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宝箱

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特に心惹かれた文章や、保存したい文章などを追加していきます。
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2015年7月の記事一覧

名指しと影

均質な光のもとには影がないのでなにも立ち上がらない
白くすみずみまでのっぺりと冴えわたってとても清潔だ
青ざめた紙の上でわたしたちは愛し合うそこに謎はない
ぎりぎり光を強めてじりじり目をこらして明日のための
紙のしみをみつけなければことばがうしなわれてしまう

まぶたのうらに過去の光の強弱が埃のように沈んでいく
ことばとは強弱であり差異であり生をひきのばすための
静寂と喧噪の波をまるごと受け入れる

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死神の横顔

アイスコーヒーをそそいだグラスのなかに
黒い小さい虫がとびこんできてそのまま
インクの染みのようにくたっと浮いて
縁にゆらゆらと流れ着いていく
コーヒーのうえにできた溶けた氷の透明な層の静けさをみながら
わたしはただグラスをながめていた時間の長さを知る

濃紫色のうつくしいあざみが
炎天下の駐車場の傍らで光を跳ねかえし群生しているのを
毎日みながら駅まで歩いた
両手でも抱えきれないほどのあざみが

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かつてきみと渡った橋は

だれもが立ち去ることができる街角までともに歩いた。川の底にある小石のことばで語りかけることができればきみをひきとめることができると信じたかった。きっと見送ることができないという理由でひきとめたかった。

かつてきみと渡った橋はほんの一瞬のキスにすぎなかったが、背後には暗がりがひろがっていて、私たちの後ろ姿はその暗がりに刻印されていて、でもふり返るだけでは見ることができない、それは夜の中の夜なのだと

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書き残した文字がそこに切り取られた過去の匂いを鮮烈に蘇らせる、数日前の気持ちも、一年前の気持ちも、変わらぬ色の濃さを帯びて

拝啓 朝顔の青の開き初める此の頃

拝啓 朝顔の青の開き初める此の頃、いかがお過ごしですか。七月一日の夜がやけに肌寒かったのを憶えていますか。今は七月十三日の夜、摂氏三十五度の昼を冷房に守られて過ごし、都合よく真夜中の涼風を愉しんでいます。ずるをしている。こうやって、耐えるべき困難をひょいとエスケープして、のうのうと、しかし強い引け目を感じながら、暮しているのがわたしの生です。狡いのです。その狡さが情けないのです。

 あなたが手紙

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3月

起き抜けに与えられた愛と気怠い下半身、秒針と律動するあなたの寝息。滑らかな胸元に耳を当てると、肋骨内で反響する心臓弁の閉鎖音が眠りの柔らかな澱みを孕んで目の奥を微かに揺さぶる。時々目蓋を持ち上げ、羽ばたきのような音を立てるカーテンから漏れ入る筋状の光があなたの頬を掠める様を眺めていた。

例えば、9時には家を出て遠くへ行こうよと取り付けた約束を何度も反故にした私をつまらない女だと咎めたことは1度

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