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【創作note】個人的ブログの歴史(&note)

 今日はアメーバ運営局からメッセージが届いた。投稿した短歌/折句に行き過ぎた表現があって怒られるのかと思ったら、ネイルグッズが当たるとかのお知らせだった。考えてみればそんなことがあるはずもない。
 そう言えばこのところアクセス数が好調だ。5とか6とかのアクセスがあるようである。多い時には10を超えるアクセスがある日もある。だいたいが0ベースできていたので喜ばしい。0アクセスという時には、何かを投稿してもしなくても0なのだ。そこではずっと折句や短歌をやってきた。自分の中でその熱意はある周期で去っていくようだ。(だから自分を短歌の人とは呼べない)もうやめたと投げ出し、突然何かの拍子に思い出したように帰ってくる。そういう場所があるのはよい。

 12月だけは何もしなくても『折句ストレート』のアクセスが増える。(30、40と増え、いきなり100、200とかになったりする)折句/クリスマスで検索して訪れる人が多いのは、どこかの学校で折句の授業かゲームでもやっているのだろうか。
 折句/クリスマスで検索した時のみ、『折句ストレート』は割と上位に表示される。(gooブログの『折句ラッシュ・クリスマス』も同様のことが起きる)1月になってもアクセスが伸びる傾向は続き、徐々に普段の状態に戻っていく。ただ、0というのはどこかしんみりとする。何かを書けば少なくとも1であってほしいと願う。そんな心理は無意味だろうか。

 ネットの投稿というのは、新しい記事にのみ注目が集まりがちだ。(みんな今を生きているからだ)そうだろうか。答えはそう遠くない気もする。たまに昔書いたものを自分で振り返ってみると思うことがある。書き方ではなく、なんとなく感じる言葉の熱に驚かされるのだ。きっと、あの頃の方が、必死だったのでは……。(もっと夢中だったのでは)実際のところはわからないけれど、体裁とか伝え方とか以前の、向き合い方みたいなものも大事かな、なんて考えさせられる。長く続けていればそういうこともある。色々と波もあり、迷いもあり、新しい発見もある。

 今、残ったのはそうした数えるほどの帰れる場所と「note」だ。
 ここにも色々と楽しげなことがある。面白い人、共感できる人、優しい人がいるように思う。もうすぐ1年が経つ。わからないけどそんな気がする。最近、ツイートはしていない。SNSは離れる時は自然と離れてしまうもの。ここは落ち着く。ような気がする。画面表示がたまに重い。iPhoneがわるいのか。どうだろうか。

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#とは

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