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批判を受けないための方法。何もしない。何も言わない。存在すらしない。-Rina side-

看護師1年目のとき、教育担当の先輩から毎日のように怒られていた。

批判を受けないための方法。
何もしない。何も言わない。存在すらしない。

エルバード・ハバード


私は納得がいかないときはどれだけ上の先輩であっても「私は〜と思ったので、こうしました。」と意見を言っていた。

反論していたわけでもなく、こう思ったからこうしましたと伝えるのは大事かなと思って。


でもその度に「言い訳するな」と言われた。

私だって言い訳なんてしたくない。


"こうだからこうした"って伝えるのは、見方を変えれば言い訳になることも分かっていた。


でも先輩は明らかに私の行動を誤解していたから、その誤解を解きたかっただけなのだ。


でもその先輩にとって
自分の正解しか正解ではなかった。



その先輩によく言われたのは「普通はこう考えるだろう。」という言葉。


私は人と少し価値観がズレているようで
昔から" 普通はそう考えるだろう "と怒られることがよくあった。

当たり前に普通に考えられる人からしたら、なぜ私が普通に考えられないのか理解できないと思う。


こうした方がいいんじゃないか?と思ってやったことが怒られるなんてことはよくあった。


そのうち" どうせまた言い訳って言われるんだろうな "というのが分かってきたから、
意見することをやめた。


納得がいかなくて伝えたいことがあっても、全て飲み込んで「はい、すみません。」としか言わなくなった。



そのときの私は心が死んでいた。



きっと自分の意見を言わないで全て先輩の意見に従っていたから、自分中で自分の存在というものを消してしまっていたんだろう。


誰かに批判されるからといって自分の意見を消すということは、
それはつまり自分を消すということだ。


冷静に考えてみると人に批判されたからといって、だからなんなのだ?


批判と助言は違う。


先輩は助言してくれているつもりなのも分かっていたけど、先輩の助言の仕方は" 普通 "と比べられていたので、私がその助言を受け取る頃には批判に変わっていた。



後から考えたときに、
私が怒られやすい理由の1つが判明した。


それは、自分の軸を持っていないことだ。


同期の人も同じように意見するタイプの人はいたけれど、批判はされていなかった。

この違いはそういうところにもあるのではないかと思ったのだ。


単純に説明が下手とかそういう能力の差ももちろんある。


でも、<自分の意見に対する自信がないから、相手にもその自信のなさが伝わって、" 意見"も言い訳に聞こえてしまう原理>
というのがあるのではないかと考えてみた。



やっぱり批判されたからと言って自分の存在を消すのは違うと学んだ。


どんなに批判されたからといって存在を消してはいけない。

批判と助言を見分ける目を持つ。
そして助言に対しては反省して改め、批判に対しては立ち向かう勇気と自信を持つべきなのだ。

批判を乗り越えた向こう側に、もっと自分らしい自分が待っているかもしれない。


あるいは、もはや立ち向かうことさえしなくていい。

批判しかしてこない相手は相手にしないか、
さよならすればいいだけだ。


全力で、私として存在しよう。

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