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言葉の奥


言葉を思ったまま届けるのって、本当に難しいと思う。大人になるにつれ、言葉の深さや、浅さを重んじるようになった。


相手を思い遣って話していても仕草や表情で意味が変わってくる事がある。こちらが深く思い悩むことも、また相手を悩ませてしまうこともある。
考えすぎだとは思うんだ。
でもこの時代、何でも言葉に残しがちであまりにも縛られている人が多いのではないか。たとえSNSの中でなくても。

顔を見ないでやりとりできる時代になったぶん、送った言葉や呟いた言葉、軽はずみに吐いた言葉の矛盾や誤解をいちいち解くことに追いつかず、そうして1日が終わる頃に深く悩んでしまう。


私の余裕を表すバーがあったら、いつもギリギリの状態をなんとか保っていた。そんな自分をどう励ませばいいのか。

言葉に重みを感じた私を、さらに言葉は追い詰めた。誰の発言も深く読み取ってしまう。夫の言葉も、子供の言葉も、友人の言葉も。

なぜだろう。
自分はこんなにも生きづらい人間だっただろうか。そう悩んだ時期に私がたどり着いたのは、自分が自分を大切にできていないという気付きだった。自分を大事にできていない、というと大層に聞こえるけれど、単純に傷つきに言っているのは自分だった、ということ。


こう思って欲しいという気持ちが、自分を苦しめていた。
そんなばかな事があってたまるか。という気持ちで少しずつ意識してみることにした。

家族に”ありがとう”と喜んで欲しいとき、自分でありがとう!と代わりに思ってみた。まるで自分の体にお礼をいうように。すると表情が和らぐ。
こういう自己啓発はまずは自己満足でOK.(笑)

そうすればその空気がまず和らぐ。
笑顔の人の周りに不機嫌な人はあまりいないものだなと気付く。家族の雰囲気が大きく変わった。ありがとうと言われるか言われないか関係なく、まずは自分が自分を労る。

仕事から帰って急ぎ足で食事の用意。子どもとのやり取りに時計を見ながら大急ぎで、、そこでちょっとストップ。たとえばこうしてみる。
私すごいなぁ!帰宅して休まず食事の用意をしながらちゃんと料理してる!(ついでに)子どもたちもお家に元気で帰って来れたね!ミッションクリアだ〜と。思うだけでもいいし、言ってみるのもなおいい。

この時のミッションとは、生きていること。ここが大事。
当たり前なことだと思うけれど、毎日今日を生きて終えられることは、誰しもが平等に当たり前ではない。どんな人間も、今生きていることは奇跡。明日朝目が覚めたら、今日も一日息をして迎えられた自分を労う。

もちろん日々色々憂鬱なことはある。

でもそれは自分が決めていることに過ぎない。今日をどう生きるか決まっていても、どんな気持ちで過ごすかは自分で決められる。


なぜ自信を持って言えるのか。

きっと私と同じように苦しんでいる人がいるとするなら、他人には労う言葉を贈れる人だと思うから。相手の長所や幸せを見つけることが上手だと思うから。

他人以上に自分という人間を一番知らないのは自分かもしれない。自分の幸せ探しが苦手で、自分の長所がわからない、そんな風に悲しむ必要はないのに、人の幸せを見つけては落ち込み、長所を見つけては自信をなくす。

誰かになっても幸せにはなれない。
まずは自分が自分を一番の励ませる人となり、労える自分になってあげよう。


効果で言えば、あんなに嫌いだった料理が楽しくできるようになった。相変らず得意ではないし、失敗することだってもちろんある。けれど作っている工程も、食べる時も、洗い物をしているときも、少し気持ちが上を向いている。すると子どもも夫も、自ずと手伝ってくれるようになった。食べるときに毎食「美味しい!」といってくれる。この気付きが増えた。

人は笑顔になって欲しい人に優しく語りかける。
優しさとは連鎖する。優しいあなたはそのままでいい。何も損なんてしない。自分を労り、自分に優しくできるようになれば、あなたの優しさに付け込む人を見極めることができる。

自分を念頭に置くと、誰が自分を愛してくれているかわかる様になる。
それが自分を大事にするということなんじゃないかな。



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