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和歌山県 神社巡り(6月17日)➄ 竈山神社 三社参り完了!


竈山神社

祭神 彦五瀬命(五瀬命)



和歌山市南部、竈山の地に鎮座する。

「竈山」とは

『古事記』『日本書紀』に見える地名で、

両書では
神武天皇(初代)
長兄の彦五瀬命(五瀬命)が
竈山に葬られたという。

当社は
その彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、
本殿の背後には
彦五瀬命の墓と伝える
竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓)
がある。

鸕鶿草葺不合尊
海神(大綿津見神)の娘の
玉依姫との間に生まれた
長男である。

弟に
稲飯命三毛入野命
神日本磐余彦尊(神武天皇)がいる。

彦五瀬命の名の「五」は
厳(いつ)・斎(いつ)、
「瀬」は
神稲を意味するとされる。
このことから、
『古事記伝』では
穀物や食料の神の意と解している。


彦五瀬命は
弟たちとともに
東征に従軍したが、
浪速国の白肩津(あるいは孔舎衛坂)での
長髄彦との交戦中に
長髄彦の放った矢に当たった。

彦五瀬命は
「我々は日の神の御子だから、
日に向かって(東に向かって)
戦うのは良くない。
廻り込んで日を背にして
(西に向かって)戦おう」
と助言し、一行は南へ廻り込んだ。

しかし
紀国の男之水門に着いた所で、
彦五瀬命の射られた傷が悪化した。

この時に彦五瀬命が
「賊に傷つけられて死ぬとは」と
雄叫びしたので、
その地は
「雄水門(おのみなと、男之水門)」
というとする。

その後『日本書紀』によると
紀国竈山で亡くなり、
竈山に墓が築かれたという。
ただし『古事記』では
紀国男之水門で亡くなったとする。


(。-_-。)

紀国は
黄泉の国ですからね


和歌山市内にある
日前神宮・國懸神宮と
竈山神社、伊太祁󠄀曽神社に
参詣することを
「三社参り」と言う

『日本書紀』『古事記』の編纂と
並行して、
『帝紀』や『旧辞』に基づいた
墓の指定の動きがあったと
推測する説がある。

またその際には、
日本武尊墓(伊勢)
・彦五瀬命墓(紀伊)
五十瓊敷入彦命墓(和泉)
菟道稚郎子墓(山城)をして
大和国の四至を形成する
意図があったとする説もある

手水舎

野球をする子どもたちの声が
聴こえていました!

社務所

神門

橿原神宮を彷彿とさせます

大木の、ねむの木

画像お借りいたしました

社殿が、黒ということは「天」ですよね
熊野本宮大社を
思い出してください

(本殿)彦五瀬命
 
(左脇殿)神日本磐余彦命
 御毛入沼命 稲飯命 

(右脇殿)
高倉下命 可美眞手命 
天日方竒日方命 天種子命
 天富命 道臣命 大久米命 
椎根津彦命 頭八咫烏命

見ました?
ふるき事より、新しき事

「終わりと始まり」ですよ

いろいろと、神社巡りを
今までしてきましたが

神社でありながら
何が素晴らしいと思うかと
言いますと

合祀社
結社
子安社

「子孫の繁栄」に
特化している神社さんですね

寛政6(1794)年冬、
国学者 本居宣長は
この社に詣でて

「をたけびの かみよのみこゑ 
おもほへて あらしはげしき
 かまやまのまつ」

と詠んだが、
竈山の岩根に鎮ります神霊は、
日本の国の行手を
永久に譲り給い、導き給うこと
と拝し奉る

と、あります

わかりますか?

一社一社に
榊と、水玉を供えているところ!

これをやっている神社は素晴らしい!!

中には、塩や米を
供えるところもありますよ

皆様もこういったところ
ご覧くださいね

時間がなく
レンタカーもこの日の夕方には
返さねばなりませんので
御陵は見ず

(๑¯⌓¯๑)  はー

またの機会


49年前、東国三社参りを果たし、
ようやく
西国三社参りも果たしました。

この49年間、
東国三社は、近いのに、
再度、参拝することはありませんでした。


さてさて
丹生都比売神社へ行きますか!



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