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長谷川不可視「トリップ・オア・トリート」前編

 ドナベールは神を信じない女だ。
「なあダン、神は燃えると灰になると思う?」
「なるさ。現にほら、燃えてる」
 燃えさかる木で出来た偶像。割れ落ちるステンドグラス。悲鳴が凝集したかのように苦悶の表情を浮かべる焼死体群。二人の視線の先、闇夜を照らしながら教会は鮮やかに燃えていた。
「いやあ、神を信じるとは罪だねぇ。何故見えない、存在しないものに縋るのだろうか? 私には到底理解が出来ない」
 ドナベールは業火を眺めながら、ひどく難しい問題に直面したような表情でため息をついた。先程の聖職者——今は黒焦げになってしまったが——との決裂した交渉を嘆くように、その彫りの深い鼻筋を手で押さえる。その背後では血相を変えて、踏み鋤片手にドナベールへ飛びかかろうとした農夫が、断末魔をあげることさえ許されないままダンによってスムーズに切り伏せられていた。
「ドナベール、その疑問は無意味だよ。神を信じない私達に彼らのことは理解できない。理解できたなら、彼がこんな風になってはいないさ」
 ダンは農夫の切れ端を踏み鋤に突き刺し、炎の中へ投げ入れる。そのうちヒトだったものの脂の匂いになるだろう。
「神というまやかしが人々を惑わし、偽りの存在が人々の幸福を阻んでいる。そんな世界に対して私達に出来ることは、無い神の生み出した不条理から人々を解放すること。そうだろ?」
 ダンはドナベールの肩を軽く叩く。それと同時に、教会を取り囲んでいた同胞達を呼び寄せた。
「……無いものに縋る人々を現実へと解放する、それが私達の役目だ」
 ドナベールは辺りを見渡す。喧噪、何事か、と怯えた表情を浮かべる村人達が、彼らを取り囲んでいた。ある者は目を背け、ある者は拳を強く握り、またある者は泣き崩れている。さながら彼らの中の世界が終わってしまったかのようだった。そんな様子を見たドナベールはまた声にならない落胆を吐く。あぁ、まやかしはここまで人の心を侵食するのか。
 若干の罪悪感と落胆とを、解放者としてのベールで包んで彼女は民衆に叫ぶ。
「私達は神の催眠を解き、諸君らに今を直視し現実に生きる権利を差し上げに参った! 誰しもが一度限りの人生である。しかし神はその事実を隠匿し、結果的に諸君らは何も知らぬまま搾取され死んでいく……このようなことが許されていいのだろうか、否! 生をおざなりにする神を抹消し、現実に生きることを望む者は私についてきて頂きたい!」
 明朝。焼け焦げた村のあちこちに立ちこめる残火。その陽炎が朝陽を揺らしていた。
「はぁ……またかぁ」
 昨晩の交渉は結果的に決裂した。その結果がこれだ。
「聖騎士団相手ならまだしも、農民を相手にするのは参る」
「そうだねぇ……まあ彼らが望んだことだし。彼らはその一度こっきりの人生を神に捧げ、そして神の御名のもとに我々に切り刻まれることを選んだ。結果的に彼らの望み通り、信念に従って死ねたのだからよかったのだろう」
「……ならいいか」
 同胞達が村だったあちこちから、教会のあった場所へと遺体を集める。被解放者達はこの後、丁重に彼らの信じていたやり方で葬られる。肉体の残らない火刑は、最終審判がどうとかで彼らの価値観では最大級の恐怖らしい。よって私達はなるべくサーベルを用いて解放したが、やはり不手際は生じるもので、一部が焦げてしまっているものもあった。ドナベールは一抹の申し訳なさを感じた。
 理解されなかったから殺したが、だからといって彼らを不躾に扱うわけではない。勢力を伸ばすには理解されることが必要だが、私達の信じることを理解することは即ち『死後の救済の否定』を意味する。それには耐えがたい恐怖があり、ドナベール自身も死の恐怖に囚われていた経験から、彼らに大いに共感できた。しかし、彼らの神の支配する世界では、異端は徹底的に排除される。つまり殺さなければ殺される。そんな風なので、殺さざるを得ず、毎度毎度致し方なくこの結果に至る。それこそ穏便に済んだ時には宴会を開く程に、悲しいかな、ドナベール達の葬り方の手際は、最早『神の領域』に達していた。皮肉だ。
「おいドナベール、これ見てみろ」
 ダンが少し珍しいものを見つけたようだ。ドナベールが振り返る。そこには童心に還ったようにはしゃぐ彼の姿があった。その頭部には目元が三角形にくりぬかれたカボチャが装着されている。
「ばあ、変態カボチャ仮面だ」
「うっわ、変態」
「自称すると傷つかないが、人に言われると傷つく」
「悪かったよ変態」
「あー?」
 ジャック・オー・ランタン。ハロウィンの象徴。そういえば太陽が三度回ればもうハロウィンだったか、とドナベールは少し月日の流れを感じた。
「ハロウィンか。次の村ではちょうどやっているかもしれないね。この行事、元々は私達が憎む神の祭りでは無いから、我々も喜んで参加ができる。トリックオアトリート、私達がお菓子をあげる側だな」
「そうだなぁ。今回接収した小麦粉なんかでケーキでも作っておくか」
「いいねそれ。よし、物資も集まった頃合いだし次の場所へと出発するか」
 こうして、ドナベール達は次の村へとごとごと馬を引きながら旅立った。


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