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平等について

私は今恐らく倦怠期で、悲しみや怒りや空元気などの色んな感情に振り回されている。
所謂恋人が釣った魚に餌をやらない状態。
この苦しみから平等とは何かを考えさせられたのだった。


私はこのような苦しみに苛まれると、Googleを開いて愚痴をそのまま入力する癖がある。
検索結果には恋愛コラムがズラリ。
私が調べている中にあったのは"女は男に尽くし過ぎてはならない"。
"女は男に愛されることで幸せになる"ともよく聞くことだが、なんだか腑に落ちないのだ。

エーリッヒ・フロムの著書『 愛するということ』には"見返りを求めずに愛されるより愛すること"そして"愛は技術であり、経験することによってしかわからない"このようなことが記されている。

このフロムの愛することを実践すれば、世に言う尽くしすぎになるし、どちらを信用すればいいのだろう?
いいや、ここは私の経験から考え出さなければならないことだ。

そんなことを考えているとおかしいことに気づいた。
愛する=尽くす という考えだ。
愛する方法が尽くすとは言いきれないのに勝手に結びつけている自分がいた。

まず私たちはなぜ尽くすのか。
尽くさないと愛されないと思うから?
理想の彼女になりたいから?

人それぞれ思っていることがあるだろうし、私も上記のうちの1人だけど、もっと根底にあるのは、
"人として高め合いたいから"

尽くせば相手も尽くし返すのが平等で理想的な関係だと多くの人が思っているはず。
つまり、片方が尽くしていると意味が無いのだ。
"尽くしすぎる"=片方が尽くしている状態なのだと思う。

見返りを求めてはいけないと言うので、我儘言わないようにしていた。
心のどこかで「私がこんなに努力しているのにどうして返してくれないの?もうそんなに好きじゃないってこと?」と苛立ったり、「でも、これは伝えなきゃわかないことだもんね…」と落ちこんでを繰り返していた。

この自分だけが尽くしている状況を解消するには話すしかないのだ。
彼が自分のことを好きなら尚更。
彼に嫌われていると思って言えなかったら、相手に謙っている自分の価値を下げることになる。
それは平等ではないよね。

見返りを求めてはいけないというのは半分嘘で、半分本当。
不満を言うだけならタダで、相手からの意見も聞いて初めて対等になれる。
それで嫌われてしまったらその程度だったってこと。

これは恋愛に限った話じゃない。
どの人間関係でも平等にしたいのなら通ずる話だ。
家族にいつも脅されて意見が言えないのも、絶縁した友人にも同じようにされて何も言えないのも不平等をお互いに作っている。(今はどちらが悪いかなどは置いておく)

私は家族が皆ヒステリックで感情を相手にぶつけているのを見てきたしされてきたからそれを反面教師として感情を出さないでいた。
出しすぎると相手を強制させるから平等ではない、と。
でもね、"相手に怯えて謙ったり意見を言えないのも平等ではない"ということにやっと気づいた。


自分を持つこと、自分を相手に押し付けないこと、価値観を擦り合わせること、何事も程々が1番だということ。
当たり前のようなことたちだけど、改めて考えさせられた。

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