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クロスボール#21

前回(第20話 決勝)のあらすじ…
膠着状態が続いた決勝戦、最後のチャンスに倒されたハルトがPKを決め、三坂中学は優勝を手にする。会場では、ハルトを見つめるユイの姿があった。絶対的エースのハルトとの違いを見せつけられたケイシは、自分を追い詰めていき…

第21話 青い世界


「小僧、どうした?」

 ケイシは、試合用のユニフォームのまま、プールの受付の前にうずくまって座り込んでいた。まっすぐ家に帰れば、父と顔を合わせることになる。小言を聞けば、感情は止まらなくなる。

「優勝、おめでとう」

 顔を上げると、そこにはユイがいた。ハルトに無邪気に笑いかけていたユイの顔は、そこにはない。ケイシは目を逸らしたまま、膝をかかえてうずくまる。そうすることでしか、自分の気持ちをコントロール出来ないでいた。

「どうしたの?」

「おい、小僧?」

 2人の呼びかけに、ケイシの涙は止まらなかった。このままプールに飛び込んでしまいたい。

「何でもない」

 ケイシは、駆け出していた。吐き出してしまえば、自分が壊れそうな気がしていた。途中、乗ってきた自転車をプールに置いたままだと気がついたが、そんなことはもう、どうでも良かった。この足を止めたら、涙がケイシのすべてを飲みこんでしまいそうだった。

 気がつくと、ケイシはグラウンドの中央でハルトを指さしていた。

 ダイチもユウマも、ケイシが無理やり呼びつけた。来ないなら死んでやる、多分そんなことを言った様な気がする。

「何する気だよ、ケイシ」

 ダイチもユウマも、不安そうな顔をしている。

「勝負だ!」

「は?」

 ケイシの言葉に、ダイチが目を丸くした。

「お前、何言ってるんだよ。どうせ負けるって。それに、さっき試合が終わったばっかりだろ」

「黙ってろ!」

 ケイシは叫んでいた。

「良いか、勝負はこのワンボールだ」

 ボールをハルトに差し出す。真剣だった。無茶苦茶なことを言っていることなんて分かっている。ハルトが試合で疲れていようが関係ない。それでもいい。ケイシは、ハルトに勝ちたかった。

 目は泣き疲れて、腫れている。そこにいる誰もが、ケイシの姿に戸惑っているように見えた。

「審判はユウマ、立会人はダイチだ」

 ハルトは何も言わず、ケイシの顔をただ、真っ直ぐ見つめていた。目を逸らそうとしないのは、きっとハルトの強さなのだろう。

「まったく、ケイシのやつ」

 ユウマは、ハルトからボールを受け取り、ハーフコートの中央に置いた。

「表と裏、どうする?」

 ユウマの問いかけに、ハルトは何も答えない。ハンデのつもりなのか、その気遣いすらケイシを苛立たせていた。

「表だ」

 ケイシの言葉を確認して、ユウマがコインを投げる。コインは、空高く舞い上がり、ユウマの手の中に吸い込まれていった。

「ハルトがオフェンスだ」

「あいつ、つくづく持ってないよ」

 ダイチのため息が聞こえた。

「ゴールを決めればハルトの勝ち、奪ったらケイシの勝ちだ。良いな」

 ユウマの声にケイシは頷いた。掛け声とともに、ハルトにボールが渡る。

 負けるわけにはいかなかった。ハルトは、まだ迷っているようだった。ボールを足にかけたまま、眉を下げ、俯いている。

「はじめ」

 ユウマの掛け声で、先に仕掛けたのはケイシだった。ハルトの足元を狙いに動く。その瞬間、咄嗟にハルトは体を右に動かした。

 フェイントだ。それにつられた形でケイシも右に動いてしまい、あっという間にハルトが抜け出していく。ケイシは、ハルトに遅れを取りながらも、体を強引に左に起こした。負けたくない。それだけだった。その気持ちだけで、ケイシはボールに足を伸ばした。

「あっ!」

 ダイチが叫ぶ。一瞬だった。足をかけたその時、いとも簡単にハルトのボールは、ケイシの足に収まっていた。顔をあげると、目の前には立ち尽くすハルトがいた。

「勝った……?」

 ダイチの言葉に、ユウマが首を横に振った。

「いや、負けたよ」

「え?」

 そのまま、ケイシは奪ったボールをゴールに向かって大きく蹴り飛ばした。ボールはゴールに吸い込まれ、ネットがゆっくりと揺れている。

「どういうこと?」

 ダイチは、ユウマに答えを求めた。ボールは、何度もバウンドして、ケイシの想いとともに転がっていった。

「何なんだよ……」

 ケイシには分かっていた。

「なんで力、抜くんだよ。ふざけんなよ……」

 ケイシは、溢れてくる涙を堪えることが出来ないでいた。何を言っているのか、自分でも分からない。ただ、悔しかった。勝負もさせてもらえない、そんな自分が情けなかった。

 足を伸ばした瞬間、ハルトは確実に力を抜いた。真剣勝負なんて、はじめから成立していなかった。ハルトには勝てないと、真正面から突きつけられたような気がしていた。

「おい、なんとか言えよ」

 ケイシは、何度も、何度もハルトの肩を押し続けた。ケイシの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。ハルト表情は強ばったまま、何も答えてはくれない。ケイシの力に逆らうことなく、叩かれたまま、ゆっくりと後ずさりしていく。

「……何なんだよ!」

 叫びに似た声を発した時、ケイシはハルトに腕を掴まれた。ケイシの気持は、もう限界を越えていた。きっと、今から自分はハルトを傷つける。そう、ケイシは確信していた。

「触るな!」

 ハルトの手を、力いっぱい振りほどく。ハルトの小さな目が、怯えているのが分かった。そんなことは関係ない。ただ、怯えた目をしたハルトに止めを刺したかった。それくらいしてもいいとさえ思っていた。

「お前見てるとイライラするんだ。もう、いっそのこと俺の前から消えてくれよ!」

 ハルトの表情は、捨て猫の様な顔をしていた。傷つけばいい、何もかも手にいれているハルトは、これくらいの罰を受けるべきなんだ。ケイシは流れる涙を拭い、ユウマもダイチも、そしてハルトも置き去りにして校門へと走っていった。

「おい、ケイシ!」

 ダイチの呼び止める声が、遠く聞こえていた。

 気がつくと、また、ケイシはプールにいた。杉山は、ケイシの顔を見て、「今日は好きなだけ入っていいぞ」と、言った。

 プールは、今日も貸し切りだった。両手を広げ、後ろ向きでプールサイドから沈む。大きな水しぶき。あっという間にケイシは青の世界に飲み込まれていった。目からこぼれおちる涙は、その青い世界にかき消されて行く。

 水の底まで沈むと、ケイシはゆっくりと体の力を抜き、大の字になって浮かんだ。天井を見上げる。その後も、ぷかぷかと何をするでもなく、ケイシは浮き続けていた。

 杉山は、珍しく、管理室からではなく、プールサイドで監視をしていた。何やら難しそうな本を片手に、目を細めながら見入っている。

「なぁ、じいさん。なんで、今日はそこなんだよ」

「お前に死んでもらっちゃ困る。俺の働き口がなくなっちまうじゃねぇか」

 ケイシは、笑った。

「死なねぇよ。そんな勇気、俺にはない」

 杉山は、ニヤリと口角を上げた。

「なぁ、じいさん」

「なんだ?」

「世の中って上手くいかないな」

「なんだいきなり。生意気いいやがって」

 プールの外は、もう真っ暗で、街灯の明かりだけが外を照らしていた。

「失恋したし、友達も傷つけた」

「そうか」

 杉山は、そう言うとまた、本を読み始めた。

「俺は、ハルトには勝てない」

 ケイシの目には、また涙がこぼれた。

「両親に感謝しなきゃな」

「何を?」

「ちゃんと人を好きになれたんだ。自分以外の人を愛せるなんて、すごいことじゃないか。そうだろ?俺は、今でも自分が一番大好きだね」

 そう言って、杉山は笑った。

「なんだよ、それ」

「いいじゃないか。自分の弱さに気づけただけで」

「どういう意味?」

「人っていうのはなぁ、弱い生き物なんだ。自分以外のものが全部良く見えるし、弱いからすぐ、他の人間と比べたがる。俺だってそうだ。だけどな、小僧、まずはその弱い自分とちゃんと向き合うってことが大事なんだ。他人と比較するのはその後だ。弱い自分に勝ってもいねぇで、他人に勝てる訳がねぇだろう。お前の見ている世界なんてな、まだ、ちっぽけなんだよ」

 ケイシは、そのまま、また青い世界へと沈んでいった。杉山の言葉に心の中が、ほんの少しだけ軽くなった様な気がした。

第22話 暗闇



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