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親を親として見なくした

20歳になった私が綴る自立したいお話。
私自身HSPで良好な関係なら最高の共同生活だけど、根本的に性格の不一致ならとてもストレスだ。
私の親は所謂毒親で愛情を感じられない。
毒親持ちだけでなく自立したい全ての人に通ずる話になるはず。

私のやることなすことに手を出してくる。
私の行き先や所持物を全て確認する。
大学2年生になって今でも門限は20時。
自立したがりの私はかなり腹が立つけど、ここまではまだ母親なりの愛情なのだと理解出来る。

1番嫌なことは言葉で表せない。
とにかく自己中で理不尽で、母親のためにしたことも怒鳴られその度に例え自分が悪くなくても自分を責めてしまう。
後から冷静になると事実に気付き、私をこうさせた母親に対して怒りが募る。

家族にどれだけ訴えても私のことは理解されず、成長を妨げられる。
親子の逆転。
愚痴を聞かされ甘えられる。
大人なのにどうかしている。
尊敬できない。

私は早くこんな奴らから自立したいのに接触しないために朝は自室に籠ったり外に出たりする。
他人によって自らの行動を抑圧するのは結果的に依存しているのだ。
1人で家にいる時は伸び伸びと家中歩き回れて心置きなく過ごせるのに。

ある日ふと思った。
今お付き合いしている恋人と同棲するとなったらどうなってしまうのだろう。
私は多分この家族に理解されないが故、他人にも理解されないだろうと言いたいことを我慢してしまう癖がついている。

だから未だに恋人にも大事なことこそ言えずギクシャクしてしまう時がある。
これが解消されたら同棲も悪くないのだろうなぁ。
家は心の拠り所でもあって、やはり受け入れてくれる人がいないと苦しい。
それがHSPとなったらもっともっと苦しいに決まっている。
だから私が言いたい時ちゃんと向き合ってくれる恋人には感謝しているし尊敬している。

この感謝と尊敬が大事なのだ。
そうじゃないと共に暮らせない。
でもどうしても逃げられない私はどうすりゃいい?

その答えが「親を親として見ない」だった。
この人はもう親じゃない。
私はもうこの人の子供じゃない。
何も期待しないのが自分の心を律する処方箋だった。

親なのになんで子供に甘えられるのだろう。
どうして私を恥晒しにするのだろう。
大人なのにどうして相手の気持ちを理解しようとしないのだろう。
どうして成長しようとしないのだろう。

これらは全て私の願望だった。
なぜできないのかは、一種の病だからだ。
なんでも病気にできる時代になったと聞いた時に思いついたのだ。
これも1種の病だと仮定したら大分気持ちが楽になった。

だって病気の人に期待するのは烏滸がましいでしょう。
もしまた理不尽な目に遭っても「この人は病気だから仕方ないな。」と思うと冷静になれる。

そして私も病気の1人だ。
HSPも病名じゃないけど、母親と同じく個性としての病気のようなものだと捉えている。
HSPは世の中に浸透しつつあり、受け入れられる存在になってきた。

真反対の性質だけど、同じように受け入れられたら楽になる人が増えるのだろうな。
それでも真反対同士は離れるのが1番の処方箋ではあるけども。

これから私がすることは親がいるいないにも関わらず、半ば空気と見なして過ごすこと。
どんな状況であれ自分の時間は変えずにありたい。

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