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芥川賞受賞作『ハンチバック』

 今年の芥川賞受賞作である『ハンチバック』。ハンチバックとは背骨が弓のように曲がっていることを指す言葉だ。
 読み始めてすぐ、成人向け描写の濃さに驚いた。この作品はタイトルからは想像がつかないほどアダルトな要素が多い。

 作者本人と同じ障害を持つ主人公の釈華は、40代の高齢処女で通信大学生である。 
 私が彼女に感じたのは、圧倒的な諦観と強者感だった。「普通の女のように生きていくことへの諦め」と「実家の太さから醸し出されるあらゆることへの余裕」を持ち合わせている彼女は、文字通り涅槃を生きている。 

 おそらく健常者側に分類される私は、彼女から見える世界の残酷さに何度も息を飲んでしまった。少し涙まで溢してしまったのは、釈華が紙の本を憎んでいると独白するシーン。

  私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、——5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。

 この文章を読んで、紙の本を一人で読めない人がいることや読むのが難しい人が存在すること、そして何より自分は紙の本を読める側の人間であることを思い知らされた。だってハンチバック自体紙の本で読んでいたのだから。    
 何だかやるせない気持ちになって読むのを
辞めたくなったが、最後まで読んでしまった。

 おそらく作者にしか書けないだろうなという一行、“高齢処女重度障害者の書いた意味のないひらがなが画面の向こうの読者の「蜜壺」をひくつかせて小銭が回るエコシステム。”
 重い、重すぎる。
 TL小説家である釈華が女の喘ぎ声をテキストに起こしているこの場面はもう、絶対に作者本人しか書くことができない文章だと思った。それは最近のポリコレや文化盗用のせいでもあるし、何より作者が作者の人生を懸命に歩んでいるからだろう。
 私はその切実さが愛おしいと思ったし、釈華のことを尊敬した。自身をせむしの化け物と自嘲する釈華は、目的の為に手段を選ばない。誰よりも人間だった。

 個人的には、最後の部分(デリヘルのシーン)は要らなかったのではないかと思う。

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