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【それは影か?陰か?】コレクション2 身体———身体 国立国際美術館
国立国際美術館は2回目の訪問。
前回は2022年、具体の時に訪れた。
その際は企画展のみの展示であり、国際美術館のコレクション展示が見ることができなかったのだ。
今回はばっちりコレクション展をやっているとのこと。
これはいかねばなるまい。
中之島美術館のすぐとなりに位置する国立国際美術館。
福田平八郎展からハシゴである。
東京国立近代、国立工芸館、京都国立近代、国立西洋、国立新美術館、国立映画アーカイブ、と並ぶ独立行政法人国立美術館の一員。
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今回は「身体ー身体」と銘打ちコレクション展を展開。概要はこちら。
「身体」は、作者/モデル/鑑賞者の身体、表象される身体、ヌード、肖像画や自画像など、表現およびその行為と切り離せない主題、問題であり続けてきました。また、現代社会においては、他者との関係や権力関係の下で闘争の場となる身体、身体的境界線、身体と規範、身体と性、生と死をめぐる問題も繰り返し浮上しています。
ちょっとひねったテーマだなと思いつつ切り離せない身体と美術がどう表現されてきたのかが幅広い作家の作品から浮かび上がる。
展示点数は多くはないが、コレクション作家の幅でカバーしているような。もうあと1.5倍展示してくれても行けるな!と思う。
女性作家の作品展示もカテゴリーを作って展示点数もしっかりとってある。
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こういう性別カテゴリって今更必要なの?と思う方も多いかも知れないけれど、それだって「今、やっと、」なのだ。長い事スルーされてきた分野というならばきちんと見せるためのカテゴリ提示なら大事だと思っている。
今回の目的は実はこちらだった。
休館中に実施した画面クリーニングに伴い一時的にB2階へと移動した高松次郎の《影》を、いつもより広々とした空間で下絵や関連素描とともにご覧いただきます。
高松次郎さんの影。これを資料とまとめて展示というのだから見なくてはならない。
2022年12月、具体展を見に来た時に、ミュージアムショップの壁面に常設展示されていた「影」は見ていた。
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今回、移動後の様子と比較できたのはよかった。
さてこの「影」。
「影ってこうだよなぁ」「よくみるとそうだな」と思う。
真っ黒く塗りつぶしただけではない影。
高松さんの影は…室内の影、だ。
太陽光による地面に現れる影ではなく、室内の、電気が付いていてる、壁に映る、すなわち人の気配を感じる影だ。
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しかしそこに人がいないから「不在」の証明になる。
存在するはずのないものが、存在する。存在しないのに。
でもリアリティはある。
絵画の様子からみても「写実」とも言えるぐらいの真実味なのだ。
もの派とカテゴライズされた高松氏に写実、というのも不思議な話なのだが。
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今、このときに高松さんの作品をまとめて見せてくれて、ありがたかった。
数年前、コレクション展がみれなかった悔しさを晴らすことができた。
関西の旅〜コミュニケーションの街、大阪〜
今回の関西遠征では姫路、神戸、大阪3都市、5館の美術館を巡ることができた。
「当美術館の特色はこれです!」の打ち出しが明確なのは面白いしその個性を活かされている美術館はやっぱり魅力的に映る。
そこでしか見れない作品にその場で出会えることの嬉しさはやみつきになる。
ちなみに、この1泊2日の旅の間、4,5人の方から関西弁で話しかけられた。
先日も書いた神戸にて横尾さんの美術館へ向かう途中、老夫婦に話しかけられたことに始まり…
中之島美術館へ向かう途中、上下柄物のマダム2人組が「出口わからんね、あ、あの人(私を指していた)美術館行くんちゃう?あの人についってったらええわ」と完全にこちらに聞こえる大きさで会話してたり。思わず振り返って軽く会釈したけども。ここで、もし私が美術館へいかない人だったら「おばちゃん、私、美術館にはいかへんで!」と言うべきなのだろうか?
電車に乗ったら若い女の子2人組に「この電車、◯◯駅止まりますぅ?」と尋ねられたり。流石に関西の電車事情には疎く「ごめんなさい、観光客で」
と答えたらおもむろにスマホ出して調べ始めて(スマホ持ってるんかーい!)と心の中で突っ込んだり。
きっと調べるより人に聞く方が早い文化圏なんだと思う。
その「人とのやりとりを面倒くさがらない」「会話をすることにエネルギーを使うことに抵抗がない」ってすごい良いことだよなぁ、としみじみ思った。
帰ってきて信越地方出身である夫に話したら「信じられない」という様相で「他人に聞くのは本当に最終手段にしたいタイプ」と言っていたので、県民性や地域性の違いも大いにあるのだろう。(もちろん本人の性格にもよるけれど)
しかし結局は会話して解決することのほうが多い気もするので悶々としている時間が長くなるならオープンにしてしまえばよいのに、と思う節もあり。
この辺は関西、大阪の良いところとして真似したい所存。
そんな気付きもあった、良い旅になった。
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