恵比寿は田舎?地元に長くお住まいの年配の方に話を
渋谷区・恵比寿地域に長くお住まいの年配の方とお話しすると、自分達のことは田舎者だとおっしゃいます。
恵比寿の脇を流れる小川は古川と言うのですが、上流に進むと渋谷川と名前を変え、「春の小川はさらさら行くよ〜♪」の歌詞で知られる唱歌『春の小川』のモデルと言われている渋谷川の支川「河骨川」(こうほねがわ)にもつながります。
この画像は江戸時代に活躍した浮世絵師・歌川広重による初代「名所江戸百景広尾ふる川」 安政3(1856)年(港郷土資料館蔵)です。川にかかっている橋は「四の橋」といいます。
※港区ホームページより引用
首都高をお使いの方なら「一ノ橋ジャンクション」をご存じでしょうか。あの場所が「一の橋」で、そこから古川上流に向けて「二の橋」「三の橋」そして白金商店街の先に赤色の鉄橋となって姿を残す「四の橋」と続きます。
現在はその多くが首都高の下という環境になってしまった古川ですが、浮世絵で描かれた地形は、今もそのままです。恵比寿〜広尾地域がのどかな場所だったのは間違いないです。
流石にそれは江戸時代の話としても、昭和の時代には恵比寿にサッポロビール(当時は日本麦酒醸造)の工事がありましたので、工場を中心に下町が広がっていて、風向きによってビールの匂いがぶわぁっと町中に漂っていたそうです。年配の方が、小学校の頃の思い出として、教室の中まで届くビールの香りのことを話してくださいました。
JR恵比寿駅は元々、ビール工場の貨物専用駅だったわけですが、私が上京した時にはちょうど恵比寿ガーデンプレイスに姿を変えていました。
私は大阪の出身で、子どもの頃に見た吹田駅から見えるアサヒビール吹田工場の貨物駅の景色が鮮明に記憶に残っているのですが、恵比寿の昭和時代写真を見ると、吹田のビール工場の記憶とそっくりです。
あの頃の吹田の下町に似た景色が #恵比寿 にも広がっていたのかもしれません。
今はどんどん姿を消していきますが、街の至る所に小さな町工場がありました。現在の恵比寿駅前の喧騒からはあまり想像できないかもしれませんが、昔の人が自分達のことを「田舎者」という、ちょっとのどかなかつての街並みに思いを馳せるのでした。
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