「礼儀正しさ」を妄信するな

ロッシーです。

私達は、「礼儀正しさ」というものを妄信している気がします。

ちょっと前に、『Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』(著者:クリスティーン・ポラス)という本がベストセラーになりました。

この本で言っていることを簡単にまとめると、

・無礼さは、個人・組織のパフォーマンスを押し下げる元凶の1つ

・礼儀正しさには仕事や人間関係においてメリットしかなく、その反対はデメリットだらけ

というものです。

これには私も全面的に賛成です。

「礼儀正しさ」って具体的に何?

では、具体的にこの本でいう「礼儀正しさ」とは何を指すのでしょうか?

以下、本に掲載されているチェックリストの一部を記載します。

スマートフォンの画面ばかり見て、目の前にいる人を見ない。
無礼、不躾なメールを送る。
自分と違うからといって他人を批判する。
他人と関わらず何でも自分ひとりだけで進めようとする。
他人を利用する。
誰かと共同であげた成果を自分のものにしてしまう。

いかがでしょうか?

「うん、確かにそういうことはしないほうがいいよね。」

と納得できる内容がほとんどではないでしょうか。とても実質的な内容だと私には感じられました。

日本における「礼儀正しさ」

かたや、日本社会における「礼儀正しさ」は、もっと形式的なものであり、基本的には序列がベースとなっています。

メールの宛先、押印、名刺交換、エレベーターの出入り、座席など、ありとあらゆるものに順番があり、それを守ることが要請されます。

序列がベースとなっているため、組織階層において下位になるにしたがって「礼儀正しくしなければいけない度合い」は強くなります

例えば、会社で部長が礼儀正しく振舞わなかった場合と、新人が礼儀正しく振舞わなかった場合とでは、組織におけるペナルティは当然後者のほうが厳しくなります。

「〇〇君は、酒の席でみんなの注文を率先してとっていないし、ビールを先輩社員に注いで回ることもしなかったな。あいつは使えんな。」

みたいなことは、嘘ではなくて本当にあるのです

礼儀正しさの定義が異なる

日本の礼儀正しさは、それを守ることが組織のパフォーマンス向上につながるという側面はほとんどないと思います(むしろその逆だと思います)。

どちらかというと、「それを守ることで、自分がマイナス査定を受けないようにする」という側面が強いと思います。

だから、『Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』を読んで、

「やっぱり礼儀正しさが最強なんだ!俺のやり方は正しかったんだ!」

と思うのは違うと思います。というかイタいです。

そもそも、「礼儀正しさ」の定義が異なっているのです。

礼儀を守るのはある種の思考停止

「実質的な礼儀」 vs「形式的な礼儀」

という構図で捉えるのは短絡的かもしれませんが、日本社会における「礼儀」と名の付くものは、ほとんどが後者です。

形式的に守っているかどうかが大事なわけですから、頭を使う必要はありません。頭を使わないのは楽なのです。思考停止したほうが快適なのです。

「メールで休みの連絡をしてくるなんて失礼だ」

「スーツの上着を着ていないから失礼だ」

「乾杯するときに、俺よりもグラスを下げてなかったから失礼だ」

「ハンコを俺のほうに傾けて押していないから失礼だ」

「エレベーターで役職順を守らず先に降りやがったから失礼だ」

などなど・・・サラリーマンなら、このリストはいくらでも増やせますよね。

ようするに、「礼儀正しさ」について実質的な部分を何も考える必要がないのです。相手の事情を配慮する必要もありません。

形式的に逸脱したら、即「失礼」と認定することができるのです。しかも上位者は逸脱しても「おとがめなし」というオイシイ条件付きです。

そして礼儀は増えるのみ

こういった「礼儀正しさ」は、みんなが「くだらないな」と思っていてもなくなりません。

組織における上位者は、そのような礼儀をなくしたいと思いませんし、新入社員はわざわざ波風を立てるのはいやでしょうから、おとなしく従うでしょう。

そうやって、礼儀に名を借りたどうでもよいルールがどんどん増えていくのです。そして、一度できあがってしまったルールは、増えることはあっても減ることはありません

昨今、テレワークの普及によりオンライン会議が増えていますが、おそらくオンライン会議における「くだらない」ルールもどんどん量産されていくでしょう。

悲しいですが、それが真実です。

Sad, but true.

Thank you for reading !

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