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チャーリー・カウフマン スピーチ Part.7 変化を受け入れること

先日、いじめに関する記事を読みました。だれもがいじめに憤っています。ですが、それがいいことだと声高に主張する少数派もいます。それは大人への成長の一部であり、人格を築き上げることになるというのです。この記事に書かれてなく、議論されていないように思えることは、いじめが私たちの文化の中で無視できない要素だということです。子供による子供のいじめはどこからともなく現れるものではありません。いじめが人間に固有の特徴かどうかは疑問に残ります。だからと言って、いじめに拍車をかけるのではなく、その意欲を無くそうとしている文化では、高い可能性でいじめを防げる事実に変わりはありません。

私たちの文化はマーケティングです。マーケティングとは何なのでしょうか? 君が望んでいることを大衆にしてもらえるように仕向けることです。それが私たちの消費文化を動かし、私たちの政治を動かし、音楽、映画、本、美術といった私たちの芸術を動かしているのです。それはあらゆる研究の助成金申請に当てはまる部分もあります。ですが、私は関わりたくはありません。君たちに脚本の売り方を教える気はありませんし、ヒット作の書き方を教える気もありません。既存のシステムに溶け込む方法を教える気もありません。君たちに教えたいことは、この世界の中に自分が存在できる方法が他にもあると私が願っていることです。そして、勇気や弱さ、正直さを持って、この世界に力を注ぐことでより意義のあることが果たせられると私が信じていることも君たちに教えたいことです。

現在の映画の仕組みですが、ここではメジャー映画について話を進めます。その唯一の目標は君たちに商品を買ってもらうことです。それが唯一の目標です。それだけが目標なんです。それだけなんです。本当にそれだけです。そして、その意図があるがゆえに、我慢して最後まで見ることになる映画が作られ、また、そういう映画が私たちを作っています。政治の世界では、私たちは変わることのない計略へとハメられています。候補者を売り込む目的は、策略を使ったり、曖昧にしたり、いじめたり、不安を煽ったりすることで、成し遂げられているのです。

私には多くのことはわかりません。思っているほどには物事を知りませんが、私は人間であり、人並みに扱われる権利のために競争をしたくありません。そのゲームをすることはありません。当然ですが誰もそうする必要はありません。その代わりに、私はものを売るために、自分自身も含めて大衆の不安につけ込むいかなる手段も使わないようにします。

世界は今とても恐ろしいです。以前からずっとそうでした。ですが、グロテスクで、私たちの時代に特有なものが私たちを閉ざしています。私たちはそれが現実ではないと理解しなくてはなりません。それは私たちが下した選択であったり、私たちの代わりに誰かが取った選択であったりするのです。

私には、今晩、興味の持てることや話す価値のあることがあると心から願っています。私には脚本の書き方は教えられません。価値あるものは君から生まれてくるからです。私の仕事の仕方は君のとは違います。創作的行為の本質はそういうことなんです。私が表現するべきことは私であり、君が表現するべきことは君なのです。真実と寛大さをもって、君が自分自身を表現すれば、私は心を動かすことでしょう。君たちは1つの体に、1つの家族に、1つの状況に、1つの脳内物質に、1つの性別に、1つの文化に、1つの時間に生まれてきています。私も同じです。私は、強力な重力がそういった色々な要素を引き寄せ、様々な方向に私を引っ張り、私を創り出しているのを感じる時があります。

私は自分の反応に気をつけています。その反応は自分自身のものでもあると同じぐらいに私の父親のものでもあります。それは父親の場合と同じように、遺伝や環境を通じて受け継がれているのはわかっています。そして、私はこの逃れられない状況の中で堪らないほどの孤独を感じながらも、この状況から出られる扉が開かれていることに気づいているがゆえに、とてつもない恥ずかしさを感じます。私にはその扉をくぐれません。私はなんて弱いのでしょう。どうして私はもっとまともな人間になれないのか? もっと健全な人間に、もっと寛大な人間になれないのでしょう? 私が履いているスニーカーの会社は、私にはそうできると、私次第だと、教えてくれます。もし私が「Just Do It」とはいかなかったら、それは大きな弱点の証です。

そして、こういった会社は私たちの文化の奉仕者であり、セラピストであり、厳格ながらも君のことを思っている父親なのです。第三世界の諸国で労働を搾取する工場を運営するとあるスニーカー会社。それも私たちの父親です。私は君を知りませんが、そういう会社の人が生み出すコマーシャルに感動して涙を流してしまいます。そして、それは軽蔑すべきことだと思います。

変わる自由を見つけたらそれを受け入れてください。……なんか汗だくになってきました。まるで私の体から雨が降ってるかのようです。緊張しているだけではないんです。ここは本当に暑い。でもこの毛織のスーツですが、これを着たのは、ロンドンは寒い場所だと聞いたからなんです。(観客、笑)でもそうじゃなかったですね。本当にひどい。穴が開いているスーツが必要です。アスリートがたまに着ているものですよ。メッシュのものです。メッシュのスーツならよかったです。

変わる自由を見つけたらそれを受け入れてください。脚本執筆中には脚本が成長し、変化することを受け入れてください。君たちは作業を進める中で様々なことを見出すことでしょう。たとえそれが不都合なことでも、君たちはそれを拒否してはなりません。単純化しようとしてあらゆる小さな声を無視してはなりません。単純化はしてはいけません。それがどう見えているのかなんて心配しなくていいのです。失敗のことで心配しなくていいのです。失敗は名誉のバッジなんです。つまり、君たちは失敗のリスクを負ったということです。失敗する危険を冒さなければ、今までの自分自身や他の人とは違うことをすることは絶対にないでしょう。

そういった危険に自分の身を置かなかった時、それは君の取った選択だということに気づいてください。物事をそのもの以上に単純にするために細分化したり、結果を求めて努力したりしてはダメです。時間に余裕を持って、物事を熟成させるのです。意識しているかどうかに関わらず、君たちは物事を考えています。無意識を優位にさせると、解放感と驚きがもたらされ、理性が無くなります。一瞬一瞬に、ありとあらゆる人が何かを求めています。大抵はたくさんのことを求め、それは大抵矛盾することです。君たちが描く登場人物と君自身のそういった側面を理解しておきましょう。

Part.8に続く

スピーチ原文および映像の著作権はBAFTAに帰属し、BAFTAから許諾を受けて翻訳をしています。

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