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東京という街に来て、社会人をして

お久しぶりです。丸山です。
私は一年ちょっと、関西から上京して社会人をやってます。今日は忙しい日々の合間に少し今の気持ちを外に出してあげたいなと思います。

東京ではずっと臨戦態勢

 東京という街は私を孤独にしました。とは言っても、完全に助けてくれる人がいない、会う人がいないという訳ではありません。

 会社の寮に住んでいるので隔週の頻度で遊びに行ったりはします。また地域のバドミントンサークルにも所属しているので仕事以外でも、孤立しているわけではないです。

 では、なぜ孤独なのか。そう疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。それは、完全に仕事を意識せず他人と一緒にいることができないからです。

 仕事で会う人はもちろん仕事を意識させられますし、同期とも完全に仕事を忘れて会えるわけではありません。なんなら、東京(関東)にいる限り私はずっと仕事のことを考えている気さえします。

 特段ブラック企業に勤めているわけではありません。残業も今はそれほど多くないです。休みもそれなりに取れます。かといってやはり仕事なので楽ではありません。

 その結果、東京=仕事をする場所という固定観念が私の中にできてしまい、いつになっても気が休まることがないのだと思います。

関西(地元)と時間の流れが違う

 東京と地元とでは時間の流れの感じ方が違うことも孤独の原因となっています。私が生まれ育った和歌山、大学時代を過ごした奈良・大阪は比較的時間の流れがゆっくりしていたと思います。

 もちろんそれは、学生という立場で特に時間的な制約を受けず、やりたいように生活していたからというのはあります。それが上京後全く次元の違う忙しい生活になるのですから、大学以前の生活が恋しくなってしまうのは当然でしょう。

 また、家族や大学以前の友人たちは、ほぼ関西に残っています。そうなると、彼らが自分とは違う時系列に居るように感じ、孤独を感じてしまうのです。ハネウマライダーという曲の歌詞に、このような言葉があります

僕たちは自分の時間を動かす歯車を持っていて、それは一人でいるなら勝手な速度で廻る。
他の誰かと、例えば君と、触れあった瞬間に
歯車が噛み合って時間を刻む。

ハネウマライダー 作詞:新藤晴一

 私は言わば、この逆の状況にあります。もともと誰かと触れあっていたのが、一人になって勝手な速度で廻っている状態です。その結果、自分の知らないところで他の人の時間が流れていくことになり、孤独を感じてしまうのです。もちろん友人や家族とは会えたとしても、時間や回数に限りがあります。

コミュニティがない

 東京という場所はその場限りのコミュニティが多いです。いい意味でも悪い意味でも、ひとつの目的に弱い紐帯のコミュニティがたくさんあります。これは面倒な人間関係が少ないというメリットもありますが、裏を返せば強い繋がりが生まれにくいというデメリットにもなります。

 私は、プライベートと仕事をはっきり分けたいので、仕事以外での繋がりを強くしたいと思っていました。でもそれが叶わない。正直どうにもならないなって思います。東京で人と人との繋がりを新しく作るのは私には難しいです。

 私は、上記のような孤独感に加え、仕事に対する強烈な不安も抱えています。今、社会人二年目になり一通りの仕事の流れは覚えました。

 しかし、周りの先輩や同期は自分より遥か前を進んで見えます。実際そうではなくてもです。そうした劣等感が自分の中から拭えないというのも、また一つの問題だと思います。その結果、仕事でできたコミュニティに安らぎを感じられないのかもしれません。

まとめ

 まあ、ここまでいろいろ書いてきましたが、今回私が言いたいのは、やっぱり家族や地元の友人は大切だよってことです。もちろん、そういった人間関係に嫌気がさし、違う土地に来た人もいると思います。でもそうでない限り、家族や地元の友人は、日々の忙しさを忘れさせてくれるのではないかと思います。少なくとも私はそのように感じています。

 それともう一つ。学生時代地元にいた人はそれなりに覚悟をもって、違う土地に行くべきだと思います。私は、あまり深く考えず東京で社会人になってしまったので、若干メンタルをやってます(笑) なので今地元を離れようと思っている人は、一度立ち止まって考えてみてほしいなと思います。

 とはいえ、上記の言いたいことは後付けみたいなもんです。自分の今の気持ちを整理するため、また外に出すために書いたに過ぎません。

 ここまで読んでいただいた方はありがとうございます。また何かしら書きたい気持ちが湧いたら何か書こうと思います。次は音楽とか映画とか、楽しい話題について書くつもりなので、乞うご期待ください。

丸山

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