あいの鎮守の森の系譜【五十猛命さまがルーツ?】

こんにちは! 父方母方の両祖母を調べていくうちに、いろいろなことが出てきました。まだま…

あいの鎮守の森の系譜【五十猛命さまがルーツ?】

こんにちは! 父方母方の両祖母を調べていくうちに、いろいろなことが出てきました。まだまだ、発掘していきたいと思います。参拝した寺社もご紹介いたします。日本初守護神探し、よろしくお願いいたします!

最近の記事

住吉大社 開運参拝の順がある(6月19日)

以前にもご紹介いたしましたが、 住吉大社には、開運参拝順がございます。住吉大社のサイトにも書いてございますが、 わたし個人として、初めて直感的に この順がいいのでは、と思い、 周らせていただいた、開運参拝順を お伝えいたします。 その順番で、参拝を続けましたところ、 願いが叶いました。 毎年、大阪に来ていましたが、 住吉大社に参拝し始めた、きっかけと言いますのが、 主人の、ガン宣告、でした。 住吉大社は、男の神様。 なんとか、再発しないように、と、 今も続けております。

    • 阿倍王子神社 4本の御神木には名前がある(6月19日)

      主祭神 阿倍王子神 = 熊野権現(熊野三山) (伊弉諾命、伊弉冉命、速素戔嗚命) 応仁天皇 和歌山県、熊野大社(本宮、新宮、那智山)の末社 大阪の神社の中でも、一番大好きな神社です。 御神木に、名前がある、というのが、 これは、粋ですよね。 当神社に伝わる縁起絵巻 『摂州東成郡阿倍権現縁記 (せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ)』 によると、 西暦300年頃に当神社は 仁徳天皇によって創建されたとされています。 その昔、奈良の櫻井にいた 阿倍という氏族が、

      • 七夕の夜は、堀越神社と安倍晴明神社  四天王寺庚申堂(6月19日)

        四天王寺の庚申堂は諸国庚申の本寺とされ、 60日に一度、年に6度の庚申の日には、 庚申堂に参拝し息災を願う『庚申まいり』 (大阪市の無形民俗文化財)が行なわれています。 本尊は青面金剛童子で秘仏。 寺伝によれば、大宝元年(701年)正月七日庚申の日、 豪範僧都(ごうはんそうず)が 疫病に苦しむ多くの人々を救わんと 一心に天に祈ったところ、 帝釈天のお使いとして童子が出現し、 除災無病の霊験を示されたとのこと。 豊臣秀頼再建という往時の建物は 大阪大空襲によって焼失。 現在の

        • 大阪 四天王寺➂ 中心伽藍 大黒堂ほか

          境内中央に位置する雄大なお堂で、 昼夜6回にわたって 諸礼讃をするところから 六時礼讃堂の名があります。 薬師如来・四天王等を お祀りしており、 回向(供養)、納骨等を行う 当寺の中心道場でもあります。 入口には 賓頭盧尊者像や おもかる地蔵が祀られ、 独特の信仰を集めています。 ちょうど、修復工事中です 六時礼賛堂の裏手へ行きます 本尊は一体の像に 大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ “三面大黒天”です。 この姿からして 福の神トリオの仏様は、 子孫繁栄・福徳智慧・

        住吉大社 開運参拝の順がある(6月19日)

          大阪 四天王寺➁ 太子堂、亀井不動尊

          正式名称は、鯨鐘楼(げいしょうろう) 太子奥殿が後ろにあります 聖徳太子をお祀りしている お堂(天王寺のご廟)で、 正式には 「聖霊院(しょうりょういん)」 といいます。 太子信仰の中心となっています。 前殿には 十六歳像・太子二歳像・四天王が 奥殿には 太子四十九歳像  (1月22日のみ公開の秘仏)が 祀られています。 毎年2月22日の「太子二歳まいり」では お太子様の知恵にあやかるべく、 2歳前後のお子たちを連れたご家族で賑わいます。 奥殿基壇内(地下)には ご

          大阪 四天王寺➁ 太子堂、亀井不動尊

          大阪 四天王寺 ① 八宗兼学の総本山

          和歌山線 橋本駅から 近鉄吉野線 吉野口駅で乗り換え 阿部野橋駅に到着 あべのハルカスで食事をして 堀越神社、四天王寺を 徒歩で、めざしました この回は、四天王寺をご紹介します 荒陵山 (こうりょうざん、あらはかさん) 四天王寺 正式名称 荒陵山 金光四天王大護国寺 宗派 和宗 宗旨 天台宗 (宗旨とは教えの中心の宗門) 救世観音 開基 聖徳太子 西門から入ります いつも、西門から入ってしまう、わたしです なんか、この門が好きなんです 今回は、ここ

          大阪 四天王寺 ① 八宗兼学の総本山

          和歌山県 神社巡り(6月17日)⑦ 狩場明神 白黒犬 彦星牽牛

          丹生都比売神社から、 本来ならば、109号線を使えば、近くですが、 6月17日時点で、土砂崩れがあり、通行止め。 結局、大幅に大回りして行くことになりました。 和歌山県は、「木の国」と言われるほど 山続き、山合いの土地です。 山道が、いかに大事であるか。 土砂崩れがあれば、 遠回りして行くよりほかはないのです。 ですから、この先、 天変地異、つまりは、大震災、大雨洪水などが ありますと、 行きたくても行けない、 ある意味、 「黄泉の国」とも言えます。 ですから、 和歌

          和歌山県 神社巡り(6月17日)⑦ 狩場明神 白黒犬 彦星牽牛

          和歌山県 神社巡り(6月17日)⑥ 丹生都比売神社 丹生は水銀 織姫星

          和歌山インターから入りました ほんとは、ここも行きたかった~ 華岡青洲~! もう一泊すれば~良かったか どうしてか。 実は、華岡青洲、「伊良子流外科」も 関わっていたんです。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjoms/56/9/56_497/_pdf 320 年前の全身麻酔による口唇裂手術 この中に、「伊良子道牛」という医師が 1700年代初期に、麻酔を用いた、という 記述があります。 父方祖母の実家は、「伊良子」 全国

          和歌山県 神社巡り(6月17日)⑥ 丹生都比売神社 丹生は水銀 織姫星

          和歌山県 神社巡り(6月17日)➄ 竈山神社 三社参り完了!

          竈山神社 祭神 彦五瀬命(五瀬命) 和歌山市南部、竈山の地に鎮座する。 「竈山」とは 『古事記』『日本書紀』に見える地名で、 両書では 神武天皇(初代) 長兄の彦五瀬命(五瀬命)が 竈山に葬られたという。 当社は その彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、 本殿の背後には 彦五瀬命の墓と伝える 竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓) がある。 鸕鶿草葺不合尊と 海神(大綿津見神)の娘の 玉依姫との間に生まれた 長男である。 弟に 稲飯命・三毛入野命・ 神日本磐余彦尊

          和歌山県 神社巡り(6月17日)➄ 竈山神社 三社参り完了!

          和歌山県 神社巡り(6月17日)④ 伊太祁曾神社 奥宮の丹生神社

          伊太祁曾神社旧称は山東宮 式内社(名神大社)、紀伊国一宮。 旧社格は官幣中社 五十猛命ー大屋毘古神 大屋都比賣命 都麻津比賣命 日本書紀によると、 高天原を追われた 素戔嗚尊とその子五十猛神は、 共に新羅に降り立つが その地を気に入ることはなく、 船で出雲国に移動した。 そして素戔嗚尊は 高天原から持ってきていた 木の種を五十猛神に渡して 日本中にその種を蒔くように命じた。 五十猛神は妹である 大屋津姫命・都麻津姫命と共に 九州から順番に 日本中に種を蒔き始めて 国

          和歌山県 神社巡り(6月17日)④ 伊太祁曾神社 奥宮の丹生神社

          和歌山県 神社巡り(6月17日)➂ 伊太祁曾神社 切り通しからの一考

          とにかく この、ときわ山の切り通しに関して ネットには ほとんど上がっていない あまりに ごちゃごちゃしたので まとめます つまりは ●最初 日前神宮の遷座地は 伊太祁曾神社が鎮座していた ↓ 山東盆地 山東地区 亥の森に鎮座 ↓ 奈良時代、和銅6年、713年 現在地に鎮座する ●五十猛命 ●『日本書紀』で 素戔嗚尊の子とされる 五十猛神と同神とする説がある。 ●この神が 「木国」の神として出てくることは、 大国主神の神話中の この段が 「大き樹を切り伏せ」 「矢

          和歌山県 神社巡り(6月17日)➂ 伊太祁曾神社 切り通しからの一考

          和歌山県 神社巡り(6月17日)➁ 伊太祁曽神社 ときわ山古墳の切通し

          伊太祁曽神社●五十猛命 別名は大屋毘古神 その御由緒で イソタケルは誤りで イタケルだと明記している 射楯神(いたてのかみ)とも呼ばれる (禍津日神と同一神とされる) ● 大屋都比賣命 (おおやつひめのみこと) 姉神 大屋津姫命 ● 都麻津比賣命 (つまつひめのみこと) 妹神 抓津姫神、抓津姫命 爪津姫神、枛津姫神、枛津姫命などと 表記する オオヤツヒメの神名の「ヤ」とは、 家屋の事であり、 彼女が樹木を司る神であると同時に、 樹木から作られる建造物、 家屋や船などの

          和歌山県 神社巡り(6月17日)➁ 伊太祁曽神社 ときわ山古墳の切通し

          和歌山県 神社巡り(6月17日)① 日前神宮、國懸神宮

          京奈和道は 和歌山市までは、無料です 和歌山市からは 阪和道と繋がるので料金が発生します 母方祖母の実家の苗字が 宮城県名取市で発祥し 2番目に多いのが、紀の川市 紀州 、 紀貫之の紀氏 もっと歴史を読まねばならないなあ しかし個人では、 個人情報収集は非常に難しい 家系調査会社に頼もうかと思う 日前神宮 祭神:日前大神(ひのくまのおおかみ) 日像鏡(ひがたのかがみ) 相殿:思兼命(おもいかねのみこと) 石凝姥命(いしこりどめのみこと) 國懸神宮 祭神

          和歌山県 神社巡り(6月17日)① 日前神宮、國懸神宮

          和歌山県 熊野三山を行く⑥ 熊野那智大社、青岸渡寺

          すでに、アウトでしたね~🤣 閉まるの、早いわ あの山が、那智山 おお! 那智の滝だ! この分では、飛龍神社なども 参拝できませんね 一番奥の、大駐車場に停車して歩きました 車も人も、全然、いません🤣 これまた、急坂 太平洋が見える! 那智山 青岸渡寺の仁王門 那智山 青岸渡寺 如意輪観音菩薩 補陀洛や 岸うつ波は三熊野(みくまの)の  那智のお山にひびく滝津瀬(たきつせ) 補陀落とは、 観音菩薩の降臨する霊場であり、 観音菩薩の降り立つとされる 伝

          和歌山県 熊野三山を行く⑥ 熊野那智大社、青岸渡寺

          和歌山県 熊野三山を行く➄ 神倉神社 大木までは登ってください

          「下馬」標石は 寛文12年銘のあるもので、黒雲母花崗斑岩製、 高さ1.59メートル、幅43センチメートル、 厚さ17センチ、 同じ材質で地上高26センチメートル、 幅80センチメートルの台 石上に立っている刻銘によれば、 奥州は 南部志和郡の人物が、 子孫繁栄を祈念して 熊野参詣7度を達成したことを 記念したものとあり、 奥州の熊野信仰を今日に伝えている。 おお! もうここから、なにやら 異様な雰囲気が! 山上へは、 源頼朝が寄進したと伝えられる、 急勾配の鎌倉積

          和歌山県 熊野三山を行く➄ 神倉神社 大木までは登ってください

          和歌山県 熊野三山を行く④ 熊野速玉神社 社殿はなぜ朱い

          熊野速玉大社へ! 熊野速玉大神 (くまのはやたまのおおかみ) 熊野夫須美大神 (くまのふすみのおおかみ) を主祭神とする 朱の御社が 熊野速玉大社の特徴ですね 平日なので閑散としていて ゆったり参拝できました 後白河上皇 34回 後鳥羽上皇 29回 名取老女は 宮城県名取市から、48回 すごいわ! 熊野古道を来るよりも 海からも入れますから それくらいは来れるでしょうね なんと、清々しいのだろう! ああ、わたしは今 オガタマノキの下で 速玉大社の神々様と

          和歌山県 熊野三山を行く④ 熊野速玉神社 社殿はなぜ朱い