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ファインダー越しの涙にキスを(恋模様2年1組#12)

出席番号17番 森藤サイカ


 ただ、海に行こう、その一文で私は、学校を抜け出した。多分、周りからは、馬鹿なやつだと思われているだろう。騙されているのかもしれない。ミサキやユウカがいうように、そう思わない時もない。私が、彼のことで知っていることは、naoya という名前と、一眼レフ。ただ、それだけだ。

 彼と初めて出会ったのは、3ヶ月くらい前だ。今日のように私が学校を抜け出した日、彼は、公園で空を見上げたまま、一眼レフのシャッターを切りまくっていた。細身の体に黒髪、羨ましいくらいにきれいな肌、人形のような顔立ちをしている彼に、私はつい見惚れてしまった。

「あ、サナギがね」

 不審者だと思われるのが嫌だったのか、彼は、私の視線に気が付くとそう言った。指差す方へ近寄ってみると、そこには、木の間に緑色をしたサナギがいた。

「蝶になる前はこんな姿だなんて、神様も面白いことするよね」

 よくしゃべる人。彼の印象だ。それから、時折、独り言を言うように私に話しかけては、そのサナギを撮り続けていた。私は、ただ相槌を打つだけ。でも、その時間はとても居心地のいいものだった。

 学校を休みがちな私は、クラスでも浮いた存在だった。群れないスタンスを、今ではみんな理解しているようで、少しだけ距離をとって接してくる。その距離感は、時々、寂しくもあった。それなりに過ごす毎日に、満足していないと言えば贅沢だと思う自分もいる。ただ、変わらない日常から無性に逃げ出したくなる時があった。そんな時、私はこの公園にいた。

 それから彼は、たまにふらっと現れては、カメラに夢中だった。私は、そんな彼を見つめていた。制服姿の私が、こんな時間にここにいる理由も何も聞かない。私も、彼が何処の誰なのか、聞こうとはしなかった。

「私も、撮ってみたいな」

 カメラに夢中で、見向きもしない彼に、私は思ってもみないことを口走る。彼は、ようやく手を止めて振り返り、始めてみるといいよ、と笑った。

「でも、一眼レフは難しそうだな」

「そんなことない。好きなものを好きに撮ればいい、ただそれだけだよ」

 教えてあげるよ、その言葉がほしかった。だけど、彼はそうは言わず、またカメラに夢中になった。

 撮った写真を見てみたい。しばらくして、私がそう伝えると、彼はインスタを教えてくれた。少し彼と近づけたようで、思ったより嬉しい気持ちにはならなかった。インスタを見れば、彼の世界を知ってしまう。その世界を知れば、今の関係ではいられないような気がしていた。

 見なければよかった。すぐにそう思った。でも、もう私の気持ちは立て直すことができなかった。初めて知った彼の名前。そして、何枚もの写真には、私よりも大人びた女性がいた。彼女かどうかなんてわからない。でも、その写真からは、彼の想いが伝わった。

 公園に着くと、彼は何も言わず、私にバイクのヘルメットを渡した。彼は、私を後ろに乗せて走り出す。鼓動の音が聞こえてほしい。そう思って体を寄せても、温もりだけが伝わっていた。

 波の音は、心地いい。秋の海も悪くない。私は、潮風を全身で感じるように、大きく息を吸いこんだ。

「撮ってみたいって言ってたでしょ」

 そう言うと、彼は、自分のカメラを私の手の平に置いた。一眼レフは、思ったよりも重く大きく感じた。彼は、そのまま波の方へ走り出す。 

 使い方もよく分からないカメラを構えてみると、彼の見ていた世界に近づけたような錯覚に陥る。
 ファインダー越しに見える彼は、泣いていた。大切な人を失った悲しみは、私には、まだ分からない。背伸びをしても届かない場所に、きっと彼はいる。

 私はズルい人間だ。多分、もう、あの彼女の世界に、彼はいない。私が、彼女を追いつめ、壊したことを、彼はまだ知らない。

 私は、思わずシャッターを切った。彼は、振り返ると涙を拭うように笑っている。

「撮られるのは慣れてない」

 近づいてくる彼に向かって、私は、またシャッターを切った。

「海を撮ってくれよ」

 私は、ファインダーから目を離す。彼は、困ったように笑っていた。

「好きなものを、好きなだけ撮りたいんだよ」

 私の言葉に、彼は、戸惑った顔をした。

「次は、私のことを想って泣いてくれたらいいのに」

 その日、私は、彼と一緒に涙を流した。もう、後には戻れない。

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