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アンラッキーセブン 4話

 白山が末村と別れて、教員用の駐車場に向かう頃には、全体下校時間から一時間ほど経っていた。
 残っている車もまばらだったが、その中で見知った黒のワンボックスカーが一台。そのワンボックスカーは、白山の姿を認めると、わかりやすくハザードランプを焚く。あまりの眩しさに目を覆っていると、車の中から男が出てきた。
「白山さん、今日は随分と長く残ってらっしゃったんですね」
「……蓑田君」
 練習が終わるとすぐに帰宅する蓑田が、この時間まで学校に残っているのは珍しかった。何で、まだ残ってるんだ? 白山がそう尋ねる前に、蓑田が先回りして答える。
「実は、白山さんにご相談したいことがありまして、ここで待ってました」
 ただならぬ表情をした蓑田は、間髪入れずに続ける。
「今週末の準々決勝、左サイドのスタートは宮原を外して、酒井でいきましょう」
「な」白山は、咄嗟に言葉が出なかった。
「今日の宮原を見て、確信しました。もう、あれはダメです。プレーの善し悪しの前に、味方からボールを奪うやつがどこにいますか? 精神的にタフな岩倉も、相当参ってましたよ。このままでは、チームに悪影響を与えてしまう」
「違うんだ、蓑田君。宮原は体調不良で、正常な判断ができなかっただけなんだ――」
 白山の必死な弁解も虚しく、蓑田の心には何一つとして響いていなかった。共に働いてきた中で一度も聞いたことがないようなため息が、何よりもその証拠だった。蓑田は、白山に完全に失望しきっていたのだ。
「この大事な時期に体調不良で正常な判断ができない選手なら、尚更外しましょうよ。白山さん、夏のインハイを初戦で敗退したときに、約束したじゃないですか? 冬の選手権では、必ず結果を残そうって。お言葉ですが、今の白山さんには本当にこのチームで、結果を残す気があるんですか?」
「それは…」
「このまま宮原を起用し続けるようでしたら、私は今年限りで梁仙を去ります」
 思いがけない蓑田の決断に、白山は早急な決断を迫られていた。気持ちは、蓑田と同じはずだった。夏のインターハイで辛酸を舐め、そこから臥薪嘗胆の日々を過ごしてきた。世間からは最弱世代と揶揄されながらも、全てはこの冬の選手権で結果を残すために耐え忍んできた。
 けれど、白山はどこかで限界を感じていた。この今の三年生の代で、結果を残すことに対して。強豪ひしめく全国大会で勝ち続けていくビジョンが、どうしても見えなかった。
 ただ、現実逃避したかっただけなのかもしれない。この覆すことができない状況から、目を背けていた。宮原という過去の遺物に縋りつくことで。
 ――メンバー選考に当たっては、絶対に私情を挟むな。さもなければ、組織は内から腐っていくぞ。
 右腕である蓑田からは不信感を買い、宮原とチームメイト同士の関係性は崩れつつあった。このまま宮原にこだわり続ければどのような未来が待ち受けているのか、想像に固くない。崩れ去っていく未来の予想図だけは、いつも鮮明だった。
「…わかった。蓑田君の言うように、これからは、酒井を左サイドのファーストチョイスにしよう」
 同時に伝えなければならなかった。宮原をメンバーから外すということも。しかし、どうしても口からその言葉が出てこなかった。白山にとって、宮原の才能は希望そのものだったから。二十年間の指導歴で、宮原ほどロマン溢れる選手はいなかった。それは、世界を手玉に取ることのできる大いなる力。選ばれた者だけが持つことのできる特別な力。ボールを追い求める誰もが、永遠に恋焦がれ続ける力だった。
 俯いて言葉が出てこなくなってしまった白山に、蓑田は「ありがとうございます」と、一言だけ告げると車の中に戻って行った。宮原については、それ以上言及しなかった。

 蓑田のワンボックスカーが駐車場を去ってから、どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。
 白山は一人車内で、ぼんやりとしていた。長きに渡った夢から醒めたような気分だった。家に帰っても、一切の会話もないただの同居人である妻がいるだけ。願わくは、このまま時が止まって欲しかった。しかし、絶えず時が流れていることを告げるように、スマホのバイブレーションが聞こえてきた。ポケットから取り出して確認してみると、末村からのメールだった。
 メールには、『取り急ぎ』という文言とともに、一つのファイルが添付されていた。白山は、そのファイルをタップしようと人差し指を伸ばしかけたが、すんでのところで思いとどまる。
 何をやってるんだ、俺は。白山は、苦笑する。改めて、自分が明日、西園寺愛莉に持ち掛けようとしていた話に辟易とする。
 白山の計画は、極めてシンプルだった。まず初めに、内申点を上げさせることを条件に、宮原と復縁するよう愛莉に提案する。もし、その手に乗らなかった場合は、末村から送ってもらったこのファイルの中身である愛莉の「弱み」を使って脅しにかかる。
 教師として、実にあるまじき行為だった。でも、そうまでしてでも、宮原に立ち直って欲しかった。そして、完全復活して欲しかった。仮に愛莉と復縁したところで、完全復活する保証なんてどこにもないというのに。寧ろまた有頂天になって、自己管理を怠り、怪我する可能性の方が高かった。なぜ、そこまで考えられなかったのか。明らかに冷静な判断を欠如していた。
 この「弱み」がどれほど愛莉に通用するのかもわからない。あの白山アンチの末村のことだ。全く大したことのない情報なのかもしれない。そもそも、本当にあの男は、そこまで大それた生徒の裏情報をもっているのか。あらゆる疑念が、白山の頭を駆け巡る。全てが、おざなり過ぎる計画だった
 白山は、末村から送られてきたメールを削除する。もう、それは今となっては必要のないものだった。
 現実を、受け入れよう。白山は、静かに胸に誓う。例え、これから先の試合でこのチームが勝ち進んでいくことに限界を感じていたとしても、百人を超える部員を束ねる将である以上、現状の手駒で最善を尽くす他道はなかった。
 二日後、再び宮原が練習にやって来たときは――そのときは、今度こそ突き放そう。それが、白山に残された宮原に対する最大にして最後の責務だった。
 煌々と月明かりが照らす夜道に向けて、車を発進する。今日は、妻と少し話してみようか。そんなことを考えながら、闇夜に消えた。

 昨夜、久々に妻と営んだ白山の朝は、清々しいものだった。どこか、生まれ変わったような心地さえあった。妻と会話できたことが嬉しかったのか、それともそのままセックスまでできたことが満足だったのか、もしかするとその両方なのかもしれない。酔った勢いであったとはいえ、白山はそこに強烈な愛を感じていた。
 それは、一時的なものなのかもしれない。それでも、救われた気がした。監督でありながら一人の選手を依怙贔屓し、挙句無関係の生徒を脅そうとした、どうしようもない男を、受け入れてくれる存在がいるということに。妻が不倫していようが、白山に見せているのが偽りの姿であろうが、何でもよかった。人は、誰しもありのままの自分を受け入れてくれる存在を欲しているのかもしれない。
 白山は満たされた思いとともに、今日も朝練が行われているグラウンドへと赴く。そこでは、いつもと同じような練習風景が広がっているはずだった。赤と白のビブスにわかれて繰り広げられているミニゲーム。主力組の赤チームと、サブ組の白チームでは当然力量の差がある――はずだった。
 しかし、白山の目に留まったのは、白いビブスを着たある一人の選手のドリブルに蹂躙されている赤チームの守備陣だった。赤チームのゴールキーパーである武沢が鬼の形相で、後方から指示を飛ばしているが、守備陣の耳には何も届かない。誰もが、その怪物の進行を食い止めるのに、必死だった。
 一体、何人がかりで止めにかかっているのだろうか。赤の群れが、たった一つの白を塗りつぶそうと押し寄せるが、怪物は何色にも染まらない。まさしく、唯一無二の純白。
 白山は、まるで深海の底に落としてしまったダイヤモンドを見つけたかのような心地だった。もう二度と手に入らないと思っていたそれは、一年以上の年月を経て、更に磨きがかっていた。
 そのダイヤモンドの名を、白山は口にする。
「宮原――」
 言い終える前には、駆け出していた。ミニゲームが行われているグラウンドの一角に乱入すると、白山はゴールに迫らんとする白ビブスを着た宮原の名を叫んだ。
「宮原!」
 最後の砦である武沢をも完全に抜き去った宮原は、無人のゴールにシュートを突き刺す。ゴール脇でホイッスルを唇にくわえてただ呆然と突っ立っている蓑田も、昨日まではあれだけ強気だったにも関わらず宮原にチンチンにやられてすっかりと生気を失ってしまった岩倉も、宮原の代わりに主力組の赤ビブスを渡されたにも関わらず格の違いをまざまざと見せつけられた酒井も、全員言葉を失っていた。本物の怪物の目覚めに、圧倒的な才能の差に、世界が変わる瞬間に。
 宮原がゆっくりと、白山の方を振り返る。そこには、女に溺れ、だらしのない生活を送っていた少年はどこにもいなかった。


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