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草書のような映画!?~「恋する惑星」

日に日に中国本土との同一化が強まっている香港。
しかし20世紀の香港は、混沌であると同時にモードの先端をいっていた。
そんな香港の(最後の)空気を色濃く纏っている映画、それが1994年公開「恋する惑星」であろう。

公開当時はまだ映画にそれほど興味はなく、金城武とフェイ・ウォンの名前を聞いたことがあった程度。しかもフェイ・ウォンはこの数年後のファイナルファンタジーの主題歌から知ったという。。

それで、公開から28年もたった今年になって今更視聴したわけだが。

冒頭に述べたような香港の猥雑さ、それでいてどこか開放的な感じを、いくつかものパッチワークで描出しているような印象を受けた。
開放的というのは街並みだけでなく、登場する人々の心情や立ち居振る舞いがどこかそう感じさせるのだ。

ただポイントなのは、そういう「感じ」を与えているという点。
よくよく見るとこれといったあらすじもなく、なんとなくオシャレ~、なんとなく刹那的でカッコイイ~、不思議とそう思わせる演出が絶妙なのだ。

映画にはいくつかの見方があると最近やっとわかってきたのだが、本作はその物語性をじっくり味わうというよりは、より距離をとって、解像度を落として鑑賞すべきものなのではなかろうかと思う。
水墨画の世界には、その描くモチーフの解像度・堅牢さから、真・行・草の三種あるという(真が一番かっちりしていて草が朦朧としている。書道の真書(楷書)・行書・草書と同じ感じか)。それでいえば、本作は行体の映画と言えると思う。

いやいや、それは読み込みが甘いよ、そんなお叱りの声も聞こえてきそうだが、今の自分にとってはこれが限界ということで。

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