イスラエルとパレスチナ、戦争。そして報道。旅。

イスラエルとパレスチナ…

世界中で戦争が起こっている。
世界一周の旅をしていた頃は、格安バスのチケットばかり検索していた。
正直俺はどちらも正しいし、どちらも間違っていると思っている。交通事故でもなんでもそうだ。例え殺人でも。何か非が無いことには起こらない。最近報道カメラマンの話をよく聞くようになった。俺の好きな報道はネイチャー部門であって決して愚かな戦争ではない。興味ないし馬鹿げておるとさえ思っていた事もあった。今では知識もつき敬意をそれなりに払っているつもりである。
俺は今無償に中東、アラブに行きたくなっている。変な使命感がその蕾が心の中に咲き出したのかもしれない。好奇心というなくなってしまったものが芽生え始めている。そう、好奇心とは愚かなことだ。若さか盛りか。それは知っている。
俺が向こうで写真を撮ったら何を撮るのだろうか、そんな想像を巡らすだけで、また旅人だった頃の自分に戻れる気がした。失った情熱が今湧き出てきている。戦争を撮るのか…そんなこと思いこよらないことであった。想像することすらタブーにしていた。「自分が思う美しいものを美しく捉えたい。」それがモットーであった。俺が写真を撮る意味はここにある。しかし戦争は違う。しかし今撮りたいと思っている自分がいることに気づいてしまった。
虐げられ続ける虐められているパレスチナ民、その上でゴミや煙草の吸い殻を下に向かって放り続けるユダヤ人。旅人から聞いた話だ。そんなことを聞いてから、俺の考えは変わっていった。これだけ聞いたらユダヤ人が悪いように思う。そこで俺が考えた。イスラエルを知らなけらばならない、そしてパレスチナも然り。
この戦争の意味、本当に必要だったのか。誰が一番傷ついているのか。誰が裏で笑っていやがるぼか。真理を捕らえたい。そう思ってしまった。そしてパレスチナの民を写真を通して助けたい。イスラエルにも友人がいる。助けたい。写真に力で戦争を終わらすことが出来るのか。報道の挑戦、報道とはそうあるべきではないのか。
ジャーナリストになるという覚悟は相当なものだろう…
嫌、なんだ俺は、旅をしたいのか。
正直に、その想いが今一番強く重いものになって心を締め付けて離さないだけなのか。
ジャーナリストとは、自分の生きる意味を見い出した者達だ。
そこに全てを置いていく。
今はマスゴミになり果ててしまった悲しい現実があるが。皆、初めは何かそういう強い歴とした揺るぎない正義や勇気そして意志があったのでは無いだろうか。

あぁ、旅をしたい。

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