オトナシロカ

書くことを生業にしています。ここでは日々考えていることを。

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最近の記事

落葉樹

窓の外を見ながら昼ごはんを食べていた。 いつもより、道路を挟んだ向かいのマンションがよく見える。 そこで初めて気がついた。 目の前にある大きな落葉樹の葉が、綺麗さっぱり落ちていたことに。 細い枝が寒そうに風に揺れている。 毎日見ていたはずなのに、気がついていなかった。 そんな自分に唖然とする。 余裕がなかった、のか? そもそもこの部屋に決めたのは、 内覧した時に窓から青々とした落葉樹が見えたから。 窓いっぱいに勢いよく広がる葉っぱは、 当時の私の心をそれはそれは癒してくれた。

    • 心にモヤが

      久しぶりにクライアント仕事をした。 すると先方から、「失礼」というコメントが原稿に書かれた。 なんということ。 一度会っただけの人間に対して、 失礼とコメントを入れるその態度に、 「業者」 扱いが垣間見えて本当に嫌になった。 お前、行政の看板背負ってやってるのに、 その態度はなんだ。 と悪態をつきたくなるが、クライアント仕事とは、 こういうことなのだと思う。 知名度のある書き手に同じことができるか? と言ってやりたい。 (そもそも知名度のある書き手はこんな仕事やらんか) 権力

      • 人でなし

        元彼に 「人でなし」 と投げつけてやった。 自分の人生の中で、 「人でなし」 という日が来るなんて思っていなかった。 そんな自分に驚いてしまう。 でも、その言葉以外、思いつかなかったのだから、 まあ仕方がない。 当の元彼はまったく気にしていない様子。 言葉は人によって全然違う意味を持つから、 彼にとっては大したことなかったのだろう。 もしかしたら、言われ慣れているとか? そんな人と、何年も付き合ったことに嫌気がさす。 自分に、だ。 自分を大切にしたい。 ただそれだけである。

        • 湧き出るもの

          書くことを変えたい、ここ一年程、 いやもっと前から、そう思っている。 特殊な分野で本を出してきた私だが、 もう、いい加減、他のものも書いてみたい、と思う。 もっと幅を広げたい、ということなのだけれど、 これが意外に難しい。 「好きなこと書いたらいいじゃないですか」 と言われるのだが、 「好きなこと・・・・・・はて」 となってしまうのだ。 他のことを書いてきたいと言いながら、 自分の中に、何もないということに驚愕する。 そして悲しくなる。 結局、その程度なのか、自分。 書きたい

          ざわつく心をなだめる

          最近、自分の心の狭さにげんなりしている。 なんというか。 これは私の著作なのに、という思いが募って、 他者の動きが疎ましいのだ。 なんという心の狭さ。 その人は思っていないかもしれないが、 「売れているのは私のおかげ」 と思ってるんだろうなと思わせる言動に いちいち腹が立つ。 ともあれ、売れてるんだからいいじゃない、とも思うが、 著者としてのプライドが、アホみたいなプライドが、 その言動に気持ちが逆撫でされてしまう。 ああ、小さい。 本当に、小さい。 そんな気持ちを見つめ

          ざわつく心をなだめる

          代わりのない人なんていない、は金言

          ここ数年、関わってきた仕事がポロポロと終わっていった。 フリーランスにとっては大変な問題で、 参ったな、と思っている。 新しい仕事を開拓せねばならん。 とはいえ、それはフリーであればみんなやっていることで、 ぬるま湯に浸かっていた自分の怠慢を身にしみて感じている。 なんというか、ぬくぬく着ていた半纏を剥がされた感じ? 「さっむ」 と言いながら、両腕で自分を抱きしめている(心の中) ああ、こうだったなと思ったりもする。 この仕事を始めていつの間にかいい気になってたんだなー。 と

          代わりのない人なんていない、は金言

          恋愛はガソリンだったけれど

          歳をとったなと思うことに、新たな恋を探そうと言う気力がなくなった、 と言うことがある。 人気のポッドキャスト、オーバーザ・サンでも話題になっていたが、 足がもつれる、本当にそうだと思った。 恋愛していない自分は何もない、 ぐらいに思っていたし、 激情を駆り立て、発狂するような恋愛をしてこそ私なんだと思っていた。 しかし、それはただの勘違いだったことが最近わかった。 いや、勘違いというより、 やっと分別のつく大人になったというべきか。 恋愛にかけるエネルギーが減ってしまったこと

          恋愛はガソリンだったけれど

          「利他」に対する違和感

          ずっと「利他」という言葉の使われ方に違和感を持っていた。 「自己の利益よりも他者の利益を優先する考え」 とある。 それがいつしか、他者に対する優しさとごっちゃになり、 自分のことより他者を考えることが良いこと、的な使われ方を方々でみた。 「今こそ利他」という、生き方提案、考え方提案。 むちゃくちゃ違和感。 違和感しかない。 他者のことを優先して考え、相手にとって有益な行動をとる。 ということは、翻って自分にも利が還ってくるのではないか。 とズーーーーーーっと思っていた

          「利他」に対する違和感

          お母さん、離婚しなよ

          私、go goだから、と友達からのメッセージにあった。 ん?と思ったのだけれど、ああ、55歳ってことかと合点がいく。 55歳かあと何とはなしに思っていると、母に離婚を勧めた年齢だなあと ぼんやりと思い出した。 私はすでに成人になっていて、 母を見ていて、ちっとも幸せそうに感じなかった。 両親が揃っていて欲しい、などとこれっぽちも思わない。 それよりも、自分の人生を生きてほしい、 楽しく幸せになってほしい、 という思いの方が強かった。 「お母さんならまだいけるよ。  お父さんな

          お母さん、離婚しなよ

          スピリチュアルというけれど

          なんだかかけずり回っている間に、 すっかりご無沙汰になっていたこちら。 先日友達と話をした時のこと。 マヤ文明というのは、すべての物事に 「生」と「死」をみていて、 死というのは生の変態、つまり形が変わった状態なのではないか、 ということを話題にした。 これは彼らが残したものからわかっていることで、 何も怪しい話ではない。 マヤの人々の世界はそうやって成り立っている。 そんなふうに「死」を捉えることができたならば、 世界はまったく違って見えるはずだ。 まあこれは、自分が死に晒

          スピリチュアルというけれど

          神社参りの効用

          今年の年明けすぐ、霊能者に見てもらった。 そういうのが好きなのである。 で、言われたことが、 東京に帰ったら近所の神社にお参りに行きなさいね。 だった。 そうかそうかと、早速新年のご挨拶に行く。 以降、 「あ、神社いこ」 とピンときた時にはトコトコ行くことにしている。 驚くことに、他にもちょこちょこお参りに来ている人がいて、 近所の人からわざわざ車に乗ってやってくる人までいる。 この神社、有名なのだろうか。 と調べてみるも、そんな雰囲気もない。 ま、他の人がどうかということよ

          神社参りの効用

          男も生きづらい

          子供の頃、男の子になりたかった。 だからずっと刈り上げのショートカット。 高学年になっても「僕」と周囲に間違われるくらい ボーイッシュだった。 きっと、頑張っていたんだと思う。 ま、覚えていないけれど。 ところが時が過ぎ、いつの頃だったか、 生まれ変わっても私は女がいいと思うようになった。 女の方が、自由だと思ったからだ。 世間的には違うのかもしれないが、 私には女の方が自分の意思で生きられる可能性が高い、 と思えたのだ。 女も「こうあるべき」と言われるけれど 男も「男の子な

          男も生きづらい

          自分を信じる

          私はそれだけで生きてきた気がする。 「自分を信じる」 なんというか、小さい頃は自意識過剰だと母親に言われ、 その意味もよくわからずいたのだけれど、 要は子供の頃からよくわからない自信が自分にはあった、ということ。 そういうことを口にしていたのだと思う。 一般的な日本人家庭に育っているので、 母親からしたら 「自意識過剰」 と映ったのだろう。 なんでそんなに自分に自信があったのか、 当時のことは何一つ覚えていないけれど、 でも、あったのだろう。 その頃から、何者かになりたかった

          自分を信じる

          どんどん楽になっていく

          周りの女性たちからよく聞かされた言葉がある。 「50歳を過ぎたら、本当に生きるのが楽になるから」 ふむ。そうなのか。 と思いながら、気がつけば47歳になっていたわけだけど、 確かに楽になっている。 いや、そもそもがむしゃらに働くこともせず (側から見たらやっていたかもしれんが) 家庭もない身だから、 家庭も仕事も乗りこなさねば! の妙齢の女性たちよりも 肩の力は抜けていた。 比べる対象が周りにおらず、見栄の張り合いなどという ただただ消耗するだけの関係も持ち合わせない私にした

          どんどん楽になっていく

          自分らしく生きる幸せ

          ゴールデンウィーク最終日。 フリーで働く身としては、 特に普段と変わりはないけれど、 それでも友達が自宅にきたり、 他の友達の家にお邪魔したりと楽しい時間を過ごした。 友達はみな50歳前後の独り者の女性たち。 勤め人もいれば、フリーランスもいる。 雇用形態はそれぞれあれど、みな、その場所で力の限り もがいたり泣いたり吼えたりしながら奮闘している。 そんな友達たちとお酒を飲みながら話している時間の楽しいこと。 仕事のアドバイスもすれば、ダメなところは諌めてくれる。 女友達は、本

          自分らしく生きる幸せ

          女の風上にも置けない女

          女性の中に、耳を疑いたくなるようなことを平気でいう 女がいる。 女性政治家の中にもそういう輩はいて その醜悪な顔つきを見ていると 同性であることが嫌になる。 なぜそんなことを女性に対して言えるのか。 ただでさえ、男どもに時代錯誤な 「産めよ増やせよ」 の道具として言われた女性たちに対して 何故同性である人間が、そんなことを言えるのか。 甚だ腹が立つのである。 これは政治の世界に限った話ではなく、 自分の保身のために、男に同性を差し出す女がいる。 男に媚を売り、尻尾を振る女。

          女の風上にも置けない女