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「だって、誰も幸せにならないんだもん」

役場職員時代にお世話になった真田さん(仮名)とお会いしたときの話、パート2です。

パート1はこちら↓


ホルジンをたらふく頬張った我々は、そのかぐわしい焼肉臭を落とすべく温泉へ向かった。

街灯のあまりない道を通るのは、田舎あるあるだろう。暗闇の中を車で20分ほど進むと、一本木のイルミネーションが綺麗な山間のホテルに到着した。
真田さんを信用していなかったわけではないが、道中は本当に真っ暗だったので、目的地にたどり着けるかどうか不安だった。往路も復路も無事だったので、なによりなにより。

真田さん「一緒にいるのはおじさんだけどね」

一般的な感想を述べるなら温泉のことを書くのがセオリーなのだろうが、僕の場合は違った(施設の名誉のために「いい湯だった」と添えておく)。温泉よりもなによりも、帰りの車内で真田さんが話した内容が強烈に印象に残っている。


「うちのまち、お祭りやめたんだよね」


真田さんは、とあるまちの課長(そこの役場職員としては最高位の役職)で観光などを担当している。その観光担当課長がまちの一大イベントであろうお祭りをやめたのだ。
この発言には、多くの人が衝撃を受けるだろう。僕は驚きのあまり、毛玉を吐くハチワレのように「エッ」という声を出した。

僕の働いていた自治体でも、年に一度の大きなお祭りがある。著名人を招いたり地元の特産品を販売したりと、地方の小さなまちで最も魅力の大きいPR方法がお祭りだ。まちの行事として当たり前にあるものだったから、「やめる」という選択は考えたこともない。コロナ禍で中止ないし縮小といったことはあっても、完全になくすという発想はなかった。やめたのには相当な理由があるに違いない。

複雑な事情があるのかと思ったら、意外にも真田さんはさらっと答えた。


「だって、誰も幸せにならないんだもん」


真田さんの考えとしてはこうだ。

お祭りは、そのまちの職員がスタッフとして働く。
職員は通常勤務に加えてお祭りのスタッフをすることになるので、当然負担が大きい。
すると、職員にとってお祭りは足枷になってしまう。

「でも、時間外手当とか振替休日とかもらえるんならいいじゃん」と言いたい気持ちもわかるが、よく考えてみてほしい。

平日はいつもどおり仕事をして、土曜日に前日準備、日曜日にお祭り当日を迎え、月曜日からまた通常勤務に戻る。
”公務員=残業がない”というイメージがあるかもしれないが、それが見当違いだと断言できるぐらい、役所・役場は意外と忙しい。
その激務に加え、土日は行事の手伝いで駆り出され、自分の時間はおろか休息もままならない状態で月曜日を迎えるのだ。

振替休日にしたって、平日に気軽に休めるほど仕事に余裕はない(余裕のある人もいるのだろうが、少数派だと思う)。結局、サービス残業と同じ扱いになってしまう場合も少なくないだろう。職員のモチベーションが下がるのも無理はない。


それに、お祭りにはお金が必要だ。
そのお金はまちの予算、つまり税金で賄われている。安易に使うことは許されない。
その予算が毎年数億円規模で計上されているのだから、それに見合う成果をあげる必要がある。成果というのは、まちへの移住者の増加、地元業者の利益増加、地元特産品のブランド向上など。

では、数億円かけてこのような成果があったかというと、答えは「No」だ。
お祭りに来る人というのはそもそも遊びに来ているだけだから、これが移住につながることは滅多にない。「お祭りが楽しかったからこのまちに住もう」とはならないのである。
地元業者の利益も、莫大な経費に比べれば雀の涙ほどしかない。
特産品のブランド化が進んでいないことは、その商品の売れ行きや知名度を調べればすぐにわかる。


つまり、職員の負担が大きく、使ったお金の割に得られるメリットが少ないため、「それならお祭りはやめて、違うところに予算を使おう」と考えたわけだ。非常に合理的な考え方である。


もちろん、お祭りを楽しみにしている住民も多いと思う。地元のお祭りが好きで、幼少の思い出として強く残っている人もたくさんいるだろう。
お祭りをやめてしまえば、そんな人たちから文句の一つも言われそうなものだが。

僕の不安をよそに、真田さんは言った。


「そういうときは『では、あなたがお祭りの実行委員長になってください。役場は全面的にバックアップしますから』って言うんだけど、そう言ったら大体の人は黙るんだよね」


役場は、なんでも屋さんではない。
行政というものは、住民がより快適に、より幸せに暮らすためのサポートをするためにある。そのために住民から税金を頂き、運用しているのだ。大切な税金を、一部の人間の感情論だけで浪費するわけにはいかない。
「行政が費用対効果を重視するのはよくない」といった声も聞くが、できるだけ多くの住民を幸せにするために税金のやりくりをしなければならないので、税収の少ない地方自治体なんかではむしろ逆ではないかとさえ思う。

そう考えると、むやみにお祭りを開催しても、職員は疲弊し人口は減り続けるという悪循環に陥るだけではないだろうか。
そしてそれは、長い目で見ると誰も幸せにならないのだ。


真田さんがお祭りをやめたことには賛否両論あると思う。それも、圧倒的に否が多いくらいに。
しかし、真田さんはお祭りをやめた一方で、保育園の体験入園や民泊といった事業に力を入れている。
「このまちで実際に生活してもらうことで、住みやすさを感じてほしい」と真田さんは話す。

つまり、観光地としての立ち位置ではなく、あくまでも生活拠点としての魅力を発信していく方針だ。

なるほど、そのほうが移住を考えている人にとっては有益だし、移住者が増えればまちにも活気が出る。とにかく人が増えればいいというわけではないが、人がどんどん減っていき寂れてしまうよりはよっぽどマシだ。


この話を聞いて、役場職員時代にもっと真田さんと話しておけばよかったと思ったのが一つ。

もう一つは、地域にも適切な立ち位置があるのかもしれないなと。
たとえば、麦わらの一味にはいろんなキャラクターがいる。船長、剣豪、航海士、狙撃手、料理人、(わたあめが大好きな)船医、考古学者、船大工、音楽家、操舵手と、それぞれに役割がある。性格も能力も全員違う。

同じように、都会には都会の、田舎には田舎の役割があって、それぞれ違った営み方があるのではないだろうか。
田舎が都会のマネをしても、うまくいくとは限らない。その逆も然り。
だから、自分の住んでいる地域の立ち位置を考えることは、地方自治体の問題解決の糸口につながると思う。

そして、目指す立ち位置が決まったとき、どんなお金の使い方をすればいいのかが見えてくる。
そうなれば、然るべきところに税金が使われるようになるのではないだろうか。


まるで役場職員に戻ったかのように、僕はまちづくりについて考えていた。


20分経ち、真田さんのご自宅に到着した。
時刻は午後9時30分。夜はまだまだこれから。


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