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大人になれない僕たちは 第2話 タバコの煙は天まで伸びて


「ですから、なぜ独身の主人公が仕事も恋愛も上手くいかず、焦って婚カツに奮闘する設定なんですか」

 茜の声が響く。

「今の時代、結婚してもしなくても、人生を謳歌しています。結婚に焦って迷走している主人公だなんて一昔前のありきたりなキャラクター設定です。そんなの誰も興味を持ちませんよ」

 会議室には、重たい空気が流れていく。藤沢部長が一呼吸置いて、半ば呆れたように小さく笑みを浮かべた。息巻く茜が、このまま藤沢部長に暴言のひとつでも口走るのではないかと、俺は内心ヒヤヒヤしていた。茜とは反対に、こういった時も冷静でコンプライアンスを遵守するような凛とした藤沢部長の振る舞いは、さすが最年少で統括責任者を任せられた経歴の持ち主だ。

「隆二、君はどう思うかね?」

「私は…」

 ふいの投げかけに、俺はすぐに周りを見渡した。皆、自分に意見を求めるなと、一斉に下を向いている。

 今度のドラマは、はずせない。前回クールは、まわりの反対を押しきって別居婚を選んだ若い夫婦の物語だった。途中で、アイドルと人気子役、猫まで登場させたが視聴率は散々な結果で、次こけたらバラエティ班が腕を鳴らして待っている。
 『新しい価値観を』をテーマにして鳴り物入りではじまったドラマ枠は、1年もしないうちに打ち切りの危機に陥っていた。

「そうですね…」

 言葉を濁していると、茜が冷たい視線を向けてきた。これでも、同期の茜とは、二人で切磋琢磨してきたつもりだ。ドラマ界の革命児になる。そう目指して、入社当初から新しいことにも躊躇なく挑戦してきた。ただ、最近、頭角を現しているバラエティー班の純平にチャンスを与えるのだけは避けたかった。

 藤沢部長は、ドラマの黄金時代を築き上げた功労者だ。その部長が万人受けするドラマを作ると言っている。原作ものはそれなりに確実な数字が残せる。反対するわけはなかった。

「原作の漫画は今でも根強いファンがいます。オリジナル脚本よりも数字は見込めるかと…」

「変化を恐れたら、これからのドラマは終わってしまいますよ!」

 そう強気で反論した茜に、最後まで誰も援護はしなかった。

「この話しは終わりだ。お疲れさま」

 会議が終わると、茜は黙って席を立った。独身だから主人公と自分を投影しすぎたのだろうと、揶揄する声が聞こえた。ひとりで戦う姿勢はあっぱれだと藤沢部長は笑っていたが、もうちょっと上手く立ち回れば、軋轢を生むことはない。可哀想だと思うが、俺は茜を追いかけることはしなかった。

 ー新しい時代を作る。
 
 そう思ってこの業界に入った。それなのに、すぐに理想は理想のままだと悟った俺は、いつしかサラリーマンとして振る舞うようになっていった。これでいい。自分に言い訳をしながら、なんとか10年やってきた。この10年、新しい何かを作れたのだろうか。

 屋上に向かうと、春の風が心地いい。仕事でむしゃくしゃした時の逃げ場はここだと決めている。世間のルールも常識も時代とともに変化する。その変化に順応することは難しい。ましてや、新しい価値観を広めようとするならば、それは容易いことではない。それは茜だってわかっているはずだ。

 タバコに火をつけようとした時、じっと睨み付けてくるような視線があった。振り返ると、ADがブスくれた顔をして立っていた。今年に入って5人目だ。皆、名前を覚える前にろくに挨拶もしないで辞めていく。きっと彼女もそうだろう。

 「あぁ、ここは禁煙だった」
 
 ごまかすように笑いながらタバコをポケットにしまうと、彼女は表情一つ変えずに会議資料を押し付けるように差し出してきた。資料を受け取ろうとして、手を止める。彼女は、あのやり取りをどう思っただろうか。彼女の意見を聞きたくなった。

「さっきの会議どう思った?」

 問いかけが唐突だったのか、彼女は戸惑った表情をした。

「茜のあの発言を、既婚者の俺が援護してたら通ってたと思う?」

 彼女はまた、俺の目を睨み付けている。その強気な目付きは、茜にどこか似ているものがあった。もしかしたら、昔の自分もこういう目をしていたのだろうか。

「あいつじゃなくて俺があの発言してたら、会議の空気も少しは変わってたのかなって」

 陰口を叩いて何もしなかった奴らとあなたは何も変わらないと、軽蔑したような彼女の視線は、小さな反発のようにも思えた。

「人は都合のいい見方しか出来ない生き物ですから。立場が変われば、見方も変わる。でも、それは茜さんの意見を擁護しなかった理由にはならないと思います」

 彼女は、そういうと資料を俺の手に押し込んだ。心を見透かされたような気がした。意見が通らなかったのは、独身の茜のせいで、自分が援護しなかったせいじゃない。俺はどこかでそう思っていた。

「ね、君の名前、何て言うの。まだ聞いてなかったよね」

 彼女は、立ち止まる。

「岬です。先日もご挨拶したと思いますけど」

「あぁ、そうだった。悪い」

 名前を聞いたのは、確か3回目くらいかもしれない。きっと、ムッとしただろう。彼女は、何も言わずにドアを開けて降りていった。

 タバコに火をつける。煙は、ゆっくりと、上へ上へと伸びていく。まるで、俺を見下しているかのように。俺は、いつしか都合のいいようにしか物を見れなくなったのかもしれない。変化を恐れ出したのはいつからだろう。
 そうはなりたくない。そう思っていた大人に、俺はなってしまったのかも知れない。

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