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得られるスキルは飲食業務だけじゃない。“人間力”が磨ける会社「フーテン」

2021年に設立された「株式会社フーテン(以下フーテン)」。企業理念に「お前じゃなきゃダメなんだ!」を掲げ、現在は浅草に3店舗(2022年3月末日現在)を構えている。カフェ、スナック、バーとそれぞれの業態は違うものの、一貫しているのは人と場所がつくり上げる「コミュニティの強さ」だ。そこで、今回は社長である佐藤シュンスケさんに起業背景にある想いや、現在の働き方、そしてこれからの展望についてじっくりと聞いてみた。

●やりたいコトに気付けた学生時代

――はじめに、これまでの経歴を教えてください

佐藤シュンスケさん(以下、佐藤):生まれは東京に程近い千葉県市川市になります。学生時代は生徒会長をはじめ、水泳部の部長を務めたり、学園祭バンドでボーカルをしたりと、人を束ねる役回りが多かったですね。多分、性格的にも合っていたし、僕自身も好きだったんだと思います。

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▲株式会社フーテン社長・佐藤シュンスケさん

佐藤:学生時代、僕の夢は「建築家」でした。幼いころからレゴブロックが好きでしたし、住宅展示場やショールームの見学はいつも楽しみで。テレビ番組も「渡辺篤史の建もの探訪」とか「大改造!!劇的ビフォーアフター」をよく見ていましたね。だから、大学は武蔵野美術大学建築学科に進みました。ただ、4年間、建築を学ぶうちに「なんて建築ってワクワクしないんだろう」と思ったんです。

――子どもの頃からの夢だったのに?

佐藤:僕は「モノ」をつくりたいわけじゃないんだなって。モノをつくるよりも、そこで発生する出来事とか、人が集う仕組みに興味があるってことに気付いたんです。要は「コミュニティづくり」。だから、卒業設計ではバラック建築(※)をモチーフにした、コミュニティづくりの再構成をテーマにしました。

※バラック建築…駐屯兵のためにつくられた細長い宿舎のこと。転じて、空地や災害後の焼け跡などに建設される臨時的な仮設の建築物のこと。

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▲卒業設計。場所はゴールデン街を想定

佐藤:建築って建築家が施主に対して住居を設計するわけじゃないですか? でも、本来は第三者ではなく、住まい手が設計するものなのかなって。「雨が降るから屋根を付ける」「風が吹くから壁を立てる」「子どもが増えたから部屋を足す」。これが本来の建築手法だと考えたんです。

――不自然に感じたわけですね。なぜ、ゴールデン街を選んだのですか?

佐藤:ゴールデン街は戦後に闇市から青線地帯に転じ、今の飲食街へと変化してきました。時代の流れもありますが、使い手ありきでモノが形成されていったわけです。これこそが本来の建築手法だと思ったんですよね。まぁ自分がよく飲みに行っていたことも要因の1つですが(笑)。

――ゴールデン街はどこが好きでしたか?

佐藤:ゴールデン街って「はみ出ている空間」なんですよ。お店で飲んでいても、窓や扉から向かいのお店の様子が垣間見れるじゃないですか? 道を歩くだけでも声、匂い、お店の雰囲気が感じられます。もう、はみ出ているものの連続なわけですよ。

――壁で完結していないわけですね?

佐藤:そうですね。街として違和感があるんですけど、それが逆に僕には心地よくて。あとは、やはり人。異質な空間のなかで、みんながはしご酒をしてしまうのは、その店主が持っているエネルギーが強いのだと思いますよ。

――独特な雰囲気がありますよね。大学卒業後はどうされましたか?

佐藤:卒業後は建築業界ではなく、もともと知り合いだったイベントプロデューサーのもとで5年ほど修行していましたね。ただ、27歳のときに勢いで辞めちゃったんですけど……。理由は単純で、母親が飲食店を始めたのが27歳のときだったから。だから、自分もなんとなく27歳のタイミングで、なにかしたいという衝動に駆られたんです。

――次はなにを始めたんですか?

佐藤:……フリーターをしていました。当時、僕には本当にスキルがなくて(笑)。でも、1年ほど経ったころ、友人2人から一緒に起業しないかと声をかけてもらったんです。そして立ち上げたのが「アイデア家業」という会社です。メンバーはエンジニア、デザイナー、僕の3人。

――スキル不足のなか、誘ってもらえて良かったですね。

佐藤:もともと、2人でゴールデン街に飲食店舗を持ち、そこをオフィスにしようと話していたそうです。だから、僕は飲食部門の担当として声をかけてもらえたんですよ。そして、このときに考えていたのが「ほしや」なんです。

●ただの飲食店で終わりたくなかった

――当初「ほしや」の場所は浅草ではなく、ゴールデン街を予定していたんですか?

佐藤:ずっと、ゴールデン街に店舗兼オフィスを構えるつもりでした。立地も斬新ですし、人の出入りも多いため、さまざまな人と交流できるじゃないですか? なにより、3人ともよく行っていた場所なので「コミュニティ」もつくりやすいかなって。ただ、なかなか物件が見つからず……。そのときにメンバーの1人が提案してきた物件が浅草だったんです。

――現在の場所ですね。どんなところが惹かれましたか?

佐藤:浅草は縁もゆかりもない土地でした。でも、この物件は1階・2階が借りられ、リノベーションも可能だったんですよ。3人とも気に入っちゃって。

だから、2016年 の春には契約をすませ、それから3ヶ月は自分たちでリノベーションをしていました。ありがたいことに手伝ってくれる仲間には、宮大工や設計士、ハウスメーカー勤務の人もいまして、とても助かりましたよ。

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▲もともとは人形や反物を保存する倉庫だったそう。リノベーション中の様子

――いつ、オープンされたんですか?

佐藤:2016年10月からプレオープンはしていました。正式に足並みをそろえてオープンしたのは2017年の3月1日です。

――そうだったんですね。ちなみに「ほしや」の名前の由来は?

佐藤:当初から、僕らの売りは「食事」ではなく「人」。そして、コミュニティが生まれる拠点をつくることが目的でした。そのため、今のようなカフェ形態ではなく、スナック形態を想定していました。

――スナックですか?

佐藤:はい。スナックは極めて「人」に依存した商売ですし、修行経験のない僕でも食事は乾きものを出せば賄える。くわえて、お酒もバーテンダーのようなスキルや知識が必要ないじゃないですか?

――乾きもの、という発想から干物ヒモノ

佐藤:干物ヒモノは保存がききますし、誰が出しても同じクオリティで提供できます。そして「干物ヒモノ」を調べていくうちに魚以外にも肉、野菜、果実…どんな素材も干せることを知っていきました。だから、干し物ホシモノをテーマにしたスナックということで「ほしや」と名付けました。

――なるほど。オープン時、どんなことが困りましたか?

佐藤:メニュー開発ですね。それまで母親が経営するスナックをはじめ、居酒屋、小料理屋、ショットバー、アイリッシュパブなどさまざまな飲食店でバイトはしてきました。ただ、あくまでバイトレベル。料理もチャーハンくらいはつくれましたが、干し物ホシモノを使ったメニュー開発は全くわからず。……一番の課題でしたね。

――今の「ほしや」のフードメニューは充実していますよね。

佐藤:みんなで頑張りました(笑)。ほかにも課題は山積みで。例えば、昼間はカフェバーとして営業していたのですが、コーヒーの淹れ方もさっぱりで。カフェオレとカフェラテって何が違うのみたいな(笑)。

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▲今もメニューにある、ガパオライスやピザは当時開発したもの。5年でブラッシュアップされたそう

――目指していたのは、コミュニティが生まれる拠点づくりでしたもんね。

佐藤:僕らのやりたいコトはそうでしたが、やはり「飲食店」という表向きは守らないといけませんから。正直、その体を保つのに苦労しました(笑)。

――なかなか、やりたいこともできなかったですか?

佐藤:いえ、自然にできていたと思います。オープン当初、看板を出していなかったので、何屋かわからず、恐る恐る入ってくれる人も多かったんですよ。でも、そのときこそ僕の力の見せ所。勇気を振り絞って来てくれたお客さんに「めっちゃ楽しい!また来よう」と思ってもらえるように必死に努力しました。その繰り返しが、僕らのやりたいことにつながっていったと思います。

佐藤:また、コミュニティの形成のためにイベントもたくさん仕掛けてきました。大きく分けて3つ。1つ目は「季節イベント」。例えば、正月には店前で餅つき、節分には店内で豆まき、春には公園で花見など、季節の行事に便乗したイベントを企画していました。

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▲お客さんや地域住民と正月に餅つきしている様子

佐藤:2つ目は、地域イベント。浅草にはイベントがたくさんあります。三社祭で神輿を担ぎ、隅田川花火では外で営業をしたり。どちらもお客さんと一緒になって楽しんできました。

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▲三社祭で神輿を担ぐ様子

佐藤:そして、3つ目がほしや独自のイベントです。代表的なイベントでは、月に一回「ポパイとカサガワ」というイベントを開催していました。名前の由来は割愛しますが、仕組みとしては30分500円食べ飲み放題。友達が友達を呼び、その友達がまた友達を呼んでくれて、スーパーファミコン大会やビンゴ大会を催しましたよ。

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▲「ポパイとカサガワ」でお客さん同士が交流している様子

佐藤:やはり、ただの飲食店で終わりたくなかったんですよね。この場所で築いたコミュニティを盛り上げるためにアイディアは模索してきたつもりです。

――どれも楽しそうなイベントです。一方で、下町には排他的なイメージがあります。地域に入り込むことも大変だったのでは?

佐藤:僕らも拠点を浅草に置いたからには、どれだけ地域に入り込めるか。その課題はありました。ただ、どの地域でも難しいことだと思います。だからこそ、地域イベントに少しずつ参加するようになったという側面もあります。

――佐藤さんは浅草で顔が広いイメージです。当初から近隣のお店にも行っていたんですか?

佐藤:それが、当初は全くしていなくて。というより、出鼻をくじかれまして(笑)。

――意外! なにがあったんですか?

佐藤:オープン当初、「ほしや」のお客さんがオススメのお店をいくつか教えてくれたんですよ。せっかくだからと、僕も通うことにしてみたんです。でも、行くに連れて「あっ俺、嫌われている」と気づいてしまったんですよね。

――それは辛い……。

佐藤:スタッフはそっけなく、お客さんには白い目で見られて……。すごい居心地は悪かったですね。聞いた話では、どうやら僕が生意気だったみたいです(笑)。それがトラウマで、当時は浅草からタクシーを飛ばし、ゴールデン街にまで飲み行っていましたよ(笑)。

――仲良くなれなかったんですね。

佐藤:はい。その街に入り込む以上、看板を背負っている店主としての自覚は忘れちゃいけないと痛感しましたね。他にも語り尽くせないほどの失敗はしてきましたし、お叱りも受けてきましたよ。

――そうだったんですね。いつから浅草で飲むようになったんですか?

佐藤:その1年後ですね。また、別のお客さんにオススメ店を教えてもらったんですよ。それが今でも仲良くさせていただいている「プラネットボーイ」や「ラスタマンズカフェ」。そこからどんどんと気の合うお店が見つかっていきました。

――やっと入り込めたと?

佐藤:正直、義理とか人情って心の奥底ではくだらないと思っていたんですよ。でも、コミュニティというのは、やはり村社会で。街の一員になろうと思ったら、筋は通さなきゃいけないし、礼儀・マナーは重んじないといけません。これは浅草に限らず、どこでもそうだと思います。

――当たり前なことですが、大事ですよね。

佐藤:ちなみに僕は食事や飲みはなるべく知っている人のお店に行くようにしています。日々の恩返しの意味もありますが、どうせ行くなら知っている飲食店の方が良くないですか? もちろん、それが辛くなるならば、無理して行く必要は全くないと思います。ただ、24時間365日、看板を背負っているという自覚は忘れないでいたいんです。


●株式会社フーテンの設立まで

――2021年、「株式会社フーテン」を設立されました。その背景を教えてください。

佐藤:もともと、「アイデア家業」は3人で始めた会社だったのですが、それぞれの事業をそれぞれで進めることになったからです。

――それで「ほしや」は飲食部門の担当の佐藤さんが引き継いだと?

佐藤:2019年ごろから議題には上がっていました。そのため、少しずつ軸足を移すためにまずは2020年3月に個人事業主としてスナック「よたか」を始めたんです。それぞれで事業を進めていく=自分で食い扶持ブチを稼がないといけなかったからね。

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▲店名は江戸時代、夜道に立っていた私娼「夜鷹(よたか)」が由来

佐藤:「よたか」のあるエリアって、ちょっとおどろおどろしいじゃないですか? くわえて、吉原も近く、お店には女性が立つ想定だったので「よたか」と名付けました。

――また、同年にバー「ギフ」もオープンさせてスゴイですね。

佐藤:正直、「ギフ」をやるつもりはなかったです(笑)。たまたま、3階の「よたか」の下にある、2階のバーが空いたんですよ。そのときに考えてみたらカラオケのある「よたか」で騒いだとしても、騒音などで下の階に気を遣わなくて済むなって。それでオープンすることを決めたんです。

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▲店名の由来は、客引きや護衛をしながら夜鷹について歩く男を妓夫(ぎゅう)と呼んだため

佐藤:「ギフ」は「よたか」と違って、ガラスから光や音が漏れるんです。だから、客引きの意味合いも込めています。ただ、バー「妓夫(ギュウ)」では音がダサいため、読み方を変えて「妓夫(ギフ)」と名付けました。まぁ本来の妓夫のように、「よたか」で騒ぎがあったら「ギフ」からすぐに助けに行けますから。

――そして3店舗がそろい、フーテンを立ち上げたわけですね。

佐藤:位置付けとして「ほしや」は駅が近く、路面のガラス張りのため、一見さんも入りやすい。一方で「よたか」「ギフ」は路地裏で入りづらい。でも、それでいいんです。「ほしや」で馴染みになった人が「よたか」「ギフ」に訪れ、お客さんが浅草という街を回遊してくれればいいなと思っています。

●フーテンとして、挑戦し続けたい

――では、「フーテン」という社名に込められた思いを教えてください。

佐藤:昔、自分で会社を立ち上げたら「株式会社お前じゃなきゃダメなんだ」という社名にしたかったんですよ(笑)。とある本をバッと開いたときに、その言葉があり、それから妙に気に入ってしまいまして。

――いい言葉ですが、長いですね(笑)。

佐藤:そう、長いんです。しかも、略しづらいですし、英語にも変換しづらい。極め付けに「株式会社お前じゃなきゃダメなんだの佐藤です」って挨拶するのも恥ずかしい。

――フーテンという言葉はどこから来たのですか?

佐藤:シンプルにこの言葉が好きだったんですよ。もともとは「瘋癲(ふうてん)」に由来しますが、もちろん精神疾患という意味合いではなく、寅さんのような意味合いが強いです。というのも、寅さんって旅先から旅先へ、自由気ままに暮らしながらも訪れる先々で人を巻き込むじゃないですか? 

僕のやりたいコトって、会社を大きくすることでも、スタッフを増やすことでもありません。あくまで、挑戦できる会社であり続けることなんです。ここで言う「挑戦」というのは、地域に根付き、どれだけコミュニティに人を巻き込めるか、影響を与えられるかということです。だから、フーテンと名付けました。

――「飲食業」というツールで、コミュニティが生まれる場所をつくりたいと。

佐藤:そうです。くわえて、僕も「フーテン」であり続けたい。今は「ほしや」をオープンさせて5年。浅草に3店舗を持ちましたが、ずっと浅草に居る必要もないと思っています。今後はいろんな土地で挑戦してみたいと思っていますし、スタッフもそのマインドでいてほしいと思っています。

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▲会社のロゴは「風」をテーマにしている。風のように街を渡り歩き、力強い風で人を巻き込むイメージ

――スタッフはどんな方が多いですか?

佐藤:現在、社員は僕を含めて4名(2022年3月末日現在)おり、アルバイトを含めると20名ほどの会社です。共通点でいえば、みんなお酒が飲めますね。

――お酒は強くないとダメですか?

佐藤:いえ、弱くても構いませんが、強いに越したことはないですね。フーテンでは、お客さんからお酒をいただくことがあります。もちろん、無理に飲む必要もないのですが、断ってしまうと会話が途切れてしまうんですよ。そういう意味で飲める人の方が仕事も楽しいと思います。

――お店にとってもプラスですしね。面接はされていますか?

佐藤:一応していますが、履歴書はもらったことないですね。飲食業って、その人がどういうキャリアを持っているとか、何が出来るっていうのは正直関係ないと思っています。それよりも面接では、その人らしさを見たいんです。だから、面接でもお酒を飲んでいます。

――酒癖などを見ているんですか?

佐藤:正直、面接時間は限られていますし、1.2杯ではそこまで引き出せません。それくらいのフランクさで面接をしている、ということです。できれば、肩肘張らずに素の部分を見せてほしいですね。

――「フーテン」はどんな会社だと思いますか?

佐藤:社名の話の通り、うちは個人に寄った会社だと思います。勤務時間も自分で決められ、売り上げ目標も自分で決めるなど、いろんなことを自分で自由に決められる社風です。もちろん、自由である反面、責任も生じます。ただ、責任さえ持っていれば、自由にできる環境は整えています。

現に概ねの業務はスタッフに任せています。だからこそ、飲食業にチャレンジしてみたい方はウェルカムですよ。ちなみに、給与体制や福利厚生などの制度は小さな飲食業にしては、優遇している方だと思いますよ。

――佐藤さんは、どんな人材を求めていますか?

佐藤:理想としては、空気が読める人。例えば、お客さんが目上の人の場合でも、呼び捨てで呼んだ方がコミュニケーションとしては盛り上がることってあるじゃないですか? 逆に「すごいですね〜」と言っていた方が気持ちいい人もいます。つまり、全てを迎合せず、お客さんによって対応を変えられる人は欲しいです。

――ただただ、相槌を打つだけじゃダメなわけですね?

佐藤:はい。ホテルマンやCAのホスピタリティには尊敬しますが、うちにはあのサービスを求めているお客さんっていないんですよ。だからこそ、僕らなりのホスピタリティをわきまえて、実行できる人が良いですね。また、時にはダメなことはダメと言える強さも大事です。とても難しいことですが、そういった人間力は、飲食業で特に求められると思っています。

――人間力。それはマニュアルで教えることはできないですよね?

佐藤:そう言われがちですが、マニュアル化せず「俺の背中を見て学べ!」では、組織として良くないと思います。だから、僕の課題はそれをしっかりと明文化すること。仕向ける方法は必ずあるはずなんです。

――後天的に身に付けることも可能なんですか?

佐藤:難しいとは思いますが、できない事ではないと思います。マニュアルや訓練、そして成功体験があれば、意識は変わると思います。

――成功体験ですか?

佐藤:人って成功体験があれば、自信につながると思うんです。そして、その自信があれば、活き活きと仕事ができ、確信に変わっていくと思うんです。

――では、フーテンに入れば人間力が磨けると?

佐藤:そうですね。やはり、出会える人の数が多いことで、年齢の上下は関係なく、幅広い付き合いをしていきます。また、この会社に身を置くことで仲良くなれる深度も深いと思います。実地の経験のなかで、人間力が学べるのは財産になるはずです。

●佐藤さんが描く未来像

――佐藤さんが描く、今後の展望を教えてください。

佐藤:現段階では3つあります。1つはやはり、僕自身も挑戦すること。浅草に身を置いて6年、僕自身、手応えがありました。でも、今後は新しい土地で0からまたチャレンジしてみたいんです。それこそ、社名の通り、いろんな土地を渡り歩きたいと思っています。

――浅草以外の土地で次の店舗をつくりたいと?

佐藤:はい。今の目標としては、僕が40歳になるまでの6年間で、10店舗つくりたい。10店舗というのは、10軒ではなく、10ブランド。それぞれのお店で違うことをしたい。イメージでは、浅草で3店舗、新たな土地で3店舗、さらに違う土地で3店舗ですね。

――飲食店とは限らないですか?

佐藤:その可能性はありますが、基本的には飲食店をやりたいと思っています。やはり、僕が培ってきたノウハウは飲食に寄っているため、飲食業というツールを使って、新たな土地でもコミュニテイをつくっていきたいと思っています。

――コミュニティって5年ほどで形成されるものなんですか?

佐藤:「時間」というよりも「密度」だと思います。街とのつながり、コミュニティとのつながりってお金では買えないものなんですよ。お金を払ったから、街に入り込めるわけでもなく、みんなと仲良くできるわけではないじゃないですか? 何回も通って、何回もお酒を酌み交わすことで、密度が濃くなり、初めて共感が生まれる。それがコミュニテイづくりの第一歩だと思います。

――少しずつ築き上げていくものなんですね。

佐藤:そして、将来的には教育事業にも注力したいと考えています。

――教育ですか?

佐藤:はい。「フーテン」いう学校をつくり、飲食店を通じて、人間力を鍛えられる事業を展開したいと思っています。場所としては、自分の店舗を使いながら、飲食店業務のいろははもちろん、経営のやり方、人とのコミュニケーションの取り方などのカリキュラムをつくり、学ばせたいと考えています。そして「フーテン」という学校でしっかり学んだ後、世の中に羽ばたいていけるような仕組みを整えたいです。

――将来、自分の飲食店を持ちたい人にはもってこいですね。

佐藤:そうですね。例えば、定年を迎えた人が余生で飲食業をやってみたいと、1から学びに来る場所でも良いと思います。あるいは、大学生が学業とともに学び、人間力を養いながら、社会勉強をしてもいいかもしれません。

今は漠然としていますが、この教育事業では、決して飲食業に寄らない、人間力を鍛えられる場所でありたい。いろんな転用の仕方があるので、飲食業を目指す人だけをターゲットにするつもりはありませんね。

――人間力が磨ける学校ですね。

佐藤:今後、AIがさらに台頭してきた場合、美味しい料理とかクールな建物ってボタン一つで完結すると思うんですよ。でも、目の前にいる人がどういうことを思い、どう解消してあげるか。どういう関係性を築くか、というのは、AIに取って代われない仕事なんですよ。だから、そういったことをちゃんと教育できる仕組みをつくりたいんです。

――まさに「お前じゃなきゃダメなんだ」ですね。

佐藤:そうですね。そして、うちのスタッフには、このフーテンという会社で一定期間、ノウハウを溜め込んだら、独立してほしいと思っています。

――どういうことですか?

佐藤:ここで得た「フーテンマインド」を携えて、いろんな場所に散らばってほしいんです。そこでまた地域に根付いてくれれば、新しいコミュニティが生まれるじゃないですか? そういった「グローバル化」を目指しています。

もちろん、フーテンでは独立支援もしたいと考えています。というのも、飲食店スタッフって料理の腕はプロかもしれませんが、経営については無知の人が多いんです。でも、僕も会社を経営するなかで、さまざまなノウハウを得てきました。だから、独立を考えているスタッフには資金援助のほか、経営のコンサルティングまでのサポートができると思っています。

――コミュニティづくりは一貫しているんですね。とはいえ、「グローバル化」という目標は大きいような?

佐藤:よく「グローバル」と聞くと、大きなことをイメージするじゃないですか?「東京から世界へ発信」みたいな。でも、僕は大きなもの1つがグローバルではなく、小さなものの集合体がグローバルだと思っています。

例えば、フーテンの3店舗内でも全てコミュニティは違います。それぞれでは、小さなコミュニティかもしれませんが、その集合体となれば大きなコミュニティとなります。それが街となり、都市、県、国になっていると思います。

――なるほど。

佐藤:だから僕はその小さなコミュニティを各地に点在させたいんです。点在させることによって、コミュニティ同士でつながりだし、また一つ大きなレイヤーのコミュニティができる。そして、そこに集う人の生活が豊かになる。これが僕の捉える「グローバル化」です。

しかも、サステナブルなコミュニティ。ずっと僕がいないといけないコミュニティは、コミュニティとは呼べません。そうなると、僕らがすべきことは1つ。小さなコミィニティをしっかりと築き続けることなんです。

――ちなみに佐藤さんが考える「フーテンマインド」とは?

佐藤:人間って一人では生きられない、弱い生き物だと思うんです。でも、人間を救ってくれる場所っていっぱいあるんですよ。例えば、勉強だったら学校、病気だったら病院。そのなかで「彼氏にフラれちゃった」とか「お母さんが入院した」など、日々のはけ口を吐き出す場所って「酒場」だと思うんです。

――悩みや不安が吐き出せる場所だと。

佐藤:やはり、そういう人って必ずどの街にもいるんですよ。漫画「バーテンダー」の一説でも「バーは心の病院である」と書かれていました。ただ、僕らは医者ではないため、治すことはできないかもしれませんし、結局は自然治癒してもらうと思います。でも、寄り添うことはできるじゃないですか? 「フーテンマインド」の言語化は難しいのですが、今はいつでも人に寄り添えるマインドのことだと考えています。

――だから「フーテンマインド」を携えて、独立してほしいわけですね。

佐藤:そうですね。だから、僕も含めて、フーテンマインドを持った人が全国各地に広がり、そこに集う人々の生活が少しでも豊かになればいいなと。そのために、これからもどんどんチャレンジしていきたいと思います。