【パラサイト 半地下の家族】~『パラサイト』の真の意味とは?岩・インディアンに隠されたメッセージについて~
2019年カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得
続く米国アカデミー賞において、アジア映画で初となる作品賞を受賞した本作品
感想を述べると共に、題名である『 #パラサイト 』の真の意味や劇中に登場したアイテム、ストーリーや設定について、独自の視点で考察します。
※ネタバレ有り※
前情報は極力少ない方が間違いなく楽しめる映画です。
ポン・ジュノ監督の為にも、未鑑賞の方は絶対に読まないで下さい。
先の展開が全く読めない本作品。
物語の前半のキテク一家が1人ずつパク家に入り込んでいく様が痛快で面白い。
中盤からはパク家の豪邸の地下に住む元家政婦の夫の出現。
そして後半、ダソンのバースデーパーティで起きる惨劇。
それまで散りばめられてきた伏線が一気に回収される感じがたまらない。
怒涛の展開の連続で、驚きと笑い、不気味さ、恐怖、爽快感、そして希望溢れるラスト。
ここまでいろんな感情、要素が詰まった映画が今までにあっただろうか。
この映画が描くのは韓国における階層的な格差社会だ。
高級住宅地で暮らすパク家、半地下のアパートで暮らすキテク一家、パク家の地下で暮らす元家政婦たち。
劇中では、特徴的な家の構造、坂、階段、机の下、ソファの上など、人物の上下関係を視覚的に表すトリックが多用される。
貧困層が裕福層の生活圏をどんどん浸食(パラサイト)していくというのが表向きの見方だろう。
『パラサイト』の真の意味とは?
※ものすごく個人的な見解です※
それは違うんじゃない?と思う内容もあると思いますが、ご了承ください。
その意味を読み解くキーワードとなるのは≪インディアン≫だ。
パク家の息子ダソンが最近夢中になっているということで、序盤から登場している。
映画でインディアンやユダヤ人、少数民族などが、物語に組み込まれている時、それは重要なメタファーを表している事が多いので、僕は必ず注目するようにしている。
今回は序盤に登場し、いつそれを使うんだと思いながら待ち続けた終盤。
元家政婦の夫が地下階段から現れたシーン観た瞬間、僕はうなった。
一晩中、顔面でモールス信号を打ち続けた男の顔は赤く染まり、それはさながらインディアンの化粧(もしくは肌の色)のように映る。
これ以降この映画が描くテーマは一変する。
それまでは韓国の格差社会の現状を描いてきた本作が、このシーン以降はその格差社会の原因を作りだした対象への怒りの物語となる。
その対象とは≪アメリカ≫だ。
インディアンの住処を土台に建国したアメリカと、家政婦達を足元に置きながら生活するパク一家が重なる。
そしてパク一家がもう一つ示すもの、それは韓国内で最大手のIT企業≪サムスン≫だ。
何故≪アメリカ≫≪サムスン≫と言えるのか?
その根拠はアメリカと韓国の間で執り行われた経済政策にある。
2012年に発効された『米韓自由貿易協定(FTA)』だ。
輸入出における95%の品目の関税を撤廃した結果、韓国からは自動車や半導体などの工業品の輸出は増えた一方で、農業の輸出は減り、食料自給率は大きく下がることとなる。
これにより元々大企業だったサムスンはさらに儲かり、その反面、農村部は大打撃を受け、就業者数は減り、経済格差が広がった。
この背景を元にポン・ジュノ監督が真に伝えたかったのは、韓国経済がボロボロにされた原因であり、つまりは『パラサイト(寄生虫)』はサムスンを含む大企業、そしてアメリカのことである。
ソン・ガンホ演じるキテクが、パク社長を刺すのは、韓国に住む者全員の怒りの制裁と言えよう。
余談だが、数ある大企業の中でも何故≪サムスン≫だと断言したかと言うと、パク家の庭を背景としたバージョンのポスターを見て欲しい。
中央に赤、黄、緑のビーチボールのようなものがあるのにお気づきだろうか?
このようなアイテムが劇中に登場した記憶はない。
この色合いと≪アメリカ≫というワードで、何かピンとくるものがあるだろう。
それはグーグルだ。
そして、そんなグーグルが開発したOSを搭載したスマートフォンを数多く手掛けるのが≪サムスン≫である。
ポスターにまで細かな伏線を張る、その演出。
ポン・ジュノ監督の凄さを知る。
岩が意味するものとは?
個人的には2つの意味を持っていると考えています
1つは『希望』、もう1つは『罪』です
そもそもあれは「山水石」といって、山や川のある風景になぞらえて造られたもので、金持ちならではのインテリアです
草木に囲まれて生活するパク家とは対照的に、コンクリートと虫に囲まれて暮らすキテク一家
友達から受け取ったギウは「この石はメタファーだ」といった発言をします
自然を象徴する岩を通して「金持ちの象徴だ」と言って喜んでいるのです
彼の持つ『憧れ』『希望』が見えます
話は進み、その後しばらく岩の出番はありません
次に出てくるのはパク一家を抜け出し、水没した家の中、どす黒い水の中からそれをすくい上げるシーン
この時のギウはどういう心境だったのか?
少し前のシーン、3人で机の下に隠れている時、善人だと思っていたパク夫婦の本性を、意図せず垣間見てしまいます
父親のニオイを馬鹿にされ、憧れていたはずの金持ちに対する価値観が歪みます
本当になりたかったのはアレなのか、という自問自答
と同時に、さらに地下に住む家政婦達を蹴落としてしまった事に対する後悔
このままでは自分達もパク一家と同じ存在なのでは?
ここから岩は『希望』から『罪』の象徴へと切り替わります
避難所で石を抱き、身体から離れないんだと言うギウ
あれは家政婦達への罪悪感を抱えていたのでしょうね。
翌日ダソンの誕生日会中にギウは家政婦達の様子を見に行きます
なぜかあの岩を持って…
そして階段で手を滑らせて、落としてしまいます
ここでギウの罪悪感、後悔が消えたことを表しているのでしょう
岩は家政婦夫の手へ渡ります
このシーンの彼は≪インディアン≫のメタファーなので、ギウから受け継いだ『罪』の意味を持った岩を彼が地下から出すというのは、アメリカがインディアンを虐殺したという歴史を明るみに晒す事を意味するのではないでしょうか
先の展開、パーティでの惨劇については、岩の話から逸れるので、次の投稿で解説を書きますね
話を戻して終盤、キテクがあの豪邸の地下に居ると分かったギウは、川のような場所で岩を手放します
友達から譲り受けた時に持っていた、金持ちへの間違った『憧れ』『希望』は捨てたのでしょう
雨の夜に拾い上げた時にどす黒かった水の色は、澄んだ水の中へ放たれ、清らかさを得たギウの心を表しています
きっと彼は誰のことも見下すことなく、傷つける事なく、踏み台にもせず、真に善人なお金持ちになるんじゃないかな
以上が、岩に関する見解です
ニオイに関して
本作で最も頻出するキーワードは『ニオイ』ではないだろうか
キテクが怒り、パク社長を刺すトリガーとなっていますね
では、何故ニオイがトリガーになったのか?
きっかけは机の下で隠れている時のパク夫婦の会話です
「ニオイが度を超えてきやがる」
あの言葉には体臭という物理的な意味と、(金持ちと貧乏の間にある)境界線を越えて来るな、つまり貧乏人は一生貧乏なままでいろ、金持ちを目指すな、という無意識下の精神的な差別でもあると思います
表面上は良い顔をしながら、思いっきりキテクを見下してたわけです
その一方で、誕生日会の惨劇の中、パク家の長女ダヘはギウを背負って逃げています
ダソンが中盤でキテク一家は同じニオイがすると言及しているので、ダヘとギウの間にニオイという壁はなく、あるのは本物の愛だったんですね
そんな2人を見て、子供たちの世代では差別の意識は薄くなっていくだろうと感じつつ、鼻をつまみながら車のカギを拾うパク社長に、キテクはものすごく腹が立った
あれは自分が馬鹿にされたいうより、才能もあり、これからの可能性に溢れた子供たち(ギウ、ギジョン)を侮辱された怒りだと思います
そう考えると、権力・差別に立ち向うキテクお父さんめちゃくちゃかっこいい
以上が、ニオイに関する見解です
ポン・ジュノ監督は何気ないアイテムに意味を持たせ、物語に深みを与えるのが本当に上手い
考えれば、考えるほどいろんな気付きがある
家政婦の夫について
何故ギウとギジョンが狙われるのか
それは2人がパク一家へ潜入するにあたって考えた設定が、アメリカに関する要素を含んでいるからと考えました
ケビン、ジェシカというアメリカ人な名前
ギウは英語の先生、ギジョンはイリノイ州の大学出身という経歴
前半から述べているように、地下から抜け出した家政婦夫はインディアンのメタファーなので、アメリカ的な要素を含んだ2人を狙うような展開にした
また夫がギウの首にロープをかけた攻撃は、スー族の一斉絞首刑が関係していると思いました
先住民の土地を奪うために全面戦争を始めた白人は、抵抗が一番激しいスー族を捕え、一斉絞首刑にかけます
そして、首を切り、頭の皮を剥ぎ、棒にくし刺しにして掲げ、恐怖で相手が引くように見せしめとして使いました
これにより、インディアン達は恐れるどころか怒り狂い、ますます戦争が激化していきます
また、ギウがかけられたロープの先にシルバーの棒が付いていましたね
インディアンと言えば、シルバーのアクセサリーが有名で、インディアン戦争中の白人は高価な銀でできたアクセサリー奪う為に、無抵抗な者までも追いかけ回して殺しました
つまり、ギウが家政婦夫にされたことは、アメリカがインディアンにしたことに寄せているのかなと
ちなみにギウが地下に岩を持っていったのは、自分たちよりもさらに窮屈な閉鎖空間で暮らす夫婦に、少しでも自然を感じて欲しいと思い、譲るつもりだったんだと思います
命を落とすのはギウではなく、ギジョンなのは、日本より更に男尊女卑者社会な韓国において、貧困の影響を最も受けるのが女性・子供というのを示していると考えられます
それと共に、白人によって虐殺されたインディアンは、戦士よりも、女性・子供が多かったそうなので、そういう意味も含んでいるのかなと感じました
この映画で描かれているのは、助け合うべき人間同士が争いを繰り広げるという悲しい現状です
本来ならば、その状況を作り出している政府、アメリカ、大企業に怒るべきはずなのに
キテク一家が家政婦達からスマホを奪うシーンで、大雨の降る窓の外、遠くからリビングを移すカットが入るのは、状況を客観的に見せ、その醜さを強調していると思いました
ダソンと家政婦について
この映画で重要な役割を果たすのが、この2人である
僕はモールス信号を夫とダソンに教えたのは、家政婦なのではないかと考えています
それにはちゃんと根拠がある
ダソンが家政婦をとても好いていると見受けられる描写があるからだ
一つは家政婦に解雇を告げる時、庭のテーブルで座る母と家政婦を、ダソンが窓から寂しそうに見ている
もう一つはキャンプに出かけるシーン
車に乗り込んだダソンが、新しく家政婦として雇われたチュンスクへ『あっかんべー』をする描写がある
これはムングァンの方が好きだったという表れではないか
序盤でダソンの家庭教師は長く続かないという話があったので、その代わりに長い時間一緒に居たのは家政婦ではないか
また、ダソンは地下に住む家政婦夫の存在に気付きつつあったとも思われる
というのも、リビングに飾ってあるダソンが描いた自画像は、実は誕生日に目撃した家政婦夫の姿なのだ
右下にある黒い影は、地下への階段を表している
他にも絵をよく見ると、真ん中の人間の頭には、インディアンの飾りのようなギザギザがあるし、背後にはダソンが持っているテントのような三角形も見える
つまり、この絵はある晴れた日にインディアンが地下から現れるという先の展開を、結果として言い当てた形となる
誕生日に気絶したあと、地下に存在する者の正体について聞かれた家政婦は、焦って「この家にはインディアンの霊がいる」とでも答えたのだろう
そこからダソンはインディアンにのめりこみ、あの絵を描いた
その中でラッキーだったのは、ダソンがモールス信号を覚えたことだ
家政婦はそれを利用し、万が一パク家を追い出されても、自分以外が夫と意思疎通できる手段を残しておいたのだろう
事実、あの大雨の日にテントを張るダソンは不自然だし、あの電球からモールス信号でメッセージが来るのを周知していたかのように、紙とペンを用意していた
恐らくだが、あの一連の行動は家政婦の指示によるものだと考えたら、辻褄が合うなぁと思いました
後半は僕のただの妄想です(笑)
この投稿の前半で、韓国の農業が衰退してしまった話に少し触れましたが、『ある女性に降りかかる出来事』と『納屋を焼く』という隠喩によってそこを描いたのが、去年公開された【 #劇場版バーニング 】です
村上春樹の短編小説が原作、僕の2019年ベスト10で、2位に選びました。
パラサイトを観て、韓国映画にハマった方は、ぜひチェックしてみてください。
ポン・ジュノ監督は何気ないアイテムに意味を持たせ、物語に深みを与えるのが本当に上手い。
考えれば、考えるほどいろんな気付きがある。
2020年の初っ端から素晴らしい作品に出逢えたことに感謝。
最後に…
この映画は決して隣国だけの話ではなく、日本も同じ道を辿りつつあることを忘れてはいけない。
ちなみに日本では2020年1月1日から『日米自由貿易協定(FTA)』の発効が始まった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?