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自分を信じる

私はそれだけで生きてきた気がする。
「自分を信じる」
なんというか、小さい頃は自意識過剰だと母親に言われ、
その意味もよくわからずいたのだけれど、
要は子供の頃からよくわからない自信が自分にはあった、ということ。
そういうことを口にしていたのだと思う。
一般的な日本人家庭に育っているので、
母親からしたら
「自意識過剰」
と映ったのだろう。
なんでそんなに自分に自信があったのか、
当時のことは何一つ覚えていないけれど、
でも、あったのだろう。
その頃から、何者かになりたかったのかもしれない。
結局その自意識過剰は、自己肯定感を順調に育み、
今に至る。
とは言っても、賢い高校に入った私はそこでハタと気がつく。
「私、頭悪い」
これがのちの人生に良いショックとなった。
自分はできると思ってきたけれど、世の中には賢い奴はやまといて、
自分は本当に頭が悪く、とるにたらない人間である。
ということが実感を持って落ちてきた。
ここで腐らなかったのは、現実を素直に受け入れられたから。
逆に肩の力が抜けて、頑張ることをしなくなりw
結果、世間一般の良い大学に入って良い会社に就職して
結婚して子供を産んで云々の価値観などに見向きもしなくなってしまった。
とはいえ、25歳の時には
「誰も自分を必要としてない」
と泣いた。
若いってバカね、と今なら思うし、
必要とされたければ、自分でそこまで上がってこい、
ということなのだけれど、人から与えられるものだと思っていたし、
これは本当に自意識過剰からくる驕りだったのだと思う。
そうして時は過ぎ、40歳を目前に
「私はまだ何者でもなく、これからなににでもなれる」
と思った自分が心底バカで愛おしい。
はっきり言って「いつまで夢見てるんだか、現実しれよ」
というツッコミが入りそうだが、本気で思っていた。
とにかく自分の人生を信じたのである。
自分という存在を信じ、応援し、見捨てなかった。
自分を信じること。
それはとにかく自分を愛することだと思う。
自分が 自分を見捨ててしうことほど、悲しいことはない。
自分だけは、最後まで、自分の擁護者でありたいと思う。


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