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和歌山県 神社巡り(6月17日)④ 伊太祁曾神社 奥宮の丹生神社


伊太祁曾神社

旧称は山東宮
式内社(名神大社)、紀伊国一宮。
旧社格は官幣中社

五十猛命ー大屋毘古神

大屋都比賣命
都麻津比賣命

日本書紀によると、
高天原を追われた
素戔嗚尊とその子五十猛神は、
共に新羅に降り立つが
その地を気に入ることはなく、
船で出雲国に移動した。

そして素戔嗚尊は
高天原から持ってきていた
木の種を五十猛神に渡して
日本中にその種を蒔くように命じた。

五十猛神は妹である
大屋津姫命・都麻津姫命と共に
九州から順番に
日本中に種を蒔き始めて
国中を青山にし、
最後に
木の国(紀伊国)に降り立った。

このことから
五十猛神は
有功神
(いさおしのかみ
=大変に功績のあった神様)
とも呼ばれ、
紀伊国に祀られることとなった。

池がだいぶ濁っていますね
手水舎

中は、撮影禁止 です

本殿・脇殿
主祭神である五十猛命(いたけるのみこと)と、その妹神である
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、
都麻津姫命(つまつひめのみこと)を
お祀りしています。
氣生神社
五十猛命の荒御霊(あらみたま)を
お祀りする摂社です。

氣生神社
神様のおだやかな御姿を
「和御魂(にぎみたま)」
と申し上げるのに対して、
時に臨んで格別に顕著な
御神威を発揚される御魂のお働きを
「荒御魂」と呼び、称えます。

御本殿にお祀りされている五十猛命が
和御魂です。

蛭子神社

明治の合祀令によって
近隣の神社が合祀されてできました。

こちらの方が
撮影禁止以前に撮影されていたようです
ご覧くださいませ

とにかく、感無量でした!

崇敬会があるようなので、入会しようかなあ。
明治神宮の崇敬会をやめましたので、
こちらに移ろうかと思います。

常盤殿と札所

まあ!わたしの誕生年に
落雷とは!
なんというご縁でしょ

わかりますか?

三波川変成帯の
紀伊半島の結晶片岩中の
白雲母が出ているのが!

たぶん
ときわ山古墳の切り通しも
ここも
地続きですから

この山全体が
三波川変成帯で

変成岩は
場所によっての地層に
違いがあり
青石や泥岩など、いろいろです

もしかすると
「木」のように見える
泥岩の一種ではないかと思います

地層の硬さは、柔らかいです

祇園神社

立ち入り禁止です

たぶん


Wikipediaより

和歌山県北西部、
伊太祁曽神社(延喜式内社)
境内の丘陵上に築造された古墳である。
一帯では
本古墳のほか
円墳2基(2号墳・3号墳)が所在し、
伊太祁曽神社古墳群を形成する。
現在までに
墳丘西側は削平を受けている


御井社

柔らかいお水でした

ただ、ここまで来る間
ぬかるみもありますので
ご注意くださいませ

井戸の蓋を開けた際に

ゴミが浮いていましたら
取り除いてくださいね


亥の森がどれなのかわからず
車から撮影してしまいましたが

こちら
あの切り通しの先だったのか~!


地図の、138号線は
車一台分の幅しかない道路で
路肩もなく
停車できませんので
切り通しから歩くしかありません

境外社の、丹生神社に行ってみます


傳法院さんを左折して行きますが
かなり細い道です
ご注意ください


蒲の穂

おお! チョウトンボ!!

ここまで来れば、広いです

丹生神社 奥宮

伊太祁曾神社の真北に位置する。
丹生津彦命、丹生都比賣命 配祀 天照皇大神

根来寺と伊太祁曽神社との関連から
奥宮とされたものと思われます

 伊太祁曽神社には
日本の古代の母子神の伝承が伝わっている。
この母子神は
日前宮と伊太祁曽神社の分離以前の
この地の日神信仰を伝えており、
その名残が丹生神社の祭神に現れている
と見ることができる。
伊太祁曽神社にも
太陽神的な意味合いがあったのである。
渡しの神、浮き宝(船)の神としては、
航海守護の観点からは太陽崇拝は不可欠である。
(神奈備 さんから)

ここの石垣の石、赤くないですか?
もしかして
ここでも、丹生(水銀)が
採掘されていたのでは?

根来寺と伊太祁曾神社の
関連から
奥宮となったそうです

和歌山市内にある
日前神宮・國懸神宮と竈山神社
伊太祁󠄀曽神社に参詣することを
「三社参り」というそうですので

竈山神社さんに行ってみましょうか


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