見出し画像

【掌編小説】深夜のラーメン屋の事件簿

深夜0時。
その日、私は国道沿いの24時間営業のラーメン屋にいました。

大型車を何台も停められる大きな駐車場には十台程度。
店内には、十数名の客。
ただ、駐車場と同じく店舗も広いので、なんとなくがらんとしています。

私はこの深夜のラーメン屋の雰囲気が好きです。
ラーメンの注文を伝える声や、チャーハンや餃子を調理する音で、店内はにぎやかなのですが、深夜独特のテンションというか、客たちはみんな、それぞれお互いがお互いの行動を気にすることなく、思い思いに静かに過ごしています。

人がいながらも、お互いが他人に干渉しないで過ごせる空間。
なんだかとても居心地がよく、しょっちゅう好んで来てしまいます。
しょっちゅうラーメン食べてしまっているのには少し問題ありますが。

カウンター席でスマホをいじりながら、誰に気兼ねすることなく食べる背脂たっぷりの豚骨醤油ラーメンは、背徳感も相まって最高です。

普段は好き勝手過ごしては、最後に大量のクラッシュアイスの入った水をクイっと飲み干して店を出るのですが、この日はたまたま、すぐ後ろのテーブル席のカップルらしき男女の会話が耳に入ってきました。

彼氏が明るい声で話しかけています。
「普通のラーメンでいいの?煮卵付ける?それかチャーシュー大盛りにしよか?」

彼女は、彼氏の声に比べ少し遠慮がちに答えます。
「いや、あたしは小盛りでいいよ、こんな時間だし」

2人とも20代半ばくらいでしょうか。
ラフな格好で深夜のラーメン屋に来ているところを見ると、同棲しているか、付き合ってだいぶ長いのかもしれません。

「えー、好きなもん食べたらいいんだよ、金はあるし!」
彼が持っているサイフをひらひら振るジェスチャーをしながら彼女に微笑みかけます。

「宝くじ当たった人は太っ腹だね」
彼女は、苦笑いしながらも嬉しそうに言います。

続けて彼がスッと身をすくめて、気持ち小声で
「あ、それはあんまり大きな声で言ったらダメだよ」

彼の挙動に合わせて彼女も小さく舌を出しながら
「そうだね、誰が聞いてるか分かんないもんね。そうだ、ねぇ、せっかくだし旅行行こうよ!」

「いいね!温泉?高い旅館泊まっちゃおうか!」

宝くじが当たった話と、その当選金で旅行に行く計画の話のようです。
とても楽しそうですが、ただ会話の音量がやや大きいことがちょっと気になります。
普通なら、多少の騒音でとやかく言われるような環境ではないのですが、話の内容が内容だけに、彼氏の言う通り、大きな声で話すことはやめておいた方がいいかもしれません。
他人に干渉しないことを気に入っていたはずの私ですら、申し訳ないけど聞き耳を立ててしまいました。

急に自由に使える大金が手に入ったのだから、本人たちが浮かれるのはわかります。
いくら当選したのでしょうか。
せっかくだから旅行に行きたいということ、旅行といっても海外というわけでもなく、国内の普段は泊まれない高級旅館がいい、というところがなんとも微笑ましい。

自分が当選したら何が欲しいかな。
そんなことを考えながらトイレに立ちます。

個室に入りながら、妄想が続きます。
もし1000万円当たったら。
彼らの言っていたように普段はあまり縁のない高級な旅行を満喫するのもいいかもしれません。到底その旅行だけでは使い切れないだろうから、その次は何に使おうか、でも貯金として残しておくことも大切だ。
…いや、当たってないうちからこんなことを考えてしまうとは。
でも、宝くじってこういう風に考えるだけでも楽しめたりしますよね。

「…うん、…うん、もう準備できてるから。食べ終わって店出たらする。」

個室で妄想していると、電話で話しているような声が聞こえ、誰かがトイレに入ってきます。やや荒々しく力強い声です。

「今注文したところだから、30分後くらいじゃないかな。そうだな、あっという間にニュースになるだろうけど、それはしゃぁない」

ニュースになる?
私は本来、こんな風に聞き耳を立てないのですが、今日は何とも野暮な人間になってしまっています。

「…大丈夫、たぶんうまくいく。取れたらすぐ連絡するよ。ごめん、そろそろだから、もう切る」

何の話でしょうか。
何か切羽詰まっているような感じで電話を切ります。

取れたら?
ニュース?
うまくいく?
電話で彼が話した内容が断片的に思い出されます。

『食べ終わって店出たらする』

この言葉が妙に引っかかりました。
注文したラーメンを食べ終わったあと、彼は何かをする。
そしてそれがニュースになる。
そして「取れたら」というフレーズ。

店内には宝くじが当たって意気揚々としているカップルの姿がよぎります。

まさか襲う気なのか。

カップルたちは確かに大きな声で宝くじが当たったということを話していました。
そして、普段ならあまり興味を示さないような私でさえも、その話に耳をそばだててしまった。ということは、私の他にも、彼らの話に聞き入った人がいてもおかしくはない。
確かに深夜のラーメン屋での強盗事件は、あっという間にニュースになります。

ただ、まさか?と思う気持ちの方が強いのも事実です。
ですが、もし本当に強盗のつもりなら未然に防がなければ。
いや、そもそもあのカップルが、今当選金を持っている可能性なんてないのではないでしょうか?

いや、彼氏はサイフを見せながらチラチラ振っていた。
どれくらいの金額かはわかりませんが少なくともサイフに金はあるのです。
犯人がそう思っても仕方ありません。
これは危険だとしか言いようがない。

とにかく急いでトイレを出ます。
勢いよく出たからか、入り口辺りでトイレに入ろうとしていた店員らしき男性とすれ違った時に驚かせてしまいました。

そそくさと席に戻ると、カップルとその周りをつぶさに観察しました。
キビキビと動く店員、ギョーザの焼ける音と匂い、会計に立つ客、トイレから戻ってくる客、思い思いにラーメンをすする客席の人たち。

いつもの店内ですが、ただ、何かが違います。
心なしか感じる緊張感。
誰もがそれぞれを監視している雰囲気。
よく見ると店員たちは、作業をしながらも客席側をチラチラ見ています。
先ほどまでのおおらかで静かな雰囲気とは異なり、物々しさが漂っていました。

いや、それも気のせいなのでしょう。
たった数分、ほぼ同じ客層で何かが変わるはずもない。
「この中に罪を犯そうとしている者がいる」
私がそう思うだけで、こんなにも感じ方が変わる。
自分自身による身勝手な印象操作を実感しながら、周りの客=容疑者たちとの心理戦を戦い抜くことを決心します。

まず、カップルを襲おうとしているのは誰なのか。
容疑者を絞り込まなければなりません。
手掛かりはあの声しかないのですが、一人客であれば電話でもかかってこない限り声を聴くチャンスもほぼありません。
そもそも単独犯なのだろうか。
一人客だという確証もない、あまりにも情報が不足しています。

そこで気が付きました。
襲う人はわからないが、襲われる人は決まっています。
あのカップルに先に声をかけて注意喚起をしておけば、未然に防げるじゃないか。
ここで自分がカップルに対して動きを見せることによって、犯人は思いとどまるかもしれない。
犯人をつるし上げたり、現場を押さえたりするより、犯罪そのものが起きないようにする方がはるかに平和的解決です。

そう思って席を立ち、カップルに向かって近づきました。
なんて話しかけたらいいんだろう。
「あなたたちは強盗に狙われています」
こんなことをいきなり言うのも気は引けますが、ゆっくり話せばわかってもらえるはず。

「あの・・・」
意を決してカップルに向かって声をかけた瞬間、
私は不意に、腕を掴まれ、後ろに締め上げられ、さらに首を抑えつけられて隣のテーブルの上に押し付けられました。

「あんた、この2人に何をするつもりだ?」
わけがわかりません。
必死に首を動かし声の相手を見ると、店長でした。
普段は明るく丁寧な言葉遣いの笑顔がステキな人ですが、人が変わったように私を睨みつけています。

「え?何をって…私はただ…」
突然制圧されたことで動揺しながら弁明をしようとすると

「あんた!この2人襲うつもりだったんだろ!さっきトイレで電話してたのをうちのスタッフが聞いたんだ!」

「!」

驚きました。なぜそうなったのでしょう。
「それ、私じゃないです!私、その電話の声を聞いたんです!」

とにかく誤解を解かなければ。
必死で潔白を示そうと、苦しい態勢のまま叫びます。
「トイレ入ってたら、電話しながら入ってくる人がいて、その人が相手の人に言ってたんです。店出たらやる!ニュースになるかもって!」

「それをうちの店員が聞いたんだよ。トイレに入ろうとしたら、中から大声で聞こえてきて、その後あんたが飛び出してきたんだとさ」
確かに私がトイレから出た時に店員さんとすれ違いましたが、私の前に犯人が出てきたはずです。
「私の前に先に出た人がいるでしょ!その人です!」

「いや、いませんでした。中で話しているのを聞いていたらあなたが出てきたんです」

店長とは別の声で私の訴えが否定されました。
私を見かけた店員さんなのでしょう。

そんなはずはない。
電話の彼はどこに行ったのか。
その時のことを思い返します。

電話を切った後、彼はトイレを…
そういえば出ていない!
出る時のドアを開ける音を私は聞いていない。
まさか、犯人はまだトイレにいるのか。

「あ、あの、それ、俺です…すみません…」

申し訳なさそうな声が遠くから聞こえてきました。
店長の手の力がわずかに緩み、私は声のする方を見ることができました。

30代くらいの大柄な男性が、困り顔で立っています。
「すみません、俺、小説書いてて…
新人賞に応募しようとして書いてた原稿があって、それをこの店出たらメールで送ろうと思って、そのことをさっきトイレで彼女に電話してたんです」

…と、あっけなく真実が発覚し、私の無実の罪は晴らされました。


私が強盗未遂事件の犯人になってしまったからくりはこうです。

私がトイレに立った後、ほどなくして小説家の彼もトイレに立ちました。
私が個室に入っている時に、彼も入ってきて、洗面所あたりで電話をかけました。

気合の現れだったのでしょう、電話の声は大きく、トイレの出入り口まで近寄ってきていた店員さんの耳にも入り、その内容で、私と同じくカップルを狙った強盗だと思って驚いた店員さんが、トイレに入らずにそこで聞き耳を立てていたとのこと。

私が引っかかった「とれたら」は、賞を「獲れたら」
それが話題になればニュースにもなるでしょう。
そうなれば彼の小説家人生も、きっとうまくいく。
気になったフレーズの言葉の意味が分かるとうなづけます。

小説家の彼は、トイレの中で電話を終えた後、私が入っていない、もう一つの個室へ入ったため、私が個室を出た時にその姿を見ることはなく、

犯罪を未然に防ごうと、慌ててトイレから出た私と、聞き耳を立てていた店員さんが、出入り口ですれ違ったことで、店員さんは電話の声の主が私であると思ったのです。

そして、席に戻った私がいろいろ考えているうちに、店員さんが店長に、トイレ前で聞いた話の内容を報告して、事態を把握した店長たちスタッフが私の動きを注視していたと。

どうりで店員さんたちがこちらをチラチラ見ていたわけです。
ただ、他のお客さんたちはこのことを知らないので、その時の雰囲気が物々しいと感じていたのは私の完全な思い込みのようでしたが。

そして、私が不審な動きでカップルたちに近寄ったのを見て、私の犯行を防ぐためにと、店長が全力で私の身柄の拘束を行い、テーブルに突っ伏す形となりました。

こう聞くと、小説家の彼に見事にはめられた気分です。
そういえば、私が戦々恐々として店内を見回している時にトイレから出てきた人物がいましたが、今思えばそれが彼でした。

店長が私に平謝りして、山盛りのギョーザのサービスをしてくれたりしましたが、店長はむしろ、責任感と勇気ある素晴らしい行動で感動すら覚えましたし、小説家の彼も自分の夢に賭ける熱い思いを口にしただけ。
不用意に当選の話をしたとはいえ、カップルたちも楽しく食事中の会話を楽しんでいただけで、決して悪いわけではありません。
登場人物、誰も悪人がいない、とても平和な事件現場で、私自身は災難にあったとはいえ、心底ホッとしました。

あと、一連の答え合わせが済んだあと、最後になってカップルたちが言いづらそうに話してくれました。
「すみません、こんな騒ぎになっちゃって。
 俺たち、宝くじ当たったのは本当なんですけど、金額、10万円なんです…」
そりゃ、パーっと海外旅行ではなく、国内のちょっといい温泉旅館の話になるわけです。
客たちからドッと笑いが起きましたね。

深夜のラーメン屋。
本来は、自分以外のお客のことなど気にしない個人主義の空間。
店員さんの中でちょっとした有名人扱いになってしまった私は、前よりももっとこの店が好きになって、今日も常連ヅラしてお店に通っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?