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男も生きづらい

子供の頃、男の子になりたかった。
だからずっと刈り上げのショートカット。
高学年になっても「僕」と周囲に間違われるくらい
ボーイッシュだった。
きっと、頑張っていたんだと思う。
ま、覚えていないけれど。
ところが時が過ぎ、いつの頃だったか、
生まれ変わっても私は女がいいと思うようになった。
女の方が、自由だと思ったからだ。
世間的には違うのかもしれないが、
私には女の方が自分の意思で生きられる可能性が高い、
と思えたのだ。
女も「こうあるべき」と言われるけれど
男も「男の子なんだからこうあるべき」
と言われて育つ。
それ、きついと思う。
男の子なんだから泣いちゃだめ、とか言われても、
泣きたいんだからしょうがないじゃん。
大人になっても
「男はかくあるべし」
という「はあ?」という縛りの中で、
多くの人が頑張って生きている。
きっと男たちも弱音も吐きたいし、泣きたいし、
肩の荷を下ろしたいと思ってるはず。
それを社会が、自分が許さないから、
ホモソーシャルなどというものができあがり、
連帯して庇いあって慰め合って、
何者かに対抗しようとしているのかもしれない。
とにかくだ。
誰もが去勢をはらず、自分らしく生きられればいいのに、
と、愛猫を眺めながら思うのである。

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