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酔って思ったことを連綿と書き残す12「精神病質」

今日は自由に行こう。もう、どうにでもなれ!

とっても大好き太宰さんの桜桃忌に触れて、本日6月19日に結局読んだのは、「人間失格」ではなく、「鴎」でした。
前回の11で「唖の鳥」だなんて随分と気取ってしまったからだ。
巫山戯た表現をしてしまった。恥ずかしい。
因みに今は、声が出ない日もままあるものの、逆に美声の持ち主になった。
その話はまた今度にしよう。

全部、今、一気に言ってしまったら、本当に死んでしまう。
私は、死ぬために、遺書の如く、こうやって書き始めたのだから、ネタは命と同等だ。
誰かのために、いつかは、どこかで、これらの愚説が「ために」なるのかも知れないけど、私は認知はまるで求めていないんだよ。
そんなの、だって、まるで太宰さんみたいじゃないか。
違う。違うと思いたい。
ただ、自分を書くという工程が、とても辛いことなのは分かった。
太宰さんは、多分そんな毎日を18年ほど、やり続けたのだろうね。
そりゃあいくらでも自殺未遂をするし「如是我聞」にだってなるよ。
私はただの一月半で、無茶苦茶に死にたい、死なせてくれ、と神様に頼むほどなのだ。
あの人は、本当は、心が、強かったんだよ。

私の言葉がキザったらしいのは、そもそも、脳内会話が、ずっとそうだからだ。
子供時代からの蓄積、読んでいた本が、そういう文調、ああ……、ああ、もう、止めよう!先に進めない!

本音を言えば、私は本年6月19日に死のう、と本気で思っていた。今朝までは。
でも、文豪ストレイドッグスのシーズン5は、見たい。
少なくともあれが終わるまで死にたくない。
太宰治電子全集だってまだ読み切ってない。「推しの子」だってめちゃくちゃ気になるじゃないか!
莫迦はよせ、と、私は先ほど、明日のお昼ご飯に、前々から食べてみたかった成城石井のビーフンと、大好物であるサラダホウレンソウを3つも購って、あまつさえ、主食の炒り豆も買い占めてきた。
なので、もう大丈夫。例え死んでもあくまで「他意」で終了である。
死ねる薬剤は……ありますね。
捨ててこようかなあ。まあ、明日は休みだし、いいか。辻占いの如くだ。
そして好きに「書いてしまえ!」と、まるで太宰さんの当時の心持ちのように、私は浮かされているのである。
最低だねえ。この先は、読まなくていい。

私は、小学生の頃に太宰作品をちらと読んで好きだったから、こんな可笑しな愚物になったわけではない。太宰作品を読んだから、自殺願望者になったわけでも、なくはない。ただ、太宰さんの影響だけではない。外的要因の方が大きい。
私の自殺願望は、小学2年の頃から明確に始まっている。れっきとした筋金入りだ。

頭がおかしいのは元々の性質のように思う。物心ついた時には、私は既に立派なならずものだったように思う。「さあ、お遊戯して遊びましょう」だなんて、狂気の沙汰だ、ぐらいに思っていた。思っていた、は、嘘だね。直覚、の方が正しい。話が合わなかった。やることなすこと、私はズレていた。確信は高校1年だった。「文系と理系」の記事で書いたような気がするが、もう、駄目だ、社会不適合なんだと、はっきり思った。それは決して、太宰さんのせいじゃない。
そもそも、頭がおかしかっただけだ。

で、大人になっていくにつれ、智識とともに、自殺をさせないためにというか、だって、そんなことしたって、笑われて弄られて終わるだけで、厭だ。まるで意地のようなものだ。プライドだ。俯瞰性が、そうやって自生した。そうして、自分を分析して、認知させていった、ように思う。
元々は、俯瞰性なんて、持っていなかった。根本は、芸術属性だろうと定義している。だから、子供の頃は自由奔放だった。好きに体を傷つけていた。今は、そうしない。

だから、迂闊に自傷するようなことも小4以降はしていない。こないだの夢遊歩行は、あれは、事故だ。そう思いたい(自信は、ない)。
自傷のピークだった小4の終わり頃になると、私はすっかりお酒も煙草も飲んで、逃げ道をちゃんと作っていた。お小遣いは全部それに使っていた。
小3の終わりからから小4の終わりまでの記憶は、前にどこかで書いたと思うが、記憶障害で飛んでいるので、いつから酒を自発的に飲み始めたか、煙草を吸い始めたかは不明瞭。
なのに健康診断の結果は、基本的にAで揃っている。不思議だ。
(たまに、体重が下回って、ダメですよ、となるか、善玉コレステロールが高すぎて引っかかるぐらい)

今となって、Wikipediaの「太宰治と自殺」の記事を読むと、彼が「精神病質」だと診断された話が書かれている。
「頭がおかしい」と自覚した中学時代から、精神病の色んな本を飛ばし読みしていた中で、(私は、元々が速読気味らしい。これは、余談)最も自分にしっくりしたものも、その「サイコパシー」だった。
だって、大嘘つきなのだ。
人を振り回しては、つまんないと思い、人の目を見ては、ゾッとする(これものちのち書きたいが、人の目が本当に怖い。大体が地獄の餓鬼にしか見えない。ああ、また、そうやって、ネタを一つ消す!)

私が、残酷で残念なのは、元々だ。いじめのせいでもなんでもなかった。それも、どこかで書いたと思う。いじめの項の時かな?
もし自分の性質に、誰かの影響があったとすれば、ヒステリックでIQ180で(とはいえ戦後のIQテストの結果なのだから、実際のところは150ぐらいなんじゃないかなあ?)、幼少期は理解の一端も見つけられなかった、今だって理解し得ない、母からの母育かも知れない。
因みに私のIQは至極つまらなく、122らへんであるらしい。ただ、全てにおいて、酔いに触れて遊んでやった、ノルウェーやらドイツやらのMensaのオンラインテストの結果なので、実際のところは分からない。
精神病質者は実はIQが低いという研究がなされたようだけど、自身がさして低くもなく、母が高IQは(そして父が却って低い場合は)、何をどう研究されても、私のことは私が説明せねば、なんて、ね。そこまでは思わない。

サイコパシー・チェックを、私は受けたことはない。
精神科を真面目に受診したこともない。数年前に「これは、適応障害か?」と、かつて子供だった自分が、そういった書籍をあらかた読んだ(そういうものを読む暇があるなら、ちゃんと勉学に励めば良かったのに。これも余談)智識で、流石にこれはやばい(今こそ危ないのに、なぜ受診しようとしないかは、本当に死にたいからに他ならない。狂って仕舞いたいだけだ。莫迦なのは、知ってる)と思って、ちょっとだけ、精神科に行った程度。それも途中でサボったような気がする。どこまでも駄目である。
明日、精神科に行こうかなあと、ちょっとは思ってる。本音は死にたくないし、サイコパシーなら手帳がもらえるんでしょう?
100%、もらえる気がするのだよ。
でも、そんな勲章、もらえても、速攻で燃やすね。

もう随分とグダグダと、つまらない文面を、どうか許して欲しい。今宵だけは。
もう本当に限界に近いのだよ。

Wikipediaさまの精神病質の記事の件に、チェックリストがあったので、個人判断は危険であるというそのお題に沿って、好きに言えばいい、というのが、この記事の本当の主旨だった。因みに、ここまで書くのに、私は400mlのウイスキーを使っている。精神科医は、夜こそ開けていてほしいものだとつくづく思う。
心の相談室は必要ない。

サイコパシー・チェックリスト改訂版 (PCL-R)

1、口達者/表面的な魅力
口達者ではある。誰が何を言われたら喜んで、傷ついて、泣いて、笑うか、理解できるから、私はそうしている。本心は、まるで真逆でも、殊に職場に於いては、人を笑わせて、毒づかせて、感動させて、同意させている。
表面的魅力?それは、イケメンだったりとか、そういう意味なのか?それとも、心持ちに於いての魅力なのか?嘘つきなのだから、後者は幾らでもそうなる。見た目はふつうだと思いたい。「美人と言われ慣れてる」と嘗て友人(男子)に言われたことがある。それは否定しない。だけど、私の知る美人は、もっとすごい。私の職場は美人だらけなのだ。

2、過去におけるサイコパスあるいは類似の診断
知らない。
適応障害を疑って通った時と、前回で言った精神科医突撃事件の処方箋によると、いわゆる鬱病と適応障害と、それぐらい。あとは自己判断だと、サイコパシーと、離人症にもなったことがある。記憶障害は、病理に入るのかな?
あとは子供の頃から不眠症というぐらい。
 
3、自己中心性/自己価値の誇大的な感覚
自分でわかる人がいるのだろうか。ただ、詩人は大体を以って、自分が好きじゃなきゃやらないだろうね。

4、退屈しやすさ/欲求不満耐性の低さ
前者の「退屈」は、今がまさにそれ所以で「死にたい」のだから、言うべきことは何もないよ。後者は、寧ろ逆だ。そんなやつだったら、ここ3年間の食事が「炒り豆」(ダイエットのため)には決してならない。職場でもらう甘菓子の多くは他人に譲り渡しているし、敢えて言うなら、死にたい欲求には逆らえていない。

もう、うんざりしてきた。

5、病的に嘘をついたり人を騙す
私の記事を全部読んでくれ。得意中の得意だ。離婚するために、キューピーのマヨネーズを購うような人間なんだぞ。

6、狡猾さ/正直さの欠如
これは、確か、酒豪先輩の凱旋という自分の記事に、めちゃくそ書いたので、知りたければそれを読むといい。私はそういう人間だよ。

7、良心の呵責あるいは罪悪感の欠如
呵責。ないねえ。6と同じく、あの記事を読めばわかるよ。その他の記事も。刻薄でしかない。
私は、本当は自分をサイコパシーだとは思いたくないのだよ。

8、情緒の深みや感情の欠如
前者は全否定。後者は全肯定したい。ただ、幾ら詩人だったの、音楽やってだのと言っても、本当のところは人をまるで分かっていない気もするから、前者は、ちょっと否定ぐらいがいいかも知れない。だって、他人に媚びたような作品、お前は作っていたか?「あだ花」が、人に理解できる作品だったか?と言われれば、否定しかない。
詰まるところ、どっちも首肯、かも知れない。
感情は、小2の頃に喜怒哀楽の1と4をすっ飛ばして、2、3も元から然程もないから、全肯定で合っている。
親が死んでも泣かないだろうな。

9、無神経/共感の欠如
無神経じゃなかったら、こんなにnoteにわちゃわちゃ書かない。
共感の欠如はない。嘘つきは、他人の共感の奈辺をちゃんと知っている。ああ、違うか。自分が他人に共感しているか、か。本心では、ないかも知れない。相手が何言っても「ふーん」と思いながら、「すごいね!」「わかるなー」と言っているような気がする。
話は違うかも知れないが、以前富士急ハイランドのお化け屋敷に行ったんだけど、なんの感動もなかった。

10、寄生虫的な生活様式
あと13も項目が残っている。死にたくなってきた。
これは、太宰さんのことを言っているね?残念ながら、逆に寄生虫に食われがちだよ。強いて言えば、或る人と数年同棲した時、ものすごく経済的に扶けられたぐらいだ。基本的には自立している。
あれも、そのうちネタにしよう。

11、短気/行動のコントロールの欠如
前者。母がヒステリーだったので反面教師的に真逆に育った。後者。欠如してたら今頃死んでるさ。狂乱時期を除いては、徹底的にコントロールし続けているよ。残念な人間だが、そこまで莫迦じゃないと、思いたい。

12、乱交的な性関係
これこそ、大ネタなのだよ。これも、いつか書かねばならない。最悪だよ。私は、娼婦めいたことをしていたのだからね。10にも関わってくるエピソードだよ。
エッチだなあ。あの頃は、本当に乱れまくっていた。
どこかで書いたが、ポリアモリーでもあるし、実際にやってしまったことはないにしろ、両性愛者でもある。
おっぱいの大きい可愛い女の子のことも、モデル級の女子のことも、本当は書きたいぐらいだ。

13、幼少期からの行動上の問題
これもネタなので、仔細は控えたい。私の家が不和というのは、前回や、どこかでもちらと話したと思うけど、どうしてそうなったか。私のせいだと思う。
これも人の目に晒したらひどく厭がられる案件だ。
でも、いずれ書くと思うよ。
なのでこれは全肯定。

14、現実的で長期的な計画の欠如
そんなもの、あったらちゃんと勉強して、苦学だろうと大学に行って、就職して、真っ当に生きてるさ。

15、衝動性
あったらとっくに死んでるよ。
ああ、でも、このnoteは、衝動的でしかない。しばらくは続けるかも知れない。申し訳ない。noteさん、ごめん。

16、親として無責任な行動
親になったことがないから分からないが、子育ての自信は全くない。反面教師的に、案外上手いのかも知れない。なんとも言えない。

17、数多くの結婚・離婚歴
実質バツ2(戸籍上は1)をどう評価するかだね。不倫に関わったことは、死ぬほど多い。12と合わせれば、当て嵌まるのか。

18、少年時代の非行
子供の頃からお酒飲んで、煙草も飲んでる。ヤンキーじゃなかったのに、ヤンキーと喧嘩もしている。あっちからきたからやっただけだよ。そして、意外と強かった。あっちはシンナー崩れだったもの。

19、保護観察あるいは執行猶予期間の再犯の危険が高い
私は、ただの民草の一隅だよ。捕まったことはない。それらしきこともしていないはず。

20、自分の行動に対する責任を受け入れることができない
嘘つきはちゃんと謝ります。そんな無謀なことしない。

21、多種類の犯罪行為
それは、二次元太宰さんのことを言っているのかな?
ない。
不倫は文化らしいし。

22、薬物やアルコールの乱用が反社会的行動の直接の原因ではない
ああ、やっと最後のお題目だ。やっぱり精神科に行って、自分の病理を訴えるのはよそう。みっともないたらありゃしない。どうせ行ったところで、ここまできたら入院レベルだ。そんなことしてみろ。自己破産だ。どうせ人生が破綻するんなら、死んだ方が手っ取り早い。酒も煙草も取り上げられたらと思うと、寧ろ狂うぞ。
太宰さんも「鴎」で言っていたけど、変なことを起こさないために、アルコールを、いやでも服用している。薬物はやったことない。やってる人は、まじまじと見たことがあるけれど(あれは、人前でやっちゃだめだよ)
薬物やアルコールの乱用が、反社会的行動の直接の原因ではない……
これ、反社会行動をしている前提で、聞いてる?
ひどいなあ。そもそも反社会行動って何を指すのだろう。Wikipediaさまに聞いてこよう。
盗み、暴力、怠学。家出。放浪。虚言。飲酒、喫煙まで入るのか?不純異性交遊……
全部じゃないけど、やってるねえ。
でも、お酒に飲まれてではなさそうかなあ。

結局のところ、サイコパシーなのかどうかは自信がなくなっただけで、ネタが幾つも出てきただけだったな。
まあでも、好き放題言ったのでちょっとスッキリとした。

ついでだから、私の、最も好きな曲「ESCAPE」を引用して終わろう。
この曲の歌詞の由来はエノラ・ゲイ。原爆を投下した飛行機を歌っている。
それに就いても、ネタがある。ただそれは、かなりの嘘を孕んでいるかも知れない。確かな記憶が、他人からもどうにも信用されない、複雑なネタでね。所謂、前世の記憶。
それに就いては、詩作の「廣島」でも書いている。

世の中を知らんうちに、
防空壕知って、
楽しいこと知らんうちに、
全部めげて、

おかんはどこ、おとんはどこ、
悲鳴すら知らのぉて、
私生まれ変わって7才になった。

とはいえ、広島弁はまるで分からなかったので、当時広島に住む詩人に監修をお願いして、それっぽく作った。
それもいずれ、書けたらいいね。それまでに生きていたならね。
本当に、今の私は、危ないと自覚している。
明日が知れぬものとなりつつある。
もし自分が、自分をしかと憐れめるようなものだったなら、もう、そそくさと逝っていただろうと思う。でも、私は極めて俯瞰的で、とても冷静に出来ている。狂乱以外の道筋が、見えないでいる。
合理的な最適解。
二次元の森鴎外さんのその性質が、おそらく私と似ていて、それが故に、自死は理想的か、あるいは光の回折のようでなければならない。そうして自分を追い詰めて、こんな莫迦げたことをしているに過ぎない。そうか。サイコパシーに暴力の側面があるのなら、私は他人にではなく、自分に、暴力を振るっていることになるね。自分のことや嘗ての出来事を書いた紙束で、私の頭をぶっ叩いて、壊そうとしているわけだ。
自滅。
理想的な死?お前は、国木田独歩か!
ほら、またそうやって話が折れてゆく。逃げよう、逃げよう。

実を言えば、これまでの投稿の後半からは、酔って書いたものを、昼間のシャンとした自分が添削し、夜に要らぬことを書き添えて、投下したものばかりだった。
11だけは要らぬ夜の書き添えをしたくなく、朝に添削したものを載せた。
太宰さんの桜桃忌ぐらいはシャンとしたかったのだ。
そして、死のうと思ってた。
なのに、この無駄な連投たるや。
莫迦はどこまでも、莫迦なのだ。救いを求めて輾転としてゆく。「ESCAPE」に戻れ。

SOFT BALLETに就いても、いつかは話しておかないとね。だから、死なないように努力するよ。
因みに、SOFT BALLETのこの動画冒頭で、クルクルと回っている右の人(森岡賢さん)の命日は、6/3です。自死だったようだよ。
逃げろ逃げろ。逃げろ。逃げられるだけ、逃げろ。
そして、名曲だ!





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