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アンラッキーセブン 2話

 中学生の頃から、異次元と称されてきた宮原は、まさにときの選手だった。ボールを持てば、どこまでも止まらない。二人だろうが三人だろうが、はたまた五人がかりだろうが、どんな包囲網でも突破してみせるそのドリブルを、白山が初めて見たのは宮原が中学二年生のときだ。
 ーー都心部からは遠く離れた田舎の中学校のサッカー部に、とんでもない怪物がいるらしい。何でも、玉城高校のトップチームから一人で四点を奪った、と。
 同業者から聞いたその話は、ただの都市伝説程度だと思っていた。玉城高校は県内でも有数の強豪校である。梁仙には劣るが、決して楽に勝てる相手ではない。毎年堅牢な守備陣を築く玉城相手に、一人で四点も取れる者など、梁仙どころか県内の高校には一人もいなかった。全国の頂に立つような高校にでさえ、そんな怪物はそうそういないだろうと自信を持って言えるほど、白山は玉城の守備陣を高く評価していた。
 それが、たった一人の中学生相手に、四失点? 馬鹿馬鹿しい。いるはずもないだろう。
 が、これが狂言の類いではないと思い知ることになるのは、それからすぐのことだった。
「水面下で玉城の監督が、無名の中学生獲得に動いているそうですよ」
 そんな情報を白山に持ってきたのは、副官の蓑田だった。何ともなしに聞き流していた白山とは対照的に、蓑田の表情は深刻だった。
「ちなみに、玉城相手に四点取った例の中学生らしいです」
「何?」
 あれはただの都市伝説だろう――、と口にしようとした白山を制するように、蓑田が先を話す。
「俺も気になって、プレーを見てみたんですよ、生で」
「どうだった?」
「十年に一度出てくるかってレベルの逸材です、あれは。玉城のトップチーム相手に一人で四点取ったのも、玉城の監督が血眼で獲得に動いているのも無理ありません」
「ちょっと待て。血眼ってどういうことだ?」
 情報量の多さに戸惑いながらも、白山は極めて冷静さを装って問う。
「玉城が獲得に動いてるってことが、この界隈で知れ渡ったんですよ。どこの高校も、その才能の原石を我が物にせんと、動き始めてるんです。県内どころか、全国のチームからその中学生にアプローチがかかってるらしいですよ」
 蓑田の言葉には、梁仙がその争奪戦に完全に出遅れてしまっているという嘆きも含まれていた。
 ここ数年、梁仙は全国でも望ましい成果を得られていない。全国の舞台に出ても、せいぜいベスト8が関の山。悲願の全国優勝は、夢のまた夢だった。圧倒的に足りない何かがそこにはあるのだと、白山自身自覚していた。その何かがわからない中、視察に行った件の県内外で争奪戦になっている無名の中学生――もとい、宮原悠雅のプレーを見たとき、確信した。
 彼こそが、長年探し求めていたラストピースなのだと。
 中学二年生だった宮原を何が何でも獲得すると決心してからの白山の熱量は、凄まじいものだった。 
 宮原の所属する中学校のサッカー部の公式戦はもちろんのこと、練習試合にも必ず顔を出し、ときには車で片道二時間かけて練習にも出向いた。中々、心が傾かなかった宮原を説得するために、約一年間、あらゆる手を尽くした。宮原を指導するサッカー部の顧問を上手く取り込み、宮原の家族にも根回しをした。そうまでしてでも、宮原が欲しかった。正確には、宮原の才能が。
 その甲斐あってか、中学三年の秋、宮原は梁仙行きを決断した。家族からの後押しが大きかった。こんなど田舎に来てくれる、名監督がどこにいるのかと父親に叱責された宮原も遂に心を動かされたのだ。
 宮原争奪戦に勝利したこのときの白山の喜びは、今でも鮮明に記憶に刻まれている。どんな難しい試合を制したときよりも嬉しかった。同業者たちからは疎まれたが、そんなことはどうでもよかった。ようやくこれで、梁仙は完成するのだと思っていたのだから。
 現に、入学当初から宮原は別格の働きをしてみせた。特待生の中でも一番上の入学金・授業料免除に見合う選手だったのだ。破格の待遇で獲得した選手が思うような結果を残すことは決して多いわけではない。白山の中に、もし宮原が梁仙にフィットできなかったら――という一抹の不安があったのは確かだ。
 でも、それもただの杞憂に過ぎなかった。一年生ながらトップチームのスタメンに名を連ね、そこでも一際異質を放つ宮原はまさしく補強大成功の代表例。この男さえいれば、卒業するまでの二年間は梁仙の攻撃陣も安泰だ。誰もが、口を揃えてそう言った。
 宮原の世代は、守備陣に武沢や岩倉とビッグネームが揃っていたが、攻撃陣は史上最低の質だった。白山が宮原の獲得に躍起になっていたこともあって、満足な補強ができなかったのだ。それでも、宮原さえいればどうにかなるという自信があった。事実、一年生ながらチームの攻撃を引っ張る期待のホープは、すっかりとエースの風格を漂わせていた。
 その年、夏のインターハイと冬の選手権ともに全国ベスト4と十分すぎる功績を残した梁仙の株は例年以上に上がり、翌年の入部部員は優に五十を越えた。そして、そのベスト4進出の立役者ともいえる宮原は瞬く間にプロ注目選手となり、世代別代表にも選出されるようになった。一躍、高校サッカー界の顔となったのだ。
 田舎の中学校から大舞台に躍り出た宮原のサッカー人生と、梁仙の未来は順風満帆だった。どこまでもその流れは続いていくのだと、白山は思っていた。
 そんな二つの運命に翳りが見え始めたのは、宮原が高校二年生に上がってからだった。
 全国に名が知れ渡るということは、即ち自然と対策される選手になるということでもある。しかし、一流と呼ばれる選手はその対策さえも容易に超えてくる。では、宮原はそれを超えられなかったのかと言われれば、そうではない。宮原もまた、対戦する相手チームにどんな対策を施されても、悉くそれを破ってきた。この選手は、ファウルでしか止められない。いつしかそう言われ始めるようになってからが、終わりの始まりだった。
 これもまた、ドリブラーという人種の宿命なのかもしれない。
 宮原は、頻繁に悪質なファウルに見舞われるようになったのだ。ボールを持てば、その足を刈り取らんといわんばかりの危険なスライディングの数々。やがてそれは、悲劇を産んだ。
 昨年の夏のインターハイ県予選準決勝、相手ディフェンダーを華麗に抜き去った宮原の両足を、報復とも捉えられるカニバサミが襲った。綺麗に絡み合った相手の足と宮原の足は、一つの芸術作品にすら見えたのを白山は覚えている。このとき、白山の中で確かに何かが崩壊していく音が聞こえた。
 ピッチに倒れ込んだ宮原は立ち上がることができず、そのまま担架で運ばれ、すぐに病院へと向かったが、結果は極めて残酷なものだった。
 試合後翌日、松葉杖姿で白山の前に現れた宮原から告げられた全治三ヶ月の離脱。最長、五ヶ月にも及ぶかもしれない可能性があり、選手権県予選に間に合うかも不透明な状況だった。ここで不幸中の幸いだったのは、宮原がいなくとも一つ上の世代の攻撃陣が充実していたこと。攻撃の核ともいえる宮原の離脱は大き過ぎる痛手ではあったが、チームが回らなくなるというわけではなかった。
 白山はこの三ヶ月の離脱の間に、身体作りの徹底を宮原に促した。まだまだ線が細かった宮原は、フィジカルの屈強な選手に吹き飛ばされることも珍しくなかったのだ。この期間で成長できるかどうかで、今後のサッカー人生は大きく変わってくる。白山は、熱く説いた。すっかりと沈んでしまった宮原に、こんなところで腐って欲しくなかったから。こんなところで終わってしまっていい選手ではないと思っていたから。
 白山自身、この宮原という十七歳の少年を過大評価し過ぎていたのかもしれない。どこにでもいる高校二年生の感性など持ち合わせていないと、思い込んでいたのかもしれない。宮原だけはサッカーの神に愛された、唯一無二の存在であると幻想を抱いていたのかもしれない。
 それが、そもそもの間違いだった。
 なぜ、中学生だった宮原が梁仙に入学することを渋っていたのか、その理由をすっかりと忘れていた。彼が競争の知らない田舎中学で楽しくサッカーをやっていた少年であるということも。
 つまるところ、宮原はサッカー選手になりたいという夢があるわけではなかった。
 そんな少年が、大怪我を機にサッカーから一旦離れてしまえば、どこにでもいる高校生の一人に過ぎない。宮原が怪我をしてからの三ヶ月、白山の耳に届くのは彼のどうしようもない私生活の話ばかりだった。
 ショッピングセンター一つない、ど田舎で十五年間生きてきた少年にとっては、都心のど真ん中にある梁仙の環境全てが新鮮だった。サッカー部に入部してからは、オフもほとんどない多忙の毎日を送っていたため、羽目を外す暇すらなかったが、部活の制約から解放され、突如自由の身となった宮原の好奇心を押しとどめることは不可能だったのだ。ましてや、親元から離れての寮生活だったのも、更にその好奇心に拍車をかけた。
 食べ放題の店で食べ切れない量を制限時間内で頼み、残した挙句店員と揉めに揉め、学校に連絡が行き渡ったことがあれば、年齢を偽りカラオケ店で深夜までどんちゃん騒ぎをした結果、警察のお世話になることもあった。
 白山も、何度も宮原を呼び出しては説教した。だが、宮原の私生活のだらしなさぶりは、一向に治る気配を見せなかった。
 そして、最も白山の頭を悩ませたのは女関係だ。
 田舎少年から一転、全国レベルの知名度になった宮原を女が放っておくわけもなかった。そのぱっちりとした二重瞼と色気のある高い鼻、それにスラっとした長身のこの高校生は仮にサッカーをやっていなかったとしても、かなりモテただろう。サッカーの腕も随一となれば、まさに鬼に金棒だった。
 英雄、色を好むとはまさにこのような者を指す言葉なのかもしれない。
 ファッションに疎かった宮原はたった三ヶ月の間で、今どきの高校生が主流としている身なりに落ち着き、床屋で済ませていた髪型はカリスマ美容師によって大きく変貌を遂げた。それも全て付き合った女の入れ知恵なのかもしれない。現に、彼女が変わる度に、宮原の服装も髪型も頻繁に変わるようになった。
 一ヶ月で四人の女子生徒と付き合ったと聞いたときは、流石の白山でも面食らった。
 サッカー部で恋愛が禁止されているわけではなかったが、宮原はそのせいでリハビリも疎かにするようになり、復帰を果たすときには体重が五キロも増えていた。確かに白山が当初願っていたように、宮原の身体自体に厚みはできた。だが、それは筋肉ではなく、脂肪だ。白山は、別の意味で生まれ変わった宮原の姿を見たとき、嫌な予感がした。
 そして案の定、その嫌な予感は的中し、復帰早々、宮原は怪我をした。
 ただの捻挫だったが、それから何度も捻挫を繰り返すようになった。それもそのはず、全盛期の感覚でプレーしようとすれば、肥えた身体に負荷がかかってしまうのだ。体重が増えた分、身体は大きくなったが、明らかにドリブルのキレが落ち、かつてのように相手をスルスルと抜くことができなくなっていた。それに輪をかけるように、怪我の連続。復帰して僅か一ヶ月で、宮原の身体は既にボロボロになっていた。
「一度、体重を落とせ。一から、身体を作り直さない限り、ずっとこの調子のままだぞ」
 選手権県予選を目前に控えた十月、白山は宮原を職員室に呼び出し、忠告した。どこかで本人も変わらなければならないとわかっていたのか、真剣な眼差しで宮原は頷き言った。
「俺、このままだと選手権のメンバー入りは厳しいですよね?」
 少なからず、危機感を抱いていたのだ。前線に多くのタレントを抱える一つ上の世代が中心のトップチームに割って入るだけの実力も勢いも、このときの宮原にはなかったから。
「当然だ。自分のコンディション管理もまともにできないやつに、貴重な一枠を開けるつもりはない」
 白山も、ここで一度そうはっきりと宮原を突き放すべきだった。不運な大怪我に見舞われたとはいえ、その後のリハビリ期間の立ち振る舞いはとても強豪校の看板を背負って立つ選手のそれではなかったのだから。慈悲を与えることが、全て当人のためになるとは限らない。可愛い子には旅をさせろというが、宮原にも相応の試練を与えるべきだった。
 だが、白山は懇願の表情を見せる宮原に、とても冷酷な言葉をかけることができなかった。やっとの思いで手に入れた選手だからこそ、自分が腹を痛めて産んだといってもいいほどの愛情があったのだ。
「いや、まだメンバーははっきりと決まってない。ここのところ、左サイドの田所も決して調子がいいとは言えないからな。蓑田コーチとも、お前のファーストチョイス案は検討してるところだ。だから、まずはコンディション維持をしっかりとしておけ。いつ出番が回ってきてもいいようにな」
 死んでいた瞳に、生気が蘇ってくる。話を聞き終えた頃には、宮原は満面の笑みを浮かべていた。その笑顔を見て嬉しい反面、拭い切れない罪悪感が白山の心を覆う。
 それもそのはず、宮原に言ったことの全てが嘘だったからだ。宮原が長期離脱している間に、宮原の代わりとして左サイドハーフでスタメンの座を掴んだ三年生の田所は派手さこそないものの、堅実な仕事ぶりでアシストを量産しており、今やチームでは欠かせない存在の一人となっていた。
 外部コーチである蓑田にも田所をスタメンから外す意志は当然あるわけもなく、また現状の宮原を戦力として数えている様子もなかった。宮原が変わり果てた姿でチームに戻って来てから、蓑田は明らかに失望し切っていた。蓑田にとっては、そんなだらしのない選手をファーストチョイスに持ってくるなど、あり得ない話だった。この時点で、宮原の立場はほとんど詰みかけていた。
 宮原の帰るべき居場所は、もう完全になかったのだ。
 しかし、結局宮原がメンバー入りすることはなかった。白山の発言を真に受けた宮原はそこから身体を絞るためにオーバーワークをし過ぎて、三度離脱を強いられることになったのだ。診断は、疲労骨折で全治三ヶ月。復帰は年明けが現実的だった。
 このときからだろうか。部内で、「またしても、7番の呪いが発動された」と噂されるようになったのは。
 ここ七、八年ほど、梁仙高校サッカー部には奇妙なジンクスがあった。それはトップチームで背番号7を付けた者は悉く不調に陥るというものだ。梁仙サッカー部における7番の重みはエースナンバーである10番と同等である。その年の攻撃の核を担う者が付けるとされている背番号だが、毎年毎年7番を付ける者は不幸に見舞われていた。
 かつて、プロ行きは確実と言われていた者が7番を与えられると、途端に成績不振に陥り、プロ行きは白紙。またある年に7番を授けられた者は、それまで一度も怪我をしたことがなかった頑丈な身体の持ち主だったのにも関わらず、一年を通して五回の離脱を強いられる虚弱体質となった。絶大な求心力を持ったキャプテンが7番を背負った年には、その当人が原因不明の鬱病を患い、チーム崩壊寸前の状態まで陥ったこともあった。梁仙における「7」は、ラッキーセブンならぬ、アンラッキーセブンだったのだ。
 そして、その系譜を引き継ぐかのように、二年生で7番を纏った宮原の身には度重なる厄災が降りかかってきている。これは単なる偶然なのか、それとも永遠に払い切れない忌まわしき呪いなのか。白山は、そんな迷信染みたことには一切興味がなかった。ただの不運がたまたま7番を背負った者に重なっただけなのだと、信じて疑わなかった。でも、それでも二年生だった宮原に7番を授けたのは、心のどこかでそのジンクスを破ってほしいと願っていたからなのかもしれない。
 三年生になった今も、宮原は変わらず7番のままである。
 二年連続で7番を背負った者は、梁仙の歴史上を辿って見ても、宮原以外一人としていない。現状、7番の呪いの効力は発動され続けている。本当に、呪いというものが存在していると仮定するのならば。
 結局三年間、プロクラブからはもちろんのこと強豪と呼ばれる大学群からも具体的なオファーは宮原に届かなかった。キャリアハイが高一から高二かけての約一年間と短過ぎる期間だったのが、何よりも厳しい要因だった。瞬間最大風速で見れば高校生の中でもトップクラスだったが、三年間で安定した活躍を残さない限り、道は開けない。すっかりと、記録より記憶に残る選手という評価に落ち着いてしまっていた。
  高校卒業後はスポーツ推薦で県内の大学への入学が決まっていたが、正直これ以上サッカーへのモチベーションを維持するのは難しいだろう。特別、サッカー部が強豪でもないその大学で、あっという間に周りに流されていく姿が、白山には容易に想像できた。
 それでも、白山はまだ信じていた。いつかは宮原が完全復活してくれるのだと。いや、そのときに縋っているだけなのかもしれない。三年生に上がってからも、一度ついてしまった怪我癖は治らず、そのストレスからか更に宮原の体重は増え続けている。怪我をする度、心底惚れ込んでいる今の彼女に慰めてもらっているということも、白山は知っていた。 
 高二の夏に大怪我をして以来、宮原は身体的にも精神的にも何一つして成長していなかった。今の宮原が到底スタメンレベルにないことも、痛いほどわかっていた。
 もし、今年の世代の攻撃陣が去年のようにタレント揃いだったならば、蓑田ももっと早い段階で宮原を切るよう進言していただろう。今までは層の薄さで何とか誤魔化せていたが、予期せぬ酒井の台頭により、その切らなければならないときがいよいよやって来ていた。
 これが宮原でなければ、白山はどれだけ楽に切り捨てることができていたのだろうか。
 どうしてもまだ、かつて狂おしいほどに心を揺るがした幻影を追わずにはいられなかった。


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