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自分の領域への浸食がもたらすもの~「カンバセーション…盗聴…」「善き人のためのソナタ」

自分のプライベートな領域と他者と交際する領域と。
この二つが明確に線引きされていてこそ、自己というものを保ち続けられるわけで、そこが浸食されようものなら文字通り自分が自分でなくなってきてしまう。そんな自我の崩壊を描いた作品を今回ご紹介。
まずは1974年公開、コッポラ監督作品の「カンバセーション…盗聴…」

盗聴のプロにとっての向こう側とこちら側とが、次第に融解しあっていく。
最後には唯一の安らぎであるサクソフォンに身を委ねるのみ。その姿は幼気な赤子のような結末である。
リアリティ映画かと思いきやなかなかにサイケデリックな?演出。現実と幻覚の入り乱れ具合が、我々視聴者に恐怖の念を想起させる。

これはバッドエンド系の作品だが、逆に毒気を抜かれて昇華していくような作品もある。
2006年公開、「善き人のためのソナタ」

こちらは「カンバセーション」より10年ほど後の時代設定。でも部隊が東ドイツということもあってか、戦時下の印象が強い。
盗聴をするヴィースラー大尉は、ターゲットの生活を覗き見ていくうちに彼らの考え方に触れ、彼らの奏でるピアノソナタに激しく心を動かされる。
それがいわば「転向」のきっかけになるわけだ。

その結果、大尉は左遷され、東ドイツ崩壊後も日雇いバイトで糊口をしのぐ生活に身をやつすことになる。しかしそれでもそのターゲットであった作家の著作を手に取り、その魂は救いを得ることになる。という。。

まあ、わからなくはないのだが、今の時代となってはややストーリーがありきたりな気もする。あえての演出とは思うが主人公の大尉の内面があまり語られないため、最後の救いもいまいちピンとこない。自分の行為に対してどう思っていたのか。そういうオリジナリティという点で惜しかったなあというのが観終わった直後の感想。

とはいえ、全編静謐な空気が覆っていてこれがドイツの雰囲気なのかなと思わされる。そう思うと前者の映画は、やはりアメリカアメリカしていたかな。

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