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自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい、誰が自分のために生きてくれるのだろうか-Rina side-

私が小学生の頃、「あの子は面白い子たちと一緒にいれていいなー」とか、「友達関係も家族の仲もいいし、勉強も運動も何でもできるし、自分もあの子だったら人生楽しいだろうなー」なんて思っていた。


自分はどうせ根暗で特に取り柄もないし、平凡でありきたりの人生を送るんだろうなと当たり前に考えていた子どもだった。

看護師になることも最終的に自分で決めたけど、そもそもは親の勧めで、看護師は良い仕事だし、自分は看護師にしかなれないと思い込んでいたという経緯がある。
(今思えばそれはそれですごいけど)

そして学生の頃は、当たり前のように大学へ行って会社に入って25歳くらいで結婚するという人生を歩むのだと思っていた。

逆に言えば「そのような人生を歩まないと幸せになれない」とさえ思っていたのだ。


だから"大人になったら毎日行きたくもない会社に通って、日曜はサザエさんを観ると憂鬱になる生活を送る"という、自分が勝手に今までの常識で作り上げた妄想の人生に向かっていた。

でもそれは"学生までに培われた当たり前"の人生であって、"自分の人生"ではない。

みんながそうしているから、私もそれが1番幸せな人生だと思い込んでしまっていたのだ。

つまり、それまでの自分は自分のために自分の人生を生きていなかったということ。

"自分の幸せが何か"なんて考えもしなかったけどね。

でも、大学生の時に「自分がやりたいと思うことはやろうと思えば何だってできるんだ!」という当たり前のことに気付いて私の中で第一次革命が起きた。

自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい、誰が自分のために生きてくれるのだろうか。
ユダヤ教の教え

大人になるに連れて"ここではないどこか"を知りたいという好奇心で色んな人に出会うようになったし、色んな生き方、考え方を知れる本を読むことにのめり込んでいった。

一歩外の世界に足を踏み入れてみたら、「私のみていた世界はどれだけ小さかったんだろう」ってショックを受けたのと同時に、すごくワクワクした。

そのときはまだ自分もそんな楽しい人生を送れるなんて思えなかったけど、心のどこかに希望が湧いていたのだと思う。


そんな第一次革命が自分の中に起きた後、気付いたら私は自分の人生を生きていたんだ。


私たちは自分の幸せに責任を持たないといけない。

私みたいに「どうせ私なんて」と人生を嘆いている人は、そのことに気付いてない人が多い気がする。

大多数の人がこの道を歩んで幸せになっているからと(本当はそれも自分勝手な妄想でしかないけど)自分もその道を歩んだ末、後から「本当にこれが自分の幸せなのか?」なんて自分の人生を生きていなかったことに気付いても、それは自分が選んだ人生なのだ。


人生は自分の思い描くように生きれる。
というか、自分がまず生きたい人生を思い描かないと自分の人生なんて生きれない。


私たちは勝手に自分で人生を複雑にしているけど、本当はもっとシンプルでいいんだ。

自分が生きたいように生きればいい。

と、自分に言い聞かせる毎日である。

We can live in a world that we design.
A million dreams for the world we're gonna make
私たちは、自分が創り上げた世界に生きれるんだ。無数の夢は、世界を創るためにある。

-A Million Dreams/The Greatest Showman-


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