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エッセイを書きたい。
「ずっとそばにいるよ」
「大切にするよ」
そんな耳触りのいいことを言ってくる男の人はだいたいずっとそばにはいないし、大切にもしてくれない。
みたいなことを急に思っては、むりやり思考の世界に連れ去られて、読んでいる文章が頭に入ってこなくなる。
というのが私の日常です。
本の言葉や光の差し方、匂いなど、さまざまなものに感化されて、すぐに記憶が戻ってくるのです。
それも切ない気持ちだったり悲しい気持ちだったりと、嫌な方向に感情が揺さぶられます。
さて話は変わりますが私は今、webライターをしています。きっかけは家で仕事をしたかったから。
もともとは看護師でした。
人と話すのは得意ですし、人見知りもあんまりしません。
だけど興味もない人に媚を売ったり、深く関わりたくもないのに日常を詮索されたりするのは疲れます。
それに看護師の仕事は人間関係が辛くて、適応障害になったり、病気がちになったりと、自分には合っていませんでした。
心を込めて看護をしたって、認知症の患者さんからは感謝もされず、暴力を受けます。思っていた看護とは違いました。
看護師としての生活の、なにもかもが私の心を傷つけたのです。
外の世界にできるだけ出たくないなぁ、と在宅ワークを探していて、たどり着いたのがwebライターでした。
文章を書くというお仕事が魅力的だったんです。小説を読むのは昔から好きでした。
日記を書いて気持ちを伝えたり、二次創作で小説を書いたりもしていました。
看護師以外の道を探したとき、ふと「エッセイを書きたい」と思ったんです。ずっと何者かになりたいと心の深いところで思っていました。
だけど芸能人になれるような美貌も根性も華やかさも持ち合わせていない。
アイドルの真似っ子をして弟の前でコンサートを開いていたあの頃の、無邪気さもまっすぐさも、もうない。
もし私が何者かになれるとしたら?そう考えたとき“私が見ている世界は人とはちがう”ということを思い出したんです。
変わってるね、そんなの考えたこともなかった、気にしすぎだって。
今までもらった言葉たちは、私とみんなとの境界線でした。
ずっと生きづらいと感じていたこの感性は、上手く使えば何者かになれるかもしれない、というひとつの希望だったのです。
(今となってはHSPの人はライター界隈にたくさんいて、私だけが特別なんてことはないと思い知っているのですが)
ずっとそばにいるよ、なんていう人はだいたいずっとそばにはいないよなぁ
こんなどうでもいい日常の思考を文章にしていたら、いつか私のファンができて、有名人になれるかもしれない。
これは名案だ!!!
私はwebライターになるべきなんだ!!
と、2022年1月の私は本気で思いました。(今でもちょっと思っています)
その頃はwebライターとエッセイストにはかなり大きな差があるなんて、微塵も知りませんでした。
エッセイストはだいたい有名人で、みんなその人自身に興味があるから読まれるんだと思います。星野源さんとか。
私は人気者でもないし、知名度もないし、文章力も表現力もありません。エッセイストになれる未来がまったく見えないんです。
だけど、私の大きな野望は【webライターで有名になって、Twitterのフォロワーが数万人になって、売れっ子のエッセイストになる】です。
今のところは、どうでもいい日常をそれっぽくnoteで書いてみることをエッセイストへの道の第一歩とします。
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