おはぎ(元roi)

生きています。23.11.9

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最近の記事

微睡みの妄想

眠りにつきそうな時、体を動かしたくない感覚になり、変な妄想をしそうになる。 昨晩は両親への感謝だった。 一時期は恨んでいた親だが、お互い少し穏やかになったのもあり、そんなことを考えていたのだろう。 私が就職したら感謝の手紙を書こうと思った 母にはいつも素っ気ない態度で申し訳ないと、母子家庭で大変な自覚がなかったと、特にしたい訳じゃない仕事を一生懸命してて尊敬していると。 父には正直自己中なところは好かないけど、殆どの人生を仕事に捧げていることを尊敬しているということ。これか

    • 失敗を自分のせいにするな

      「いつまでも失敗を自分のせいにしてちゃ、成長出来ないんだよ。」 言葉は厳しいけど、柔らかく芯のある声でカウンセラーさんははっきりそう言った。 私は昔から「鈍臭い」「トロイ」と周りからレッテルを貼られてきた。ように感じてる。 間違いなく人より多くこのような指摘を受けることが沢山ある。 これらの言葉を受け止めすぎて自分で呪いにしてしまった。 今日の今まで自分で自分を呪っていた。 先日バイト先で1000円もの売上損失を発生させてしまう程の失態をしてしまった。 店長も私が"こう"

      • 私の頭ん中。

        過去のnoteを見返して、「あぁ、なんて綺麗事ばかりなんだろう。」それが記念すべき1つ目の感想だ。 でも、思っていることは本当。ちょっと書き方が大袈裟ってだけで。 私は口だけの人間にはなりたくないから、絶対にできると思ったこと以外は口に出さない。 多くは語らない。これが私の美学でありたい。 ありたいだけで、私は今その対岸にいる訳だけど。 大好きな人達は皆揃ってストイックだ。 私は彼らの真似を試みるも、上っ面だけ真似出来たら上等。 私はどうしてこうも生まれたんだろう。 頭ん中

        • 怖いと思う自分に打ち勝つ

          最近通知が頻繁で久々にnoteを開いた。 いいねの履歴、タイトルを見返すのが恥ずかしい。 いつも自分が生み出したものを見返すのはとても恥ずかしい。 確かいくつかの投稿は消してしまったような記憶すらある。 なのに今もこうして書いている。 身動きが取れずもどかしいような気持ちがっあって、どこかのsnsで吐き出したかった。 明日は6月。いや、今6月になった。 そう、就活のISの解禁日だ。 この2年間夢を探して足掻いてきた。 見つけたものの、私は行動に移せない。 夢を探すためにノ

        微睡みの妄想

          神様に「ざまぁ見ろ。」と言える1年を

          不謹慎なタイトルだが今年の抱負はこれだ。今日は1人で初詣に行き、おみくじを引いた。いつも大吉ばかり引いてるのになぜだろう。末吉だった。凶のひとつ上の末吉。とても萎える内容だったとは言え、的を得ている気がする…と妙に納得してしまった。と同時に自分の中で占いやおみくじは教訓であると前から思っていたことを改めて定義付けた。 「春が来ない冬はない」「今は辛くても我慢することが大切」と和歌と共に綴られている。これは去年のおみくじなのではないか?と疑問を抱いた。 去年は「挑戦」という

          神様に「ざまぁ見ろ。」と言える1年を

          日帰り東京、夢を見つけた。

          帰りは最悪だった。 何がかは分からないけど、不愉快な気持ちが残りながら羽田空港に向かっていた。 「東京に来ないか?」 インスタで知り合った方に将来についての相談に乗ってもらっていた。 東京に行ったらフリーランスについて教えてくれるらしい。 私は酷く拒絶した。 1人で遠くに行ったことも無いし家族に許されるはずがない。 それが真っ先に思い浮かんだ。 それでも何故か『なんとしてでも行きたい。』と思った。 私は騙されているのかもしれない。 結果がどうであれ、何か得れるものはある

          日帰り東京、夢を見つけた。

          克服より適応

          ある場所、人、場合によって馴染めなくて悩んでいる人に読んで欲しい。 私は同性同世代が苦手だ。 小学生の頃から自然と男の子と接することが多く、今でもそれが続いている。 ずっとそれを直したいと思っていた。 先日初めてゼミの教室に入った。 男女比は半分くらい。 女の子は皆学生団体か何かで仲良かったのか私は完全に孤立してしまっていた。 幸いにも後ろの男の子が話しかけてくれた。 その子はネット授業のグループワークで接していた子だった。 その後2人で次の授業を受けに行った。 すると

          克服より適応

          私が絵を描くのをやめた理由

          絵が描けなくなった。 厳密に言えば描きたい絵がない。 今日見切りをつけることにした。 5年前、美術部を引退してそこからめっきり描かなくなった。 コンクールで最優秀賞を受賞したり、先生や他に人から沢山褒められてたから当時はそれなりに上手だったのだと思う。 今思えば、模写ばかりしてきてオリジナルの絵を描くことがなかった。 コンクールの絵は題材があったから描けていた。 高校生になってからはそれどころじゃなくなり、今余裕ができて描こうと思っても描きたいものが浮かばない。 偶に依

          私が絵を描くのをやめた理由

          親を親として見なくした

          20歳になった私が綴る自立したいお話。 私自身HSPで良好な関係なら最高の共同生活だけど、根本的に性格の不一致ならとてもストレスだ。 私の親は所謂毒親で愛情を感じられない。 毒親持ちだけでなく自立したい全ての人に通ずる話になるはず。 私のやることなすことに手を出してくる。 私の行き先や所持物を全て確認する。 大学2年生になって今でも門限は20時。 自立したがりの私はかなり腹が立つけど、ここまではまだ母親なりの愛情なのだと理解出来る。 1番嫌なことは言葉で表せない。 とにか

          親を親として見なくした

          平等について

          私は今恐らく倦怠期で、悲しみや怒りや空元気などの色んな感情に振り回されている。 所謂恋人が釣った魚に餌をやらない状態。 この苦しみから平等とは何かを考えさせられたのだった。 私はこのような苦しみに苛まれると、Googleを開いて愚痴をそのまま入力する癖がある。 検索結果には恋愛コラムがズラリ。 私が調べている中にあったのは"女は男に尽くし過ぎてはならない"。 "女は男に愛されることで幸せになる"ともよく聞くことだが、なんだか腑に落ちないのだ。 エーリッヒ・フロムの著書『

          平等について

          自分を変えられるのは自分だけ。

          私はクリスマスが大好きだ。 毎年1人でブッシュ・ド・ノエルを作って暴食をし、クリスマスソングを流す囁かな夜を過ごす。 街の賑わいもイルミネーションも音楽も全て心を弾ませてくれる。 今年は母が仕事先のケーキを買ったので作らないことにした。 毎年の恒例が無くなって、クリスマスイヴであることを忘れていた今日。 いつものように大学の講義を受けて課題を消化して、いつの間にか夜になっていた。 用事があったので外へ出る。 人は全くおらず、マンションを見上げると色とりどりの灯りでイルミネ

          自分を変えられるのは自分だけ。

          ダメな自分でもいいや

          変わらない私の自信の無さ。 多分、親のせいが少なからずある。 周りの子と比較されたり、周りの子を過剰に褒めたり、うちの子なんか…と卑下されたり。 「私は周りより劣っている。」と自分に言い聞かせては、息苦しくもがいていた。 自信を持つにはどうすればいいか。 承認欲求はなんだかキリがなさそうだ。 そもそも自信とは自分をありのままに受け入られることだから、まず自分のありのままを知らないと。 知るために承認欲求とは別に他人に教えて欲しい。 家族や友人はいけない。 家族はそもそもあ

          ダメな自分でもいいや

          一緒に幸せになりたい人

          大事な人ができた。 誰にでも愛することは出来る。 幸せになるには、見返りを求めず愛を与える。 愛するのは難しい。 愛するには勇気がいる。 アドラーがそう言っていた。 別れてわかったことは、誰にでも愛することは出来るが、容易く愛せるかどうかは別だということ。 前の恋愛では、今の彼が元彼の背中を押して付き合った。 「2人が幸せならそれでいい。嬉しすぎて泣きそうになったよ。」 本当に良い友達を持ったな、ぐらいにしか考えてなかった。 後から聞くと、この頃から私のことを好いてくれ

          一緒に幸せになりたい人

          私が純粋な恋愛をした記録

          久々の投稿で、書きたいことがいっぱいだ。 2ヶ月前の話なので記憶も薄れていて、中身もその分薄くなりそうだ。 別れて、新しい大事な人ができた。 今回は元彼との話をしようと思う。 色んな人とお付き合いしてきたが、今まで1番純粋な恋愛をした。幼かった私は相手の気持ちを弄んで、人の心をそれとなく読めるのを楽しんでいた。まんまと思い通りになるのが面白く、つまらなく、蹴り落としたりもした。自傷行為に繋がる性行為もした。こんな私をいっぱい汚してくれと。それらの"遊び"に依存していた。

          私が純粋な恋愛をした記録

          失うは代償

          3年前の私が高校1年生の頃の話。 工業高校に通っていたため、女子は少数でクラス合わせて奇数だった。 のが偶数に変わった夏。 私のクラスの女子は4人で2人は同じ運動系でもう一人はギャル。 文化部の根暗な私には到底合わないが必然的にギャルと共に過ごすことになった。 そのギャルは隣のクラスの子とも話せれて、私もそれを通じて隣のクラスの”君”とも仲良くなった。 選択科目の美術が一緒で、移動はよく君としてた。 一緒に、試験勉強をしたり、たいやきを食べたり、ゲームをしたり。 部見学

          失うは代償

          死に方を操作されずに生きたい

          大学の課題に追われる日々が続く。 提出期限を過ぎても出さない教科もあった。 納得のいくものが出来そうになくて3回分放棄してしまった。 まだ大学行ってすらないのに将来の不安を感じている。 思い切って大きなプロジェクトに参加するために先輩と繋がった。 その時はわくわくでいっぱいだったけど、続けられるか不安になってくる。 いや、それ以前の問題だ。 薄々気付いていた。 私の本当にしたいことはこれじゃないということ。 消去法でこの道を選んだ。 ものづくりも好きだけど

          死に方を操作されずに生きたい