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紀政諮「ハロウィン相談所」後編

 狼男の少年の歌に、王女は聞き覚えがありました。
「レ・ミゼラブル」
「この街に来て、初めて仕事をくれたのは、どこの娘ともしれない女の人でした。『家出をしてきたの。けど怖いから護衛をしてくれない?』と僕を雇った彼女は、いろんなところへ連れて行ってくれた。そうして一緒に入った劇場で、そのミュージカルを見たんです。たからかに歌って、バリケードにこもって、王国軍に一矢報いながら死んでいく彼らに魅了された……その時、なんとなく、大人たちに一矢報いてやりたい気持ちがめばえた。それで商売を提案してここまできたけど……まさか、こんなにミュージカルそのまんまなことになるなんて、夢みたいですよ。いろんな意味で」
 お菓子のバリケードの上、またたく朝日。飴に乱反射して互いの顔もよくみえない中、王女は少年に聞き返します。
「……ねえ、その人、ずっと愚痴を言っていたでしょう。貴族や王族の家に生まれた女がどんな生き方をするのか。ただ家と家の取引の道具に、子供を産む機械にされて、自分の意志と関係ない格好をさせられて、男の人の意志のために生かされる女の愚痴」
 空気に光が満ちてきて、よく見えていなかった王女の顔があらわになります。その顔に、狼男の少年は見覚えがありました。
「……あの時の、お姉さん?」
「大人たちの作ってきた世界のしくみで苦しんでいるのが、子供だけだと思ったら大間違いだよ。ミゼラブル、惨めな人はどこにでもいる。そのミゼラブレスのすべてが、決して軽くはないの。私は、君たちの苦しみを理解できないかもしれない。けれど、ホンモノの姿勢で、理解し合おうとすることができる」
 少年は王女に詰め寄ります。
「まるで僕らがただ理解者を求めてただけみたいな言い方はやめてくださいよ。それだけじゃないんだ。それも大切だけれども、僕らは、ただ僕らなりに暮らしていきたかった——」
 さえぎって、少年の前にたちます。
「なら言い方を変える! 私は、みんなの暮らしを愛せる!」
 瞬間、一発の銃声が響きました。知らぬ間に配置についていた警官隊。そこから突き出す一丁のライフル。たちこめる煙が、さらさらと風にこぼれます。
 弾は、少年には当たりませんでした。目を開けると、お菓子には血が散っていて、足元に王女が倒れています。息も絶え絶えです。すぐさま警官隊の衛生兵がかけつけます。ライフルも引っ込みました。
「まだ助かる。とりあえず止血をするぞ」
 お菓子のバリケードに血が染み込んでいきます。少年も、警官たちも、ただ眺めていることしかできません。
「とりあえずこれで大丈夫。あとは、王女さまに体力が残っているかどうか」
「体力?」
「甘いものでもむさぼって体にエネルギーを溜め込んでいればなんとかなるだろうが……こう華奢な体じゃ、期待できないかもな……」
 すると、狼男の少年は「いや、助かるよ」と返します。
「この人、昨日、めちゃくちゃたくさんお菓子食ったから。きっと普段、好きなものを食わせてもらえてないんだろうな。見た目を維持するために。本来は、もうちょっと人間らしい体をしていていい人なんだ。人に美しいと思われるか思われないかとか、気にしなくても幸せでいていいはずなんだ」
 眠るように意識を失った顔を眺め、狼男の少年は、バリケードの上にたちます。眼前には、すぐそこで心配そうにこちらを見ている警官たちの隊列。そのまんまるになった目に、口をひらきました。
「……Will you join in our crusade? Who will be strong and stand with me! Somewhere behind the barricade, is there a world you long to see? Do you hear the people sing? Say do you hear the distant drums. It is the future that they bring when tomorrow comes!」
 
 
 物語は、そこまでで原稿が途切れていた。
「君がこのお話を、どんな気持ちで書いていたのか——わからないけど、きっと、明るい展開を想像してたよね」
 息子は何も言わない。お供えもののお菓子にうもれた、遺影の息子は何も語らない。
 家から甘い匂いが漏れ、空にはうろこの雲が浮く。明日には十月が終わる。朝日が昇ると、人々はあたらしい生活をまた回しはじめる。
「ハロウィンだよ。お菓子も用意したよ。だから、きっと帰ってきてくれてるよね。見ていてくれるよね」
 そう言って、彼女は仕事へと向かった。
 ハロウィンは、人々の魂が帰ってくる日。人々のことを思い出す日。彼らの仮装をして、彼らの仲間になってみる日。彼らの物語にひたって明日へ向かう人々が、たくさんいる。

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