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「神様」のルビへの違和感

神様、という言葉に私は小さい頃から馴染みすぎていたように思う。

いわゆる"普通の人"が、漠然と願い事をするときの「神様」よりも遥かに

私にとって「神様」は、もっとはっきりとした存在だった。


うちはクリスチャンホームだった。
母も父もクリスチャンで、毎週日曜日は教会で礼拝。食事の前にはお祈りをする。寝る前もお祈りをする。

お祈りの始めには必ず「神様」と呼びかける。

神様、この食事に感謝いたします。
神様、今日を無事終えられることに感謝いたします。
神様、世界が平和になりますように。


私にとっての「神様」はキリスト教の神様であり、それは唯一で絶対で、そして真実だった。


それも、もう遠い過去の話。

たくさんの色々なことがあり、それが真実だとは思えなくなっていった。


哲学書や宗教学をいくつか読んだ。

Sound Horizonと出会って、それからギリシャ神話に出会った。

敬虔な信者だった頃には拒絶していた、お寺や神社にも行けるようになった。

別の宗教にも触れてみた。

忌避されるようなタロットや占星術にも興味を持った。

最近は古事記も読んだ。


嗚呼、彼処は閉じていたんだ。
唯一だと思っていたその場所から離れた、私の世界は拡がっていった。


私にとっての「神様」には、本当に様々なものが含まれるようになった。

最近では、その中に自分すら含まれる。
物語(Sound Horizon「絵馬に願ひを!」)の参加者として。

そしてそれが、決して全知全能とも限らず、ただ、「人間とは違うもの」というだけかもしれないとも知った(「後宮の烏」)。

昨晩、ロック・オペラのDVDを観た。

オペラ自体は前から好きで、久しぶりに見返してみた。

観終わって、やっぱり好きだな、とは思ったが、一つだけ違和感があり続けた。


曲のタイトルに「神様」という単語が出てくる。
そしてその上には「ジーザス」とルビが振ってある。

別に、深い意味はないと思う。

神様!と叫ぶのに、「ゴッド」よりも「ジーザス」の方が叫びやすくて、語感もいい。

ロック調であることも鑑みると、「ジーザス」の方が歌いやすいんだろう。

実際、曲は本当にかっこいい。
曲担当は布袋さんだった。

でも、「神様」という単語は、あらゆるものを含みうると知った私にとっては、そこに「ジーザス」と振られているのが違和感でしかなかった。

「ジーザス」はJesus。
イエス・キリストのことである。

いや、それすら諸説あるかもしれない。
単に、救世主、という意味とする場合もあるかもしれない。

だが、「イエス」もしくは「イエズス」という名前を英語にしたものが「Jesus」であることに変わりはない。

イエス=Jesusは間違いない。

だが、イエスが神かどうかは、わからない。


いや、私がかつていたところでは、その周囲ではイエスは神だった。

三位一体という。

父である神、子であるイエス・キリスト、そして精霊。
これら三つは一つの神である、と。

イエスは人間であり、神でもあるのだと。


しかし、キリスト教の中にも、イエス=神とすることに疑問を持つ人たちもいる。

イエスは人間だと。

ユダヤ教ではもちろん、イエスはただの預言者の一人とされている。


私はそれを知った。

そして、別にキリスト教だけに拘る必要がないことも。


だから、深い意味もないはずの曲のタイトルに、なかなか消えない違和感を抱いてしまった。

こうして、書き出さずにはいられないくらいの。


その違和感と、
そこに違和感を抱いている自分への驚きと。

これからも増え続けるんだろうか。
私にとっての「神様」は。

結局、そこにどれだけ含まれていてもいいし、別にはっきりした存在じゃなくてもいいんだろう。

とにかく、何かわからないけれど大きなものに、「神様」と言いたくなる時が人間にはある。それだけでいい。

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