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口コミサイトとおもてなし
行き当たりばったりで失敗するのが怖いから。リスクを避けようと思えば口コミサイトは便利だ。そこに書かれていることが客観的事実であるとは限らない。それでもたくさんの声が集まれば相当な説得力がある。あるいは、ほんの一握りの興味深い感想に心が動かされることがある。
飲食店であれば当然、料理のこと、味に関することが中心に書かれていると思ってみると、案外そうでもない。みんな意外に細かいことを気にしている。店の雰囲気とか店主の人柄とか、中でも多いのは接客に関することで、不快な気分になったとあれば、その点について容赦ない口振りで書き込まれている。「どうなってんだ。ありえないよ。二度と行くか」という調子だ。ネガティブな声が連続してみえれば、それを無視することも決断がいる。
「いくら味がよくても……」
初めての店に入るのはある意味とても勇気のいることだ。
座席も料金システムも店主の顔もお手洗いの場所も何もわからない。まともな店であるという保証はどこにもない。
初めてのドアを潜った瞬間、そこは圧倒的なアウェー空間である可能性がある。
「いらっしゃいませ」
もしもその一言が、どこからも聞こえてこなかったら……。その時、あなたは平然といられるか。
何も言わず勝手に店の奥に入り席に着いてしまうというのは一つの賭けである。そのまま放置されてしまう可能性もある。あるいはそこは本来かけてはならない席である場合もある。賢明なあなたならもっと別の手段を考えるだろう。全身にクジャクの羽をまとい、どこからでも目立つようなオーラを発散してみる。それでも駄目なら店の入り口で後ずさりして、何度も出入りを繰り返してみる。自分から「ごめんください」と声を発するのは何か違う気がする。しばらく様子をうかがう内に「いらっしゃいませ」と店の奥から元気にお出迎えの声が聞こえてくるなら、その店はまだよい店ではないだろうか。
「入店に気づいてもらえない。肩を落として帰る人々」
もしもそれでもなお歓迎されない場合、黙って帰るというのは無難な選択だ。はじめに躓いた店は、その後のサービス全般において、安心できない。
「おもてなしは入り口から始まっている」
私たちはただおにぎりを買いにコンビニに行くのではない。
私たちはただコーヒーを飲みにカフェに行くのではない。
私たちはただカレーを食べにカレー屋さんに行くのではない。
私たちはただ本を借りに図書館に行くのではない。
「私たちは何をしにそこに行くのだろう」
私たちはただ美味しいものを食べたくて出かけて行くのだろうか。勿論それもあり、単に空腹が満たされればそれでいいという場合もあるだろう。だが、それだけではない。
「せっかくならば大事にされたい」
ただ外に出て食べるのが外食ではない。
「外食、それは人と人の出会い、人と人との触れ合いだ」
私たちはどこにいても、できれば自分という存在に気づいて欲しい。できれば「よくきたね」と言って迎え入れて欲しい。できれば暖かくして欲しい。できれば大事にして欲しい。
「美味しいものなら自分でも作れる」
味や量、栄養のバランスについて考えるなら、自分で作った方がすべて自分好みにできてしまう。
外食は、美味しいだけでは満足できない。
私たちは食べ物だけを求めてそこに行くのではない。店の空気を楽しむために、もてなす人に会うために足を運ぶのである。
「テイクアウトしてみよう」
持ち帰ることができるなら、何もわざわざ店の奥にまで入る必要もない。
ほんの少し店の雰囲気を味わい、おもてなしの心に触れる。それでも十分だ。
さあ、うちへ帰ろう。
その方が財布にも優しい。
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