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取り消せない言葉の棘


以前、好きなものを笑われた経験についてnoteを書きました。



このnoteでわたしの”すき”を笑った、某先輩。
とある日のお昼休みにこう言いました。

最近このマンガめっちゃ人気じゃん?
おれも見たいんだけど誰かDVD持ってるー?


ん?
思わず振り返りますよね。
幻聴か?疲れてるのかな?と思いますよね。

だって、
あのときわたしの好きなものを否定しておいて
自分はそれに手を出そうとしているから。

別にわたしの好きなマンガがマイナーであったりとかそんなことではなくて、先輩が見たがって
いるものと同等程度の知名度で。
なんなら同じ雑誌で連載されていて。

大きな違いはないはずなのに、
あたかも否定したことなんてなかったかのように
笑顔で話すところを見て、聞いてしまって。

わかるよ、そのマンガはとても面白い。
でもなんでそれはよくて、わたしの推したものはだめなの。
なんであなたはよくて、わたしはだめなの。
わたしが、どんな気持ちであのことばを
聞いていたと思っているの。

どろどろ、沼の底のへどろみたいな
どす黒く深い気持ちをおかずと一緒に飲み込んで
持ってないですねえ、と笑いました。

大成功したはずの、きれいに焼けた卵焼きが
焦げついたように苦かった。


noteとかTwitterのように、文章なら
いくらでも消してやり直すことができます。
でも、実際に発した言葉は取り消せない。

相手を傷つけてしまった自覚があればまだいい。
間違ってしまっても取り返せるかもしれない。
取り返すための言葉があるから。

なら、自覚がなかった場合は?
取り消されない言葉たちにぐさり、ぐさりと
押し込まれた棘は、簡単に抜くことはできない。
今回の出来事は、たぶんそういうこと。


先輩からすれば、別に何気なく言っただけ。 
それがわたしのやらかい場所に棘を刺す
行為であったなんて想像もしていないでしょう。

きっと知らない。
あれから、バッジを外そうとしたことも。
ただただ好きだというこの気持ちは
隠しておくべきものなのかと悩んだことも。

人の目なんて気にしたくない、好きを貫きたいと
前の記事を書くまでに、わたしがどれだけ足踏み
して、どれだけの勇気が必要だったかも。




人は自分の言葉なんて、覚えていない方が多い。
それでもその言葉が、誰かの大切にしているものや大切にしたかったものを抉ってしまうときがある。

その一言で、大事にしたかった何かが
色褪せて見えてしまう。
諦めたくなってしまう。

そんな、誰かに言われて諦めるような“好き”は
ほんとうの好きじゃない、なんて
言われるかもしれません。
好きなら堂々としていればいい、と。

わかってはいます、が、気持ち悪い、ヤバいと
笑われてなお堂々と好きを貫ける強さは
誰にでもあるものではないと思います。

ほんとうの好き、を潰してしまうほど
人の言葉というものは強くて鋭いのです。



リュックにはまだ缶バッジがついていますが、
一番最初のような、見るだけでワクワクして
胸が高鳴るようなあの気持ちは、もう連れてきてはくれません。

いろんなことがありすぎた。

あのエピソードから、言った本人も覚えていない
どうでもよかった言葉でいちいち傷ついて
ぶれそうになった自分が嫌になりました。

でも、覚えてないような軽くてすかすかの
言葉だからこそ、あんなやつのために
変わってたまるかとも思いました。

だからわたしはこれからも伝えます。
このキャラクターが大好き!

いつか同じようなキャラクターのグッズを
付けている人がいたら、わたしはきっと
こう言うでしょう、

わたしこのマンガ好きだよ!
このグッズ可愛すぎるんだけどどうした?
推しのグッズ持ってるとテンションあがるよね!

その言葉が、もしかしたら、
同じように棘が刺さったまま生きる誰かの
力になるかもしれないから。

そのままのわたしでいていいんだ、と
思ってもらえるかもしれないから。

自分の体験をばねにして、
あんなやつ反面教師にして、
これから先、誰かの棘を増やすことのないように
出来るならその棘を払ってあげられるように。

この文章に紡いだ言葉たちが、
読んでくれたあなたに刺さる棘を
少しでも溶かしてくれますように。



取り消せない言葉の棘



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