フォローしませんか?
シェア
町田麻子AsakoMachida
2019年4月1日 00:17
自慢じゃないが、私は転職活動で負けたことがない。フリーになる前に6社経験している=転職活動は5回したことになるが、面接ではいつも、すぐ辞めたがるこの性格も含めてポジティブに伝えることができ、狙った会社を逃すことはなかった。だがその分、入社する頃にはいつも超ネガティブになっており、慣れるまでかなりの間、「私なんて何の役にも立たない人間です、生きててすみません」オーラを出していたように思う。
2018年7月29日 16:59
音大受験をするのになぜ音楽の勉強をする前からセンター試験のことを考えたかというと、音楽はゼロからのスタートになる、つまりどんなに頑張ったところで音楽畑で育ってきた高校生よりできるようになることはない。となると、勉強の方でかなり上位に食い込まないことには受かる可能性など皆無だと考えたからだ。具体的には…センター試験の最終目標、9割。模試はそこにどの程度の努力で辿り着けるか(あるいは全く辿り着
2018年12月15日 19:57
オープンキャンパスで呼ばれていると思い込み、受験を決意したのが7月半ばのこと。その際に大学で過去問も入手したのだが、当然ながらまあとにかく一から十まで意味不明であった。回答を求めて赤本を手配しつつ、すべての基礎になりそうな「楽典」という本をまずは購入して読み進めつつ、いろいろな人に会ってみることに。しかし私には、願いは口に出すと叶わないという「逆言霊信仰」がある。ただし、口は羽のように軽い。
2018年10月31日 17:30
お目当てだった楽理科の説明会および模擬授業は、お目当てだったのに申し込みしそびれるという失態により、気づいたときには締め切られていた。だがせっかく予定を空けてあったので、オープンキャンパスには行ってみることに。全体の説明会や演奏会といった申し込み不要のイベントに参加し、大学の雰囲気を見てみようという試みである。またもや子どもたちの中で浮かなくてはならないのかと、模試の経験を踏まえて心配したのだが、
2018年5月20日 19:13
きっかけは、何度か取材させてもらったことのある音楽監督の一言だった。ミュージカル『レ・ミゼラブル』を日本初演から支え続け、今では世界のレミゼ関係者にその名を轟かす名物監督的存在となっているB氏。日本レミゼ30年の栄光の歴史の立役者、といっても過言ではないその功績が大きすぎて、この人がいなくなったら日本レミゼはどうなるんだろうと思い、取材後の雑談タイムに後継者の有無を聞いてみた。すると…「誰かい