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アンラッキーセブン 1話

あらすじ
全国屈指のサッカー強豪校・梁仙を率いる白山監督は、ある決断を迫られていた。白山が寵愛する不調のエース・宮原をスタメンで使うか否かの決断である。頑なに宮原を起用する白山は、コーチの蓑田を筆頭に多くの選手から不信感を抱かれていた。そんな折、宮原は彼女である愛莉に振られ、精神を病んでしまう。白山は宮原復活のために、「生徒の裏情報収集」が趣味の変人教師・末村にプライドを売って、愛莉の弱みを得る。その弱みを使って愛莉に宮原との復縁を迫ろうと画策するも…。


 メンバー選考に当たっては、絶対に私情を挟むな。さもなければ、組織は内から腐っていくぞ。
 今から約二十年ほど前だ。まだ白山がここ、梁仙高校サッカー部の監督に就任する前――今は落ちぶれてしまった県内のとある古豪でコーチをしていた時代。その高校の老将から口酸っぱく言われていた言葉がふと脳裏をよぎった。白山は、選手権シーズンに突入してからというもの、よくその言葉を思い出すようになっていた。
 秋も深まりつつある十月の暮れ、鮮やかな翠色のグラウンドは茜色に染まりつつある。冬を報せるような澄んだ空気が包み込んでいる中、白山はただ一人の選手を捉えていた。
 その選手が明らかに不調であることは、誰が見てもわかる。二年前、彼が一年生だった頃に見せていたキレのあるドリブルはすっかりと鳴りを潜め、ドリブルを仕掛ければ十中八九ボールを奪われる。たった二年前のスーパールーキーだった頃の姿が、遥か遠い昔のように感じられるのは気のせいではなかった。
 白山の隣でじっと五対五のミニゲームを見つめている外部コーチである箕田の表情は、終始険しい。言わんとしていることを察するのに時間はかからなかった。蓑田は梁仙高校にやって来るまでの間に、数々のチームを渡り歩いてきた指導者だ。梁仙と肩を並べるような全国屈指の強豪校から前途洋々な中堅どころ、はたまた毎年プロを何人も排出するような大学のサッカー部でも雇われていた――所謂、有能な副官というやつだった。
 そんな蓑田だからこそ、もう限界なのだろう。遂に、重たい口を開いた。
「白山さん、やっぱり限界ですよ、宮原は」
 蓑田の目線は、まだ宮原にある。実に、冷ややかな眼差しだった。その瞳は、白山自身に向けられているようだった。
「あいつ自身に、センスがあるのは確かだと思います。現時点でのパッとしない攻撃陣の中で、期待してしまうのも無理はないのかもしれません。でも、そろそろ見切るときなんじゃないでしょうか? ここ二試合を通して見ても、不調の選手を使い続ける余裕なんて、今の梁仙にはありませんよ」
 言っていることは正論以外の何ものでもなかった。ただでさえ、今年の梁仙は攻撃陣の駒が少ない。例年の梁仙と比べて、明らかにタレント不足だったのだ。夏の全国インターハイは散々な結果で終わり、今月から始まった選手権県予選でも厳しい戦いを強いられていた。
「ここで宮原を切らないと、周りに示しがつかないですよ。こんな状態の宮原を、五日後の準々決勝でも起用するつもりですか?」
 蓑田の一言一言が、白山の心に重くのしかかってくる。選手権県予選が開幕するまでのここ一ヶ月で、調子の上がらない、または伸びしろの見込みがない多くの選手たちを切ってきた。頼れる副キャプテンであろうが、昨年からチームを引っ張ってきた主力であろうが、容赦なく。ただ一人、宮原を除いて。
 今の俺は、メンバー選考に当たって私情を挟んでいるのではないのか。いや、それは今に始まったことではなく、ずっと前から。かつての上司である監督の言葉が再び脳裏をよぎるのと同時に、白山は自身にわかりきった問いを投げかけてみる。
「なら、蓑田君は、宮原の代わりは誰が適任だと思う?」
 そんな初歩的なことを聞くのかといった呆れた表情で、蓑田はため息をつく。最早、それは隠す気のないため息だった。
「酒井がいるじゃないですか。ニューフェイスの酒井が」
 酒井は、急遽メンバー入りを果たしたセカンドチームの三年生選手。二日前に行われた県予選三回戦で、蓑田の意向の下試合に出すと、見事に試合終了間際に逆転弾を叩き込んだラッキーボーイでもある。試合後、蓑田は意気揚々とこう語っていた。
「ああいう急ピッチでメンバーに入った選手こそ、意外と苦しい局面で仕事を果たしてくれるんですよ」
 どうやら、そこから味を占めたらしい。まさかスタメンで使ってくるよう進言してくるとは思っていなかったが、そのまさかを蓑田は平然と口にしてみせた。
 白山も、酒井が宮原と同じポジションでなければ潔く首を縦に振ったのかもしれない。だがいかんせん、酒井は宮原とポジションが丸かぶりしている。酒井をスタメンで起用するなら、蓑田の言うように、宮原をスタメンから外さなければならなかった。
「酒井は、あくまで途中交代のオプションの一つに過ぎないだろう。スタートで使っても、とても効果的だとは思えないがね」
「でも、明らかに宮原よりかは調子良いですよね。見てくださいよ」
 飽くまで引く姿勢を見せない蓑田は、ミニゲームが行われているグラウンドの一角を顎で示す。そこでは、梁仙――いや、全国レベルで見ても屈指の守備力を誇る守備的ボランチの岩倉と対峙する酒井の姿があった。一週間前の酒井なら、とても太刀打ちできない相手だ。しかし、そこに映っていた光景は、どうだ。酒井が岩倉を今にも抜き去ろうとしている。白山の目には、とてもそれが三年間無名だった酒井には見えなかった。そして、執拗に食らいつく岩倉を振り切り、カットインしてシュートを放つと、そのままボールはゴールに吸い寄せられていった。ゴールキーパーである守護神・武沢も一歩も動けぬノーチャンスの一撃だった。
「ナイスプレーだ、酒井!」
 声を大にして酒井に呼びかける蓑田の横顔は、浅黒く焼けている。白山より四つほど若いこの男は、近い将来、梁仙よりも更に名の知れ渡ったサッカー強豪校へと引き抜かれていくだろう。この男の持つ選手を見抜く力や戦術眼はとうの昔に白山の範疇を超えていた。最弱の世代と言われている今年の梁仙を、夏のインターハイで全国に導いたのも、ひとえに蓑田の力が大きかった。
 だからこそ、ここは大人しく従うべきだった。堂々とした表情でガッツポーズする酒井を、うだつの上がらない宮原に代わって使うべきだという蓑田の案に。
「いやあ、あれはまだまだ化けると思いますよ。ほら、見てくださいよ、岩倉の顔」
 チームメイトたちと喜びを露わにする酒井とは対照的に、自分が抜かれたことで失点の原因に繋がった岩倉は、いつもの横柄な態度とは打って変わって、悔しさを噛み締めている。まさか一週間前までは眼中にもなかったセカンドチームの一選手にやられるときが来るとは、思ってもいなかったのだろう。
 そしてもう一人、岩倉と同じく悔しさを滲ませている選手が一人。いや、その選手の顔はほとんど蒼白といってよかった。焦りと不安が最高潮に達しているのが見て取れる。
 渦中の宮原だ。ミニゲームで岩倉と同じチームだった宮原は、呆然とその場に突っ立ている。まるで、その現実を受け入れられないといった様子で。
「あーあ、こっちのチームにも酒井みたいなスーパーなサイドアタッカーがいればなぁ」
 打ち砕かれた宮原のプライドに、更に追い打ちをかけるように、岩倉が大きな声で呟く。独り言にしては大き過ぎる声量だ。当然、宮原の耳にも入り、みるみるうちにその顔は赤く染まっていく。
「お前が止められねえからだろ、雑魚ボランチが。軽いんだよ、守備」
「は? 半年間公式戦ノーゴール・ノーアシストのクソ雑魚に言われたくねえよ」
「お前――」
 勢い余った宮原が岩倉の胸ぐらを掴むと、一気に険悪ムードが辺りを包んだ。一触即発になるかと思われたそのとき、ゴールキーパーの武沢がグローブに覆われた巨大な手で二人の肩をがっちりと掴んで止めに入った。
「まあまあ、今のゴールは素直に酒井が凄かっただろ? それに岩倉、お前も宮原に注文つけるけど、宮原にボールが渡る前にゴールを決められちゃあ、どんなスーパーな選手でもどうすることもできんよ」
 険悪ムードを笑い飛ばす武沢の手から離れた岩倉は小さく舌打ちをし、その場から去っていく。宮原は、ポンポンと武沢に肩を叩かれると、鬼の形相から再び浮かない顔に戻っていった。
 かつてギラギラと野心が宿っていた宮原の瞳は、既に空洞だった。
 隣で、流石は頼れる副キャプテン・武沢だ、と蓑田が感嘆の声を漏らす一方、白山は悲哀にも似た感情を覚えていた。なぜ、宮原はここまで落ちぶれてしまったのか。岩倉含む周りのチームメイトも、明らかに宮原がスタメンで使われ続けている現状に不信感を抱いている。
 半年間公式戦ノーゴール・ノーアシスト。
 岩倉が口にしたそのセリフは、まごうことなき事実だった。つまるところ、宮原は三年生になった四月からの公式戦で一度も数字を残していないのだ。これは前線の選手として、極めて深刻な現状である。前線の選手は、基本数字がモノを言う。どれだけ上手い選手でも、数字が伴わなければただの上手い止まりの選手で終わる。仮にも、数字以外におけるチャンスクリエイトやハードワークなどの貢献が宮原にあれば、また蓑田も先ほどのような提案をしなかったはずだ。
 だが、宮原は数字以外での貢献度も極めて乏しかった。献身性のあるプレーをするわけでもなければ、ピッチ上でチームメイトを鼓舞するわけでもない。また、試合を通してチャンスらしいチャンスを作ることもなくなっていた。
 宮原が入学してきた当初は、まさかこんな二年後が待っているとは誰も予想していなかった。

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