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わたしはひとです、あなたもひとです。

出生から18年。私は障害という妖怪に惑わされてきたのだと思う。いや、あいつは怪物ともいえるだろうか。飲み込まれて、私の原色を見えなくさせる。

世の中、なんでもかんでも正直に伝えたらいいというものではないだろう。障害の開示もそうではなかろうか。「私には障害があるので理解してください」では通じないのが社会だろう。踏み込んだ説明をしなければ、知ってもらうことは難しい。

例えば、私は中学生の頃、数学の授業を1対1で校長先生から受けていた。それは、私の特性に由来する。当時私は、教室で1コマ50分、人が密集した空間に座り続けること、様々な刺激がある中で集中して集団の中で、先生の言葉を理解することが難しく、毎日教室に登校していなかった。担任、特別支援教育コーディネーターを兼務していた養護教諭、校長先生に打診したことにより1対1の対応は実現したのであった。

「学校は相談しに来る場所ではありません。勉強をする場所です」
かたくななスタンスを変えようとしない校長先生に対し、憤りを感じた。
¨気持ちが不安定な状態で勉強に集中できるはずないじゃんか、まずは話を聞いてほしいんだよ¨内心そんな風に感じていた。そのイライラを家族に当たり散らすことも多かった。しかし、ある経験が私を現実的行動に突き戻した。それは、東京大学先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクトでの体験だ。

母の勧めで応募をしたところ、二次選考まで進み、教授やスタッフの方と面接でお会いした。スカラー候補生という枠組みではなかったが、メールで相談に乗っていただいたり、舞台芸術やピアノコンサートの鑑賞をするプログラムに参加したりする機会をいただいた。

ただ申し込めば参加できるものではなかったし、「鑑賞しました。ああ、楽しかった」で終わることのできる単純な世界ではなかった。それはもう、衝撃の連続だった。
参加したいと感じたら、募集要項を熟読し、申請書を提出。ふるいにかけられ、意欲や動機、伸びしろを見られる。
私の場合は、相談事があり自宅に来ていただいたときに、電子ピアノでの演奏を披露したところ、「素晴らしい。面白い。今度、プロのピアニストのコンサートがあるんだけど、一緒に観に来ない?」とお誘いいただいたこともあった。スタッフの方から伺ったのだが、ピアノの演奏が申請書に匹敵するものという異例の状況だったようだ。鑑賞を終えてからは、「2日以内に感想とお礼の文章を送るように」と告げられ、具体性のある感想を問われたので、それはもう、せわしなかった。

こういった経緯が、「学びたいのに学べない」当時中学3年生の女子生徒の原動力になった。教室で学べない状態への合理的配慮の打診にあたっては、¨申請書¨を提出した。
なぜ、教室で学ぶことが困難になっているのか。学校に来ることがしんどい気持ちがある中で自分はどうしたいのか。学習の遅れが気になっており、無料の学習支援などに行くこともあるが到底追いつけない、どうしたらいいのか。様々なことを考えた結果、公教育をフル活用しながら学びたい、1対1の空間だったら学べるかもしれない、可能性があるなら賭けてみたい、と伝えたのである。

他方、現在の私は病気や障害があることと、その障壁を痛感している。¨モヤモヤを自分で抱える¨、¨葛藤を処理する¨といったことがスムーズでない。大多数の人が何気なくできている¨気にしない(受け流す)¨¨安心する¨といったことも難しく感じる。
他者からすれば、「繊細な心の持ち主なんだね」で済むような、一見、性格の問題と捉えられがちなこれらになんの障壁が付随するのだろうか。
そこには、摩擦という障壁が生じていると感じる。触れているのに、ヒリヒリと痛むあの摩擦だ。そして孤立という障壁があるのではないだろうか。
周囲を見渡して映し出されるのは、やりたいことが増えるほど一般社会とかけ離れていく現実。例えるなら、スクランブル交差点でせわしなく人が通り過ぎていく。他方、自分は両足が切断され、前に進むことも動くこともできない。¨障害(障壁)なく¨身動きがとれるサラリーマンや若者を羨ましく思い、ただただポツンと存在する。寂しく孤独な心。

自分のペースを崩されると調子を崩すという特徴があり、集団行動が苦手。たったの2、3時間教室や事業所に「居る」ことすら苦痛な私は、通学制の高校・大学への進学や作業所への継続通所という選択肢がない。避けざるを得ない。些細なきっかけで症状が再燃しやすく、状態は不安定。

生活音がうるさく感じられ、音楽を聴くという対処をしないと頭の中でたくさん声が聞こえる。医学的には、聴覚過敏や幻聴と呼ばれるようだ。
抑うつ気分が強くなると寝たきりに近い状態になるのは何度経験しても困る事柄の一つ。「怒り」がうまく表現できず「死にたい」気持ちにすり替えてしまう心の動きには、いつも後から気づいて驚かされる。
今、一番強く出ている症状は、解離・転換症状。私の場合、予想外の出来事が起こり、耐えきれなくなると声が出なくなる。全身が脱力し、倒れ込む。その他の発作として、過呼吸、パニック、自傷がある。週6日~7日起こる発作。体には無数の傷。

 私はどうしたいのだろう。どう生きたらいいのだろう。いまだに思い悩んでは悶々としている。でも、希望は捨てない。だって、社会を築いて選択肢を増やしていってくださったDO-IT Japan(東京大学先端科学技術研究センター)の存在を忘れていないから。心に残ってる。5年前に特別聴講生(一部参加)として関わりを持つことになり、出会ったスタッフの方や仲間の熱量が、染みるほどに、痛いほどに残っている。

 通年を通じてサポートが受けられるスカラー生の応募をしたいと考え、活動報告書とにらめっこをしていたとき、
「どう生きるかは選べるよ、自分で決めていいんだよ」
文面からそんなメッセージを受け取った。そして、障がい者を中心とした社会的弱者の権利や、セルフアドボカシーについて深く考えるようになった。

一般社会に対して、私は今このように主張したい。いや、地球の果てまで大声で叫びたい。

1,社会的弱者の権利とは、平均的な人と同じ選択肢の数があること。
2,合理的配慮とは、権利を主張すること、自分なりの土俵に立てるよう交渉すること。
3,社会(学校・企業等)の役割は、希望を聞いたり、組織内で検討・調整をしたり、「この範囲までなら可能」と線を引いたりすること。
4,交渉する上で、障がい者手帳や医師の診断書(意見書)、プレゼン資料の準備は必須。
5,調整・交渉の一例として、代替ツールの導入・使用許可や仕組みの改変が挙げられる。
6,障がい者だから配慮の相談をするのではない。組織として困っていないから今までのやり方を押し通していいわけではない。双方が互いに折り合いをつけながら、着地点探していくことが本来の方向性。

こうは言っても合理的配慮の鉄則なんてことを忘れて、福祉の支援者さんに「職員なんだからこのくらいはやってよ」と押し付けてしまい、「自分はなんてダメなんだ」と自分を責めてしまう時間も多い。私は1年前からグループホームで生活をしているのだが、「わたしはひと、あなたもひと」という基本姿勢でいると円滑に関係を築いていけることに気づいた。私は、理想を語っているだけなのかもしれない。でもいいの。希望を持っていないと死に向かってしまう気がするから。身近な支援者さんへの眼差しから変えていきたい、原色のままの私とお付き合いしながら。

(完)

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