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笑われていい”好き”ってないよね。
「なに、お前こんなの好きなの?やっば」
好きなものって、人それぞれですよね。
わたし、とあるマンガが好きでして。
そのなかのひとりのキャラクターが好きすぎて、リュックに缶バッジを付けました。
そうしたら、笑われたんですよね。
鼻で、ご丁寧にもヤバいと付け足して。
好きなものが笑われていい理由って何?
昭和後期から平成初期に生まれたわたしたち、
好きなものによってランクを付けられた経験は
ないでしょうか。
たとえば、サッカーとか、ダンスとかだと
かっこいい。かわいい。目立っていていわゆる一軍。パリピ。
対してアニメやマンガ、絵を描くこと。
鉄道だったり、パソコンだとか。
すごいね、よく知ってるね、と言われても
憧れを抱かれることは少なかった気がします。
むしろ、オタクと呼ばれて一線を引かれることが多かった。
それこそ、わたしが笑われた理由なのだと思います。
つまり、わたしの好きが、オタクと呼ばれていたものであったことの軽視、幻滅。
今でこそオタクという言葉が広く知られ、
クルマだったり、美容だったり、歴史だったり。
あらゆるジャンルでのオタクが生まれたことで
オタクはアドバンテージを得ています。
でも、あの頃ってそうじゃなかった。
いわゆる”オタク”のマイナスイメージが
前面にあったように思います。
有名どころだと、電車男みたいな。
オタクと思われたくないがために、
小さな声で好きを叫んだ人たちもいたはずです。
同じ”好き”であるはずなのに、
同じ声量で”好き”と言えなかったのです。
しかし令和のこの時代、わたしたちより若い、10代とかその辺りの子達は好きなことを隠さなくなったように思います。
何かを好きで、何かのオタクである自分を、どんなものであれ好きでいることをかっこいいと表現している。
Instagramでは可愛い女の子たちがアニメのフィルターをかけて自撮りをし、昨今のアイドルブームでは男女問わず推しのアイドルたちを追いかけていました。
わたしたちの時代に気持ち悪がられた”好き”が
いつのまにか変わってきていると感じます。
すきなものはすきなのだ、と
誰しも同じ熱量で叫んでいいのです。
なんにも恥ずかしくなんてない、
好きを極めるわたしたちは最高にかっこいい。
好きであると公言したそれを
鼻で笑う権利は誰にもないんです。
わたしがリュックに何を付けようが、
馬鹿にされていいはずがないのです。
他人の好きを笑うことほどダサいことはないし、誰かの好きを受け入れられる人はかっこいい。
わたしはこれからもそのキャラが好きですし、
ユニクロとのコラボTシャツも買いたいです。
どうか、誰かの好きを押し潰してしまう言葉が
もう聞こえてきませんように。
カバンに付けられた缶バッジを見るたびに、
そう思うのです。
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