見出し画像

旅とサウナと瞑想と

サウナにハマっている。
昨年末くらいから嫁とスーパー銭湯に行きだし、「ととのい」を体感できたのがきっかけだ。

近頃のブームにより、次々と新形態のサウナが誕生している。
高評価を得ている銭湯やサウナを訪れると、やはりなかなか奥が深い。
サウナ室の温度や湿度、水風呂の温度・水質。
それらの違いによって外気浴で得られる感覚が大きく異なる。

「良いサウナ」というのを言語化するのは難しいが、体感的にはサウナ室に入った瞬間に分かる。

温度と湿度のバランスが絶妙で、なんだか体に熱気がまとわりつくような感覚。
こんなサウナに出会えたら、いくらでもループすることができる。

僕がサウナにハマったのは、ある意味必然といっても良いのかもしれない。
それはサウナにとって「旅」と「瞑想」は良い相性があり、それぞれに好影響を与えるからだ。

旅についてはいわずもがなだが、瞑想についても僕のなかで大きなパートを担っている。
2011年に世界一周から帰国したあと、ほどなくして僕は関西へ向かった。
京都で行われるヴィパッサナー瞑想のコースに参加するためだった。

ヴィパッサナー瞑想は、ブッダを起源とするといわれる瞑想法のひとつ。
このコースでは他の参加者もいるが、彼らとは一切のコミュニケーションを禁じられた状態で丸10日間を過ごす。
スマホや本など、暇つぶしとなるような持ち物もすべて没収される。
参加者は1日10時間程度を瞑想のトレーニングに充てる。
つまり10日間、ひたすら己と向き合い、内側と対峙する時間だけを過ごすのだ。

ここで得たエッセンスは10年以上が経った今でも僕のなかに残っており、今でも定期的に瞑想の習慣はある。

話を戻すが、サウナには「瞑想」をテーマにしたサウナ室もあるくらいに切っても切れない関係となっている。
サウナから水風呂、体温の劇的な上下とともに体に起こる変化を体感すること。
体の内側に心を向け、己と向き合うこと。

外気浴中にはおのずと「今、ここ」に集中した状態となる。
サウナと水風呂の激しい温度差による交感神経優位の状態から、リラックスによる副交感神経優位の状態に戻る。
体は作り出された危機的状況から脱し、通常時の状態に戻ろうと各器官を働かせる。
体を通り抜ける風の心地よさに意識を向けると、自然との調和や生きていることの美しさに感謝の念が湧いてくる。

これらの相互作用により、より良い「ととのい」の感覚が得られる。自分の感覚や状態を観察するほど、奥が深い世界だと理解できる。
僕のなかに備わっていた瞑想の技術が、サウナにも好影響を与えてくれた。

さらには「旅」と「サウナ」だが、ここにも深いつながりがあると感じている。

僕はバックパッカーとして世界一周をしたのだが、その行為を紐解くとこうなる。

「最低限の必要なものをバックパックひとつに詰め込み、自分の体を色々な場所に移動させていくこと」。
こうやって定義付けると極めてシンプルなものだ。
しかしそのシンプルさのなかに、多くの学びが詰まっている。

僕たちのまわりには、不必要なもので溢れているからだ。

僕らの周りには、情報が溢れている。
テレビでは有名人が不倫をしたり、どこかで起きた事件について延々と報道していたり。
そういったメディアにより、僕らは知らぬ間に「イメージ」という名のフィルターを植え付けられてきた。
「海外は危ない」「日本は不景気だ」「将来このままじゃ不安だ」、そんなイメージ。

僕は今まで、そんなイメージにずっと違和感を感じていた。
旅に出てみて、自分の体験でしか得られない価値観があると気付いた。
たとえばイスラム教徒の人たちにとことん親切にされたり、日韓関係がドン底のときに実際訪韓してみたらそんなことは微塵も感じなかったり。

だから僕らが本来気にすべきなのは、もっとずっとシンプルなことなんじゃないかな。そんなことを考えていた。

そして特にひとり旅をしていると、移り変わっていく周りの景色とは対照的に変わらないのは「自分が今、ここにいる」ことであると実感できる。
当たり前だけど、地球の裏側まで行っても「自分」はついてくる。
自分の人生において、自分は切っても切り離せないと実感できる。
だからもっと気にすべきなのは、遠い世界にいる誰かではなくまずは自分自身なんじゃないか、と思えてくる。

そしてサウナ。サウナ室にいるときは、思考が自ずとシンプルになる。
正確にいうと、余計なことを考えている余裕がない。
「あっつ…」「熱いを通り越して痛い…」「汗すっご…」などなど、考えることは極めてシンプルであり、「今」にフォーカスしている。

そう、大切なのは「今」に集中すること。
五感を研ぎ澄ませ、今起こっていることをそのまま受け取り、咀嚼する。

僕らが常に気にすべきなのは「今」の自分のまわりの状態であり、過去の失敗や将来の不安ではない。
心が不安定になるときは必ず、過去や未来のことを考えている。

サウナも旅も、身につけるものをギリギリまで削って、余計な考えに左右されずに自分と向き合う。
共通点がたくさんあるんじゃないかな。

ストレスフルな日常で大切なことを忘れかけたとき、サウナという場所があることで元のシンプルな状態へと戻すことができる。
帰る場所がある、という安心感を手にしている。

サウナブームといわれる現代。
自分の心の状態だったり「今、ここ」に気付く意識だったりが改めて重要視されてきているのかな、と感じる。

これからも旅とサウナと瞑想と。
それぞれ相互作用を循環させながら、人生を楽しく生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?