザインにイスラムをはじめとするオリエントの文様表現の影響が色濃く反映されているのです。

 手芸のなかでモチーフ自体は生地の無地部分で表現し、半返し縫いで輪郭線を描き、背景を刺繍で表現した作品をその余白を活かした特徴から《 プント・ア・レゼルヴァ 》punto a reserva、または《 プント・ア・ラ・インヴェルサ 》punto a la inversaと呼んでいます。ほかにもイタリアの地名を冠して《 プント・アッシジ 》punto Assisiとも呼ばれています。

 これらの名称で呼ばれる刺繍は背景をクロス・ステッチで埋め尽くすのが特徴で、ドロンワークではありません。

 実際、この種の作品群の背景はあまりにも緻密なドロンワークがなされているので一見するとクロス・ステッチのように見えます。しかし、よく見れば非常に緻密な透かし模様となっているのがわかります。

 現在ではこの技法はクロス・ステッチではなく、ポワン・ティレやプント・ティラートと呼ばれるドロンワークで、広義のレースの一種としています。

 その昔、鑑別の正確性が低かった時代に、このようなア・レゼルヴァ技法の刺繍作品と誤解されてミラノの名称がつけられてしまったのかもしれません。


おわり



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?