大阪 四天王寺 ① 八宗兼学の総本山
和歌山線 橋本駅から
近鉄吉野線 吉野口駅で乗り換え
阿部野橋駅に到着
あべのハルカスで食事をして
堀越神社、四天王寺を
徒歩で、めざしました
この回は、四天王寺をご紹介します
荒陵山
(こうりょうざん、あらはかさん)
四天王寺
正式名称
荒陵山 金光四天王大護国寺
宗派 和宗
宗旨 天台宗
(宗旨とは教えの中心の宗門)
救世観音
開基 聖徳太子
西門から入ります
いつも、西門から入ってしまう、わたしです
なんか、この門が好きなんです
今回は、ここに到着したのが
午後15時でしたので
ご紹介は
要所のみ、と、いたします
扁額は
1326年(嘉暦元年)の鋳造で、
「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」
の文字
聖徳太子は日本仏教の祖として
宗派や時代を問わず、広く信仰されてきた。
太子の創建にかかる四天王寺は
平安時代以降、太子信仰のメッカとなった。
また、四天王寺の西門が
西方極楽浄土の東門(入口)である
という信仰から、
浄土信仰の寺としての性格も加えていった。
太陽の沈む「西」は死者の赴く先、
すなわち極楽浄土のある方角と信じられ、
四天王寺の西門は
西方の海に沈む夕陽を拝する聖地として、
多くの信者を集めた
ほらね!(*´▽`*)
わたしは、最初から
出雲大社との関わり強く
初の和歌山では
空海
熊野三山
五十猛命
↓
どれも「黄泉の国」であった
これがハッキリとわかったから
ああ、わたしは
「黄泉の国」の人なんだと
四天王寺も
知らず西門から入ってしまっていたのは
当然のことですわ
四天王寺四石
(転法輪石、熊野権現礼拝石、
伊勢神宮遥拝石、引導石)のひとつ
古記録によると
諸人葬送の時に、棺を引導石の前に置き、
北引導鐘堂の鐘を三度鳴らすと
お太子様が
引導石に影向ありて、
亡魂を極楽浄土の世界にお導きくださる
という伝説があると、ありました
画像お借りいたしました
一説には
元来聖徳太子の
乳母を祀ったのが始まりで、
布袋の乳の豊かさと
乳の出がよくなりますようにとの
信仰が結びついたものといわれています
今は、どこの札所でも販売していましたが
ここは以前から
「八方除」の御守を購入しており
ここで購入すると安心感がある、わたしです
コロナ禍以前、以来の参拝です
推古元年創建。
昭和37年、松下幸之助氏の寄贈により
再建された西大門は
、極楽に通ずる門の意味から、
通称 極楽門とよばれている。
門の内部には
番浦省吾作の釈迦如来十大弟子、
武(ぶ)庫(こ)山(さん)出現の
山越阿弥陀如来、勢至観音菩薩の
画像が描かれています。
門柱に転法輪があり、
参詣者はこれを回転させ、
直接法門に触れることにより、
洗心の功徳を積むことができる。
また、転法輪とは、
釈迦如来の説法が
過去現在未来と
無限に続くことを表しており、
仏足石・菩提樹と並んで、
仏陀(悟れるもの)の象徴とされている。
拝観できますが
急いで、周りたいと思います
弘法大師は
若き日、西門で日想観を修業された
昭和28年に
四天王寺末寺の
三重県国束寺(くずかじ)の本堂を
移築したものです。
本堂西側のお堂は、
納骨総祭塔に納骨されるお骨を
仮安置する納骨堂です。
紙の衣を着て修業した羅漢さんを
形どったこの仏さんは
病気回復に功徳があるといわれ、
毎年10月10日の
衣替え法要は
多くの信者さんで賑わいます。
紙衣法要では
1年間紙衣仏が着ていた紙衣を
背中に当て、お加持します。
これを3年続けると
病気になっても、また、
臨終の時でも
不浄の世話を人にかけないといわれています。
願い事の書かれた護摩木を焚き
太鼓を鳴らしての祈祷が行われます。
入口に木槌と木臼があり、
痛い所をさすると治るといわれています。
推古元年創建。
現在の南大門は
昭和60年11月に再建。
南大門の内側には
熊野(くまの)権現(ごんげん)
礼拝(らいはい)石(せき)が
玉垣内に鎮座している。
往古より
熊野詣には
まずこの場所にて熊野を遥拝し、
道中の安全を祈り、
熊野街道を南へと向かったと言われている
中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、
脇の間に伽藍の守護神である
金剛力士 (仁王像)をまつっていることから
俗に仁王門 と呼ばれています。
東側が那羅延金剛力士、
西側が密迹金剛力士で、
大仏師松久朋琳・宗琳両師の作であります。
南から一直線に
仁王門、五重塔、金堂、講堂が並ぶ
八宗兼学とは
天台宗、真言宗、日蓮宗、曹洞宗
臨済宗、浄土宗、浄土真宗、時宗
ひとつの宗派の教えだけではなく
広く学んで理解する
宗教、宗派を問わない
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