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ストリート・ファイティング・マン/ザ・ローリング・ストーンズ Street Fighting Man / The Rolling Stones

東京に住んでいた頃、ゲームの会を結成した。
80年代当時、同郷の友人のK崎くんはT大学駅、俺はY天寺駅、I原くんはN目黒駅に住んでいた。
仕事が終わった人から順にK崎くんのアパートに帰宅?し、当時爆発的人気を誇ったファミコンソフト「ポートピア連続殺人事件」を3人で解いた。

あーでもないこーでもないと面白がって解いていった。
夕方7時ぐらいから夜中の2~3時ぐらいまで没頭した。
そして次の日の仕事があるからと3人とも寝てK崎くんのアパートから仕事に行った。
そして仕事が終わるとまたK崎くんのアパートに帰って来た。

ある時俺はハタと気がついた。
「あ!マズい!俺らが寝ている間に犯人がどんどん遠くに逃げてしまうんじゃない?!」
本気でそう思った。
それからは3人で交代しながら寝ずに犯人を追いかけた。

3人ともバカだったな。

この会がきっかけとなって、3人がS県に帰郷してからも年に数回ボードゲームの会を開催した。
K崎くんが寿司屋だったのでお店が月曜休みで、年に数回ある月曜祝日に行われた。
K崎くんが会長。
I原くんが顧問。
俺が相談役と決まった。
そのほかにも何人かの正会員や非正規会員などが加入や脱退を繰り返した。

例会は昼前に集まって前哨戦にBBQをやってから夜中までボードゲームに勤しんだ。
歳をとっていつしかBBQがメインになってしまったが(笑)

会長であるK崎くんはボードゲームのコレクターになっていて約200個ほどの輸入ボードゲームコレクションを持っていた。
当時六本木に「PLAY THINGS」というパズルと輸入ボードゲーム専門店があって、そこから年に何回か新作カタログが送られてきた。みんなで相談してゲームを選んで通信販売で購入していた。

モノポリー、スコットランドヤード、マンハッタン、カタンなどなど。
今でいうところのスタンダードなものから、とうの昔に絶版になってしまったようなかなりマニアックなものまで、納戸いっぱいにボードゲームが溢れていた。
特にドイツのゲーム大賞を受賞したものとラベンスバーガー社のゲームに秀逸なものが多かったのでそれらを優先的に購入した。
もはやどこにどのゲームがあるのか会長本人も把握できていなかった。
彼は片付けが苦手なのだ。

初期の頃は販売会社の翻訳などのサポートが行き届かず、全て現地語のオリジナル版で、ドイツのゲームなどは解説書とドイツ語のルールの翻訳を読みながら考え考えプレイした。
時にはルールを間違えて解釈していて、ある日突然ルール変更が行われたりした。
感心することにK崎会長は事前にルールを読み、1人で4人分のプレイを実際にプレイし、シミュレーションしてから例会に掛けた。
想像するに1人でのシミュレーションはほとんど苦行に近いものがあっただろう。
しかしルールを理解してから会員に披露しないと会長の威厳が保てないのだ。
会長の座を死守するためにはそうせざるを得なかったのだろうな(笑)

K崎会長がみんなにルールを説明しているうちに、そのあまりの複雑さに嫌気がさして、結局プレイしないゲームもたまにあった。
というかかなりの数にのぼった。
ルールの説明だけで30分ほどかかるものもあった。
説明の最中にI原くんが俺に(これホントにやるのか?)と目くばせをしてくるのだ。
説明が終わったころK崎会長が俺たちの気配を察してお蔵入りにした。

当時にしてみればマニアックな会で、プレイしたゲームの数、時間はなかなかのものだと言う自負があった。
ゲームのたびにノートにプレイ記録が残されていて、その中にコラムなどもあり、「さいころ2つをドライブ回転で投げるとゾロ目が出やすい」だの「避難用のヘルメットをかぶってプレイすると相手に当てられない」だのと今となってはバカバカしいことこの上ないジンクスがてんこ盛りになっている。

愚かしくも楽しい時間だった。

コロナの直前ぐらいのタイミングの時、BBQをしながら音楽の話になった。
K崎会長はベースプレイヤーで、I原くんはミック・ジャガーに似ていて、俺がギターを弾けるから、ヒラ会員のM永さんに無理やりドラムを担当させて音楽活動もしてみようということになった。

全員が知ってる曲って何かな。
「まず手始めにストーンズの曲でもやろう」と言うことになり、I原くんに「どの曲がいい?」と尋ねたところ、「ストリート・ファイティング・マン」という答えが返ってきた。
K崎会長は「また微妙にやりにくい曲を選んだな」と言ってその日から各自練習を開始した。

妻が「私も参加したい」と言うのでピアノを担当してもらうことにした。

K崎会長は電話で「ビル・ワイマンのベースが変態すぎてよく分からん」と嘆いていた。

結局スタジオを借りて一度みんなで合わせた後、BBQは継続されたが、K崎会長が帰らぬ人となってしまったので、それが最初で最後の活動になってしまった。

このボードゲームの会は約40年間続いた。
永遠に続くと思っていた。



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