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【感傷と音楽:後編】いま、アフリカ音楽とポリリズムを知らなければならない理由

みなさん、こんばんは!寅次郎です!

長らく今回の記事に向けた研究をしていたため、投稿までかなり日が空いてしまいました汗

研究期間が長かった分、今回は【かなりの長編】です!

本記事では、アフリカ音楽をあらゆる視点から紐解きながら、現代音楽の表現方法を高め、そして深める新たな手法を模索していきます。

というわけで、今回のテーマ!

テーマ:『世界の民族音楽を紐解けるアフリカ音楽とポリリズム』


楽曲づくりの新領域が見える、そんなアーティストにとっても聴き手にとっても未来の音楽の楽しみ方が分かるかもしれません。

※なぜAKIRAが表紙なのか、それは最後まで読んでいくと分かります。

●アフリカ伝統音楽と日本民族音楽との共通点


それでは、これまでご紹介してきた日本民族音楽との意外な関係性から紐解いて、新たな楽曲作りのヒントをご紹介します。

まずは、アフリカ伝統音楽について分かりやすく話されている坂本龍一さんの番組からご紹介します。

『コモンズ:スコラ、シリーズ第11巻『アフリカの伝統音楽(Traditional Music in Africa)』

*番組前編*

*番組後編*

大まかなアフリカ伝統音楽の特徴や魅力を堪能できるかと思います。

この番組で触れられていること、そして他の文献などから「アフリカ伝統音楽の特徴」、そこから更に「音楽性の変化の過程」「アフリカ伝統音楽と日本民族音楽との共通点」も明らかにしていきます。

①アフリカ伝統音楽の特徴 その1:アニミズム・言霊や輪廻的な回帰思想

番組内でも触れられている通り、「アニミズム(自然信仰)」「言霊」といった思想がアフリカ伝統音楽の大きな下地としてあります。
さらに、死者を弔うためにも音楽は機能(セヌフォ族の葬儀の詠唱など)し、音楽自体が「生まれて死ぬもの」であることから死者を蘇らせようという考え方も見え隠れするなど「輪廻的な回帰思想」も伺えます。

これらは、前回までの記事で既にご紹介した日本民族音楽の特徴とも重なりますね。

ここで、言霊思想を感じさせる動画をご紹介します。

※ラリベロッチの歌 / アムハラ族(エチオピア)

"ラリベロッチ(単数:ラリベラ)"と呼ばれる唄い手たちは、エチオピアを広範に移動し、早朝に家の軒先で唄い、乞い、金や食物を受け取ると、その見返りとして人々に祝詞を与え、次の家へと去っていきます。

生活の中に祝詞が存在することは、かなり特徴的ですね。

②アフリカ伝統音楽の特徴 その2:生活密着型音楽

アニミズムや輪廻的な回帰思想が下地にあると、音楽が非常に生活に根付いたものになると考えられます。生活密着型音楽という特徴につながります。
アフリカ伝統音楽は、狩猟採集の際にも役立つことが番組内でも触れられており、バカ族の「イェリ」が取り上げられていましたね。

※バカ族の「イェリ」

村にいる女性達がイェリを歌い象をおびき寄せ、狩猟を担当する男性達がその象を狩るという生活密着型の音楽です。

一方、日本で狩猟採集が行われていた縄文時代の狩猟音楽(現代技術で復元した音楽)は見つかりませんでしたが、稲作などと直接結びつきのある徳島県の音楽を見つけることができました。

※アルバム「阿波の遊行」予告動画

徳島には、田植え唄や麦打ち唄にたたら音頭など生活密着型音楽が見られます。これらは民謡として口承され、特に古いものでは中世の鎌倉時代から歌い継がれている「鎌倉踊り」や雨乞いの踊り歌「神踊り」など、日本民族音楽史を紐解く貴重な音源として保存されています。

③アフリカ伝統音楽の特徴 その3:参加型音楽・即興性のある音楽

生活に密着して音楽があると、より自由に音楽を楽しむようになります。そこで、誰かが歌い始めたら声を合わせて周りも歌い出す「参加型音楽」・身近なもので音を生み出す「即興性のある音楽」へと繋がっていきます

※水太鼓 / バカ族(カメルーン)

こちらは、集落のそばの小川で水浴びや洗濯をするついでに気が向いた人たちが水面を叩いて演奏している水太鼓の動画です。

※ピグミー族の声楽

そしてこちらは、アフリカのピグミー族による即興声楽です。

自然にあるものや自らの体すらも楽器にしてしまう特徴・気が向いたら音楽に参加するという特徴、これらはアフリカ伝統音楽から学べる大きな魅力とも言えるでしょう。

実は、「参加型音楽」や「即興性のある音楽」という点で東洋音楽にも共通性が見られます。

《東洋の参加型音楽》

※バリ島のケチャ

上半身裸の男性たちがチャッ、チャッ、チャッ、チャッという合唱とともに大勢で円陣を組んで踊る、バリ島のユニークなダンス「ケチャ」。ほかの国では決して見ることのできない、バリ島独自の民族舞踊です。こちらも参加型音楽であるとも言えます。

起源を辿ると古代の儀式に由来しており、アフリカ音楽の特徴と重なる部分もありますね。

この他にも、バリ島では神に捧げる奉納舞踊を起源とするものが多く、インドの二大叙事詩『ラーマヤーナ』や『マハーバーラタ』に題材を求めたものなど演目も多数存在します。

※1950年台の阿波踊り

日本人に馴染みがあるところで言うと、阿波踊りが参加型音楽として挙げられるでしょう。
ここで着目したいのが、徐々に祭りの色を帯びてきた・もしくは祭りへと変貌していることです。

参加型音楽は、やがて祭り囃子として発展する特徴もあるのですが、その事例はアフリカでも見受けられます。

※アフリカのストリートで生まれるお祭り「ドゥンドゥンバ(Dunungbe)」

ストリートミュージックが祭りへと変貌する様子が描かれていますが、祭りへと変貌していく様子・その音色も阿波踊りと重なると言えるのではないでしょうか。

更に面白いのが、コートジボアールのセヌフォ族の音楽です。

この音色と非常に近い日本のお祭りが、ねぶた祭りです。

これには理由があり、双方とも五音音階(ペンタトニック・スケール)やヨナ抜き音階が基礎になっているため共通性があります。これにより、日本人に馴染みやすい音楽(詳しい背景は以前投稿した記事に記述しています)となっています。
また、映像人類学研究者の川瀬慈によれば「エチオピアでは演歌のウケが良い」ようで、アフリカ民族からしても日本の音楽は繋がりの感じられる音楽なのかも知れませんね。


《東洋の即興性のある音楽》

続いて、即興性のある音楽として日本人に馴染み深いものでは「わらべ歌」が挙げられます。この「わらべ歌」はあらゆる音楽芸能の起源と言えるのです。

※千葉大学の論文より抜粋

幼児達の声の中から2〜3秒の無数の歌の断片が生まれ、大部分はその場限りで消え去ってしまう即興の歌である。
(中略)それ等の中で子供達の中で子供達が何度も繰り返す場面(例えば固定した遊びの中で繰り返されたり、「いけないんだいけないんだ」のようなよく繰り返される状況)で用いられた歌だけが固定されて、大人達が「わらべうた」と認識するものになってゆくのである。
そして8歳から10歳位までの間に民謡のテトラコルドや律のテトラコルド、都節のテトラコルド等に音程的に収斂してゆくのである。
(中略)わらべうたから民謡に至る発展はひとつの民族音楽圏のすべての構成員によって歌われるのであるが、更に特に歌が上手だったり太鼓や笛が上手だったりする選ばれた腕自慢によって祭り等の特別の機会に演奏されるのが芸能である。芸能は民謡の音楽要素を土台としており複雑に発展したものである。
そして数ある芸能の中で大都市や大名等の保護によってプロフェッショナルな芸として最大規模に発展したものが芸術と呼ばれているものである。

「わらべ歌」→「民謡」→「芸能」→「芸術」と言う順で音楽は形を変えていくのですが、芸能・芸術まで行くと様々な縛りにより自由度を失います。
一方でわらべ歌は常に自由であり、音楽的な発展の可能性も高いと言えます。

ここでアフリカ伝統音楽を照らし合わせて考えると、「伝統」とは言えど口承で継がれていることや即興性があることから、アフリカ伝統音楽は日本での「わらべ歌」の位置に近いと考えられます。
この自由度の高さこそ、日本での新たな楽曲づくりの手法として参考になる魅力かも知れません。

近年でも、わらべ歌を新たに生み出し世界で親しまれた事例(映画「かぐや姫の物語」劇中歌)もあるため、汎用性も高いかも知れません。

現代では、アフリカ音楽は意外と手に取りやすいところに実はあります。

アフリカ音楽研究の第一人者・塚田健一さんの長年のフィールドワークによりアフリカ現地の音楽が録音され、そしてネット上に無料公開されています。
音楽史・文化史的にも非常に貴重な音源でアフリカの深淵に触れてみるのはいかがでしょうか。原始であり、新鮮なアフリカ音楽。きっとこれまでにない音楽体験ができることでしょう。


●アフリカ的演奏が日本と繋がる神秘 〜サカナクション・山口さんの疑問を勝手に解き明かす〜

日本の音楽がアフリカ音楽と繋がる興味深いケースをご紹介します。
実は、アフリカ人アーティストの演奏が時として和楽器のような響きにも聞こえる時があります。「なぜそのような事が起こるのか」、実例を交えて説明していきます。

山口一郎②

サカナクションのボーカルである山口一郎さんもアフリカ音楽に和楽器との関連性を感じた1人です。
これは、ラジオ番組「SCHOOL OF LOCK」での山口さんの発言です。

最近、先生はね、北アフリカの音楽にはまっているんだな。なぜかというと、北アフリカのオリエンタル感がなぜか私たちの郷愁につながっていると。……なぜなんだろうな。この曲を聴いた後に三味線を聴くと、「あれ?なんか似てる」と。シルクロードというその流れの中で我が国に入ってきたものを感じつつも、自分たちのルーツとして聴けるこの安心感は何なんだろうなっていう曲を紹介したいと思う。


そして、ラジオで紹介されたのが、アフリカ人アーティスト「Mdou Moctar」の楽曲『Maheyega Assouf Igan』です。

確かに時折エレキギターが三味線のような響きを生み、どこか懐かしさを感じさせます。
このような現象が起きる原因を山口さんご自身は解明まではされていないようでしたが、今回敢えて私が答えを出したいと考えています。

その答えとなるのが、「微分音」です。

今や海外でも評価される津軽三味線は、他にはない独自の音を創り出しているのです。楽器にも独自性があります。端から端まで仕切りなく通っている弦では、微分音と呼ばれるきめこまかい音程を表現することができ、音に情緒が生まれます。同じ弦楽器のギターは、フレットで音階が仕切られているため、微分音を表現するには適しません。さわりと呼ばれる仕組みでは、弦を振動させ倍音を奏でることができますし、音澄(ねすみ)と呼ばれる技では、弦の振動をおさえてやわらかい音を奏でることができます。

微分音を生み出す原因は、「津軽三味線の楽器構造=音階を仕切るものがない事」であると分かりました。そしてこの微分音こそが、「情緒→懐かしさ・郷愁感」を印象付けると言えるでしょう。

それでは、微分音を表現するのに不向きであるはずのギターでMdou Moctarは何故微分音を生み出せたのか。答えは、本人の演奏映像の中にありました。

彼は瞬間的にギターの弦を押さえるだけ音階が固定されている時間は極々わずかです。それも、打楽器のように弦を軽く叩き、高速で弦を抑える指の位置を変えています

また弦を爪弾く左手はピックは持っておらず、指で瞬間的に弦を弾くのみです。弦を抑える時間が短い以上当然のようにも思えますが、ここまで音階を固定させない演奏は非常に珍しいと言えます。また瞬間的に弦を弾くだけでなく、時折強く爪弾くことで津軽三味線に似た強い音を表現できているとも考えられます。

要するに、音階を固定する時間を極限まで短くし、且つ伸びが短く力強い音も出しているのです。自身の演奏方法により音階を感じさせない音色を表現し、それによって津軽三味線の微分音に近い音色を出すことに成功していると言えるでしょう。


●アフリカ音楽と三味線から考察する新たな音楽表現

実は、山口さんの聴いた曲以外にも「三味線」の音色を感じさせるアフリカ音楽がまだまだあるのです。

こちらは、エチオピア南部とケニア北部に住んでいる少数民族・ボラナ族の楽曲です。弦を力強く且つ短く高速で弾く音が、Mdou Moctarの演奏方法とも共通するだけでなく、三味線を連想させます。

そして、ボラナ族の楽曲を実際に演奏している映像を二つご紹介します。

一つ目は、画質や映像が荒いですが分かりやすく三味線の音色との繋がりを感じられます演奏方法も共通性が感じられますね

二つ目は、より画質や音質も良いものですが長尺なので、お時間がありましたらどうぞ。Mdou Moctarの演奏方法とも繋がりますね

これらの映像や音源からも、アフリカ音楽と日本との繋がりも感じられる他、ギター演奏の工夫次第で全く違うジャンル・楽器の音色に聴かせられる未知数の手法があることも分かりました。
日本で活躍するアーティストにとっては、電子音で純和風な音色を聴かせる新鮮味があることから、日本国内の多くの人に刺激を与える楽曲作りにつなげられるかもしれません。

この分析結果が山口さんにとっての答えになると、なお良いのですが。

山口一郎


そして、三味線に関しても面白い動向がありました。

これまで譜面化できないとされていた「津軽じょんがら節」を自動採譜装置によって五線譜で表記することに近年成功したようです。そして、世界で初めてピアノ演奏が実現しました。

これは、五線譜が作れるためピアノなど西洋楽器と邦楽楽器のコラボ演奏も可能になることを証明しています。

「津軽じょんがら節」の五線譜

つまり、和楽器を使わないジャンルでも気軽に楽曲作りに民族音楽の要素を取り入れられるということです。

楽曲作りの新たな地平線が見えてきましたね。


●カノン進行による弊害とポリリズム

以前、【感傷と音楽:前編】で指摘したことをおさらいします。
カノン進行がポップミュージック業界で蔓延し、カノン進行を利用して人気を得たアーティストは以降の楽曲制作で大きく苦しむ代償が伴うことを説明しました。
カノン進行に頼らず、尚且つ新鮮味・癒しを与えられる楽曲制作の手法とは何か、その答えの一つが「ポリリズム」にありました。

●ポリリズムというメカニズム

世界に数多の民族音楽がありますが、それらの根っことも言えるのがアフリカ音楽です。アフリカ音楽には様々な特徴が存在しますが、その中でも既存の楽曲制作の手法を大きく変えかねないと注目を集めるのが「ポリリズム」です。

アフリカ音楽を研究する日本人の権威・塚田健一さんは、ポリリズムをこのように定義しています。

「ポリリズム」とは通常、拍ないし拍子が異なる複数のリズムが同時に進行していくリズム構造のことをいう。

一体どういうことか、ポリリズムを簡単な方法で体感してみましょう。

ポリリズムが視覚的に分かってイメージしやすくなるよう、ここで一つ動画をご紹介します。次の動画では、『2拍3連』でポリリズムを表現しています。

そして、実際に楽曲に2拍3連を取り入れるとこのようになります。イントロにご注目下さい。

※『Once Again』ーHang Massive

『なるほど、これがポリリズムか!』と感じられた方、実はそうとは言い切れないのです・・・まだまだ深いのがポリリズム。

独自にアフリカのリズムを研究し「モダンポリリズム講義」と題して動画で講義を行うジャズミュージシャン・菊地成孔さんは、このように述べています。

欧米圏で語られるオーソドックスなポリリズムはクロスリズム(Cross Rhythm – 交差拍子)と呼ばれるものであって、ポリリズムではない。(クロスリズムとは、整数同士で綺麗に合わさったもの。)

そもそもこのポリリズムというのは、アフリカ民族が”無意識的に”取り入れていたリズムをあくまで西洋側が分析して生まれた音楽構造の概念であり、菊地さんはアフリカ現地のポリリズムと区分けして”クロスリズム”と呼んでいます。

それでは、既にご覧いただきましたが、アフリカのストリートで生まれるお祭り「ドゥンドゥンバ(Dunungbe)」から今度は”本場ポリリズム”を体感してみましょう!

ベースになっているのは5連符(ドンタンタ、ドンタンタ、ドンタンタ、ドンタンタ)。
そこにジャンベのソロが3連符(または倍速の6連)で入ったり、16分(4連符)の頭拍抜きで入ったりしています。

※ここで出てきた「連符」は技術的な内容に寄ってしまうので気にしなくて大丈夫です。気になる方は、菊地さんのYouTube動画「モダンポリリズム講義」を是非ご覧ください。

ここでの目的は、ベースのリズムに別のリズムが合間合間に加わっている本場ポリリズムの考え方で聴いて体感して頂くことです。

ここで体感できた本場ポリリズムこそが、現代の音楽づくりにおいて聴き手に飽きられず新鮮味を与える作曲方法として注目すべき要素が詰まっていると言えるでしょう。


●日本民俗音楽とポリリズム

実は、このポリリズムが前回までご紹介したアイヌ音楽にもその特徴が見られるのです。

一つ動画をご紹介します。こちらは、アイヌ民謡を歌う4人の姿を収めたものです。音楽専門家は、このように分析しています。

映像は、この国の先住民族であるアイヌの民謡である。4人の独特な声が響き合い、時にポリリズムを刻みながら心地の良い揺らぎを生みだしていく。複雑なポリリズムがシンプルなうねりを生むのと同時に、ひとりひとりのシンプルなリズム、円環となる時間の組み合わせが複雑なポリリズムを生む。

たしかに歌声が重なる時に異なるリズム同士が合わさりポリリズムが生まれています。原始の世界から音楽と共にあったアイヌ人。そして最も原始的と言われる声楽でポリリズムを生み出していると言う点は、アイヌ音楽とアフリカ音楽との深い繋がりも感じさせます。


●民族音楽を体現してきた日本人から学ぶ〜「脱文明化」と「狩猟民的音楽のススメ」〜

ここまで様々な観点からアフリカ音楽とそこから考えられる新たな楽曲作りの可能性について触れてきました。
最後は、よりマクロな視点で「民族音楽が人々にどのようなポジティブな効果を与えてくれるのか」、民族音楽を日本で発信してきた第一人者である山城祥二さんの活動から見ていきます。

山城祥二

山城祥二さん・・・
映画『AKIRA』の劇伴音楽で世界に衝撃を与えた芸能山城組を率いる音楽家であり、また情報環境学、感性科学、生命科学などの分野を越えて活躍する科学者。

今回は、第23回文化庁メディア芸術祭で功労賞を受賞した際のインタビューから、活動経歴とそこから学べる点を紐解いていきます。

①日本人だけの「ケチャまつり」から学ぶ 『脱文明化』

ケチャまつり①

前段で既にご紹介したバリ島での民族舞踏である「ケチャ」。山城さんは、これを日本人だけで、それも都市のど真ん中で実現させようと考えました。

そうして生まれたのが「ケチャまつり」。
芸能山城組創立後の1976年から現在に至るまで、毎年夏に新宿三井ビルディングのふもとにあるオープンスペースで開催されてきました。

山城さん)
ケチャをやるなら都市化のど真ん中で炸裂させたい、という狙いは最初からありました。なぜかというと、ケチャは今の都市が失ってしまったものを凝縮して持っているからです。ケチャは〈絆〉を可視化・可聴化・可触化した〈絆の科学〉であり、〈絆〉を実践・堪能・陶酔可能にした〈絆の技術〉であり、〈絆〉を祝祭化・儀礼化・様式化した〈絆の芸術〉であるといえます。人と人とを直に結ぶ〈絆の脳機能〉が衰退しつつある都市空間において、ケチャは大きなインパクトを持ち得ると考えていました。

結果的に40年以上も開催され続け確固たるコミュニティを形成し、都市空間で全く異物の祝祭空間を作り出し、そして民族音楽における日本人のポテンシャルの高さも見せつけました。

本イベントのスポンサーからも『ケチャまつりは現代文明に対する最もラヂカルな問いかけになっている』と表現された通り、我々が気づかされる部分は実に大きく、文明社会への見直しが求められてきているとも言えます。

『脱文明化し、民族的音楽アプローチによって都市空間でも共同体を形成できる』と証明したモデルケースに続くように、音楽市場での脱文明的トライアルが増えていくことを願います。

アフリカ幻唱

ちなみに、芸能山城組の面白い取り組みの一つに「幻唱」シリーズという世界の伝統的な合唱表現を地域ごとに巡りながら体得してしていこうという取り組みがあります。

その中には、今回の記事のメインテーマであるアフリカ音楽も体得し、現地の合唱表現に合わせて日本人だけで歌い上げた「アフリカ幻唱」という作品が存在します。

こちらも日本人が民族音楽を体得し、自らの表現活動に活かせる参考例と言えるでしょう。


②ハイパーソニック・エフェクト研究から学ぶ  〜原始人類が持つ幸福の鍵、そして音の可能性〜

山城祥二さんは、他にも科学者としての活動の中で「ハイパーソニック・エフェクト」という現象も発見されました。
これが、私が長らく問題提起し解決方法を模索してきた『カノン進行に頼らず、尚且つ新鮮味・癒しを与えられる楽曲制作の手法』とも直結します。

ハイパーソニック・エフェクト・・・
[周波数が高すぎて音として聴こえない高複雑性超高周波(40kHz以上)を含む音]が人間の脳の最深部を活性化して惹き起こす現象。

《ハイパーソニック・エフェクトで得られる効果》

生命維持や美と感動を司っている〈基幹脳ネットワーク〉の活性が増大
・領域脳血流や脳波α波が増大。
・NK細胞(ナチュラルキラー細胞)など免疫活性が増大。
※NK細胞は、ガンの一次防御などに活躍する大切な免疫細胞です。
・アドレナリンやコルチゾールなどストレス性ホルモンの減少
超高周波を含まない音に較べてより美しく感動的に感じられ、音ばかりでなく共存する映像や環境の快適性も高く感じられる
認知機能の向上

ハイパーソニックエフェクト②

ハイパーソニック・エフェクトで得られる効果の中には、人々に癒しを与える効果があることから、まずカノン進行に代わる癒し効果を与える音楽技法として注目すべき現象です。

更に、美的感覚や認知機能にも働きかけることから、ハイパーソニック・エフェクトを用いた方が、楽曲をより魅力的に見せ印象を高めることも期待できるでしょう。

環境音比較

更に研究の成果として、都会に住む現代人については「アフリカなどの熱帯雨林の環境音と比較すると、可聴域は騒音に満ちているのに、超高周波領域は著しく貧弱なスペクトル構造になってしまっている」という事実まで浮き彫りになっています。

要は、熱帯雨林で暮らす狩猟採集民族(原始人類の本来の生活環境)と比べて現代人(都市部の生活環境)は騒音などネガティブなものは多いにもかかわらず、癒しなどポジティブな効果を与える肝心な超高周波を十分耳に出来ない環境で生活しているということです。

文明そのものを変えることは非常に困難ですが、身の回りにある音楽が「超高周波を取り入れたもの」=「人類が本来の生活環境で耳にできる音」を聴けるようになれば、癒しを求める多くの人を救うことができ、そして本来の生活環境の大切さ自体も気づかせてくれるのではないでしょうか。

これこそ、『カノン進行に頼らず、尚且つ新鮮味・癒しを与えられる楽曲制作の手法』に対する私からの新たな答えです。

ただし、「人類が本来の生活環境で耳にできる音」を聴くための取り組みはカノン進行に代わる楽曲制作の手法としてだけでなく、人類全体が向き合っていかなければならない課題なのかも知れません。


●まとめ

いかがでしたでしょうか・・・!

かなり肉厚な、ボリューミーな内容でしたね。アフリカ音楽の世界は特に深かった。私も調べていて、ここにはとても書ききれないほど興味深い情報ばかりでした。

そのような中でも、長らく問題提起してきた『カノン進行に頼らず、尚且つ新鮮味・癒しを与えられる楽曲制作の手法』について自ら答えを出せたことに大きな達成感があります。

これまで長らく民族について個人的に深掘りしてきたからこその終着点であるかも知れません。ある意味、必然性を感じています。

『民族』と聞くと、旧世代的で未発達なものというイメージが一般的かも知れませんが、掘り下げていくと学ぶことの方が多く、むしろ現代文明が忘れている大事なことまで教えてくれます。

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山城さんが劇伴音楽を担当された映画『AKIRA』。
作中で描かれた通りにオリンピック中止(延期)など何かと話題になっていますが、私たちは今『AKIRA』で描かれた時代の更に先の未来を描いていかなくてはなりません。

この記事が、未来を描いていく上での一助になると(この上なく)幸いです。

最後に、希望と課題を教えてくれる山城さんの言葉で締め括りたいと思います。

当初から〈文明〉というものを視野に入れていました。つまり、「この地球を、文明という災害からどうやって守るのか」ということは当時からターゲットとして据えてきてはいましたが、当時はそれはまだ狂気の沙汰のように見られていたんですね。それ以来ようやく、気候変動などの地球環境問題というかたちで、主に物質・エネルギー面での文明の持続可能性については大きく問題視されるようになっています。しかし、現在の文明の枠組みを変えないまま、特に国と国との関係の調整で問題を解決していこうという発想では、おそらくもうどうにもならないかもしれない。
 加えて、現在のエコロジー運動は、生物としての人間を取り巻く〈情報という環境〉の問題は、ほとんど視野に入っていないようにみえます。

それでは、また次回!



(無事、完成して本当に良かった汗)



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