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クロスボール#10

前回のあらすじ…
新人戦で優勝した高野中学との練習試合。ハルトは、相手の強引なプレーに苛立ち、乱闘騒ぎを起こしてしまう。途中出場したケイシだったが、ハルトを欠いたチームでは勝つことが出来ず…
《目次》
第1話 ヒーロー
第2話 無謀な戦い
第3話 胸焼け
第4話 オレンジジュース
第5話 背中
第6話 猫のようなやつ
第7話 苛立ち
第8話 恋
第9話 ベンチ

第10話 捻挫


「捻挫だな」

 試合に出た喜びは、ほんの一瞬だった。ケイシは、痛む足を抑えながら保健室にいた。

「何で3分間で、怪我できるんだよ」

 ダイチが、横で呆れた顔をして笑っている。ケイシは、残り時間がわずかというところで、向かってきたボールに必死になって、飛び上がった。その結果、相手選手と競り合いに負け、着地に失敗し、右足に軽い捻挫を起こしてしまっていた。

「大丈夫か?」

 着替えを終えたユウマが、心配して保健室にやってきた。

「別の意味で持ってるよ、こいつ」

 ダイチは、ユウマに向かって茶化すように呟く。ダイチの言葉に、ケイシは何も言い返すことが出来なかった。

 ケイシはこの後すぐに、坂田に連れられて病院に向かうことになった。坂田に促され、車に乗り込む。ダイチが手を振った。

 学校を出るとすぐに、車のサイドミラーに、青いセーラー服の後ろ姿が映っていたのが見えた。きっとユイだ。ケイシは、すぐに振り返たが、ユイの顔をはっきりと見ることは出来なかった。

 見にきてと言った試合で、ハルトは乱闘騒ぎを起こし、自分は怪我を負った。きっとユイは、呆れているだろう。ケイシは、恥ずかしさでいっぱいだった。

「あぁ軽い捻挫ですね。ま、全治1,2週間ってとこでしょ」

 医者は、軽い口調で、あっさりとケイシに診断結果を伝えた。

「まぁ、仕方ないな。ゆっくり休め」

 せっかく試合に出られたというのに、ゆっくり休めば、またレギュラーは遠のくだろう。チームにとって、それ程、痛手ではない存在だということは分かっているつもりだったが、坂田の一言がケイシの心をえぐっていった。

「やっぱ、持ってないね」

 学校でケイシを待っていたダイチが、哀れな目で見つめてきた。

「ハルトも、乱闘騒ぎなんて起こして、どうしたんだろう」

 ハルトの様子も気がかりだった。右足首は、ズキズキと痛む。やはり自分は持っていないヤツの方だ。ケイシは、ハルトのことよりも、自分の感情を押さえることで精一杯だった。

 坂田の運転で、家まで送ってもらうと、母が慌てた様子で玄関から出てきた。怪我の具合を聞かされた母は、頭を深く下げる坂田に、「男の子なんですからこれくらいの怪我大丈夫ですよ」と、笑顔で答えていた。

「ちょっと、大丈夫なの?」

 坂田が帰ると、母は執拗に右足を触ってきた。

「痛いから触るなよ。たいしたことねぇよ」

 階段を、片足で一段ずつ上る。支える手には、力が入った。やっとの思いで部屋のドアを開けると、ケイシの机の上には、塾のパンフレットが3つ置いてあるのが見えた。きっと、父だ。ケイシは、すぐにそのパンフレットを手に取ると、ゴミ箱に投げ入れた。

 向かうのはプールだ。こういう時はプールしかない。ケイシは、すぐに階段を一段ずつ下りて、玄関を出た。泳げないことは分かっている。

「遠いな」

 2、3日は使って下さいと言われて借りた松葉杖は、ケイシの背には少し大きかった。

「あの医者め!」

 ケイシは、一歩、一歩プールへと向かった。慣れない松葉杖に、自転車で10分ほどの距離がやけに遠く感じる。

「部活よりきついかも」

 ようやくプールに着くと、ケイシは疲れ切っていた。

「あれ?」

 プールの照明は落ち、入口の門には施錠がされていた。覗き込むと、中には業者らしき人影がある。杉山の姿はどこにもない。奥には、達筆な字で書かれた貼り紙があるのが見えた。

「……改修工事の為、一週間閉館?」

 ケイシは、愕然とした。

「何だよ、聞いてねぇよ。もっと分かりやすいとこに貼れよ、じじぃ!」

 入口の門を松葉杖で叩くと、鈍い音が全身に伝わった。ケイシは溜息をついて、また、ゆっくりと松葉杖をつきながらプールを後に、歩き始めた。

「足、大丈夫?」

 突然、後ろから声がした。

「うわぁ」

 ケイシは驚き、尻餅をついた。振り向くと、そこにいたのはユイだった。青いセーラー服を着たユイは、ゆっくりと近づくと、ケイシに右手を差し伸べてきた。細い指は、今にも折れそうに見えた。

「驚かせるつもりはなかったんだけど。ごめんなさい。プールは、入れないみたいね」

「あ、うん」

 ユイの手を借りて立ち上がる。

「あ、ごめん……。じゃなくて、ありがとう」

 ケイシは、すぐにユイの手を離した。ユイは、戸惑うケイシの表情を、不思議そうに見つめていた。

「あと、来てくれたのに、ごめん」

「何が?」

 沈黙するのが怖く、ケイシはすぐに話し始めた。

「この間の試合」

「ううん、楽しかった」

「でも、試合も負けちゃったし……」

「試合のことは良く分からないけど、ハルトって人、やっぱり私の思った通りの人だった」

「え?」

 ユイは微笑むと、松葉杖を拾い上げてケイシに手渡してきた。

「それじゃ、また」

「あの!」

 ケイシは思わず呼び止めた。ユイが、不思議そうな顔をして振り返る。

「また、見に来てよ」

 何故、こんなことを言ったのだろう。ただ、ユイに会う口実が欲しかっただけなのかもしれない。ユイは、ケイシの目をまっすぐ見つめて、そうね、と言った。

 

 途中、学校に立ち寄った。やはり、そこにはハルトがいた。一人で黙々と練習しているハルトは、どこか寂しげに見えた。ケイシは声をかけようとして、立ち止まる。もう少し、ここからハルトの姿を見ていたかった。

 ハルトは多分、泣いている。もしかしたら、そんなハルトに何と声をかけたらいいか分からなかったからかもしれない。ハルトは手で顔を拭うと、また、ボールに立ち向かっていく。

 しばらくすると、ようやくケイシに気が付いた。目を赤くしたハルトは、そのままボールを片づけ、何も言わずにケイシの横を通り過ぎていく。

「おい!」

 ケイシの呼びかけに、ハルトが立ち止まった。

「どうしたんだよ。この頃、お前、変だよ」

「何でもねぇよ」

「何でもねぇわけないだろ。今日だってあんなに暴れて、周りにどれだけ迷惑かければいいんだよ。皆、心配してるんだぞ」

「心配?余計なお世話だ」

「そんな言い方……」

 ケイシの言葉を遮るように、ハルトが続けた。

「これは俺の問題なんだ。お前には、関係ない」

 立ち去ろうとするハルトの腕を、ケイシは松葉杖をしているのも忘れて引っ張った。ハルトは、目に涙を浮かべている。何かを隠している、ケイシはそう思っていた。

「なぁ、何、焦ってるんだよ」

「焦ってなんかねぇよ。人の心配してるくらいなら、さっさとその足治せ」

 ハルトの言う通り、人の心配なんてしている場合ではない。ハルトの後ろ姿は、どこかあの運ばれてきた子猫のように震えているように見えた。

 

 次の日、ハルトは、何事もなかったようにグラウンドへと現れた。もちろん謝罪なんてするやつでもないし、周りもそれを期待していなかった。

「俺がいなかったから試合に負けたんだ」

 ハルトは、そんな感じのことを、さらっと言ってのけた。

「おい、おい。その冗談はキツイぜ」

 間に入る気力のないケイシの代わりに、ダイチがおどけていた。

「ケイシ、ボールを取ってくれ」

「おう」

 1週間、ずっとケイシは雑用係をやっている。ゼッケンを洗ったり、部室を掃除したりと、忙しい。チームメイトが練習する横で、汚れたサッカーボールを磨いている。ダイチが通りかかると、「マネージャーの方がお似合いだな」と、からかった。

 綺麗にしてもまた、泥だらけになって戻ってくる。ボールを、こんなに煩わしいものだと思ったことは、ないかもしれない。ユウマだけが「すごく助かるよ」と、言ってねぎらってくれていた。

 ハルトの調子は、まだ、上がっていない。何もなかったように振る舞う姿に、ケイシは声をかけられないでいた。

第11話 嫌味



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