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取り戻せ、わたし

2022ももう終わりますね。
私はあと20日で23歳を迎えます。10年前に思い描いていた23歳の私の姿と今の私はかけ離れていて現実にびっくり、絶望してしまう日々ですが今日も死ねないので生きています。

さて今日のテーマは自分を取り戻す、ということ。

ここ最近私はまた大きなうつの波に負けてしまい。
お酒に頼っては波を自分で大きくして疲弊する、という悪循環に沼っていました。うつ病とお酒の組み合わせ、最悪。

治したい、治りたい、病気と上手く付き合って生きたい。
そう思うなら本当にアルコールとかギャンブルとか、甘い目の前の快楽に溺れてしまうのは悪だと実感しました。

その波から脱出するきっかけになったのは、とあるオープンチャットとの出会いでした。そこで私は心の思うまま指を動かして、幼い頃からの自分の欲望、愛されなかったことでの愛着障害、愛情への飢餓、そしてままならない現実への不安や焦りをつづりました。

そこでとある本当に優しい方がコメントをくださったのです。

「そこにあるのは結果論で、あなたが全部悪いんじゃない」
「実家から出る、環境を変えるのは立派な努力」
「辛い思いをさせる環境や親が悪い」

これらの言葉に、自然に私はボロボロ泣いていました。
そう。

ずっと、ずっと私は誰かにそう言って欲しかったのです。

私は私自身を肯定するのが苦手だから、いつだって私を責めてしまう。
悪いことが起きたとき、それは自分のせいなんだと決めつけてしまう。
いつだって異常なまでに自分を傷つけなければ気が済まない。

うつ病であれ適応障害であれなんであれ、多くの精神疾患に苦しむ方が抱えているそんな思考のゆがみが私にもあります。

だからこそ、こんなふうに第三者の目線から自分の実情を見て大丈夫だよ、あなたのせいじゃないんだよ、よく頑張ったね、と。
やさしく受け入れて貰えることがこんなにも私を救うんだと気づきました。

大切なのはこれが第三者であること。
よく知る友人や知人の言葉ではなかなか立ち直れない経験、ありません?
そうなんです。
それはおそらく、心のどこかで私に気遣っているんだろうなと失礼にも勘ぐってしまうから。ここでも、「私のせい」思考が働いて気を遣わせてしまっているなぁとかえって病むんです。(もちろん、受け入れて貰えること自体は嬉しいですし、支えてくれる周りの人たちには毎日本当に感謝しています。あくまで私の捉え方の問題です。治したいですね。)
そこで第三者の登場は私にまた新たな光をくれました。

全く私を知らない誰かが私の話を聞いてくれて、その上で肯定してくれる。
ネット上の知らない人間にそんな風に接してくれるやさしい人がいる。
その事実に本当に、本当に心の底から救われたんです。
ドロドロ真っ黒な社会に見えて、案外まだ捨てたもんじゃないのかも、と。

ゆっくり、深呼吸して、思い出す。
鮮明に焼きついているのは傷つけられた記憶。
言葉の刃で何度も何度も切り裂かれた心の傷
けれどさらにその奥、もっとゆっくりと呼吸してみる。
そうすると、見えてくるものがあります。

確かに愛された記憶。
友達と過ごした大切で幸せで楽しかった時間。
これまで出逢った優しい人たち。
私のためを思って動いてくれた人たち。

そして、何よりも、自分を信じて自分を肯定していられた頃の私のこと。

まっくろに広がる闇が大きすぎて、それらはいつもは見えなくなってしまっているけれど。ゆっくり、ゆっくり、何度も落ち着いて深呼吸して。
やっと、やっと見えてくる小さい物だけど。
でも確かにそこに、本当の私の心がありました。

いつの間にか、そこにいる小さな私自身を、私が傷つけてしまっていました。何度も何度も、いちばん私を傷つけたのは結局私でした。繰り返し暴力を受けた子どもが怯えるように。震え上がって、臆病になって、苦しくて絶望した私を作り上げてしまったのは、私自身でした。いつの間にか、私は私自身を誰よりも大事にできなくなっていたのです。
ずっとずっと泣いている、悲しくて仕方ない私自身がそこにいました。

ごめんね、と。
今からでも、そのちっぽけな私に手を差し伸べるのはきっと遅くない。
ぎゅうっと抱きしめて。ごめんね、と、今なら言える気がするのです。
それは、第三者にそのちいさな私自身を見つけて貰えたから。
誰かに見つけて貰えたから、私も私自身に気づけたのです。

今まで本当によく頑張ったね。
現状はままならなくて辛いかもしれない。
でも、確かに自分で選んでいつだって努力してきたんだよ。
悪い結果はどうにもならない現実のせいだってこともあるのに。
それを認めてあげられなくてごめんね。
ほんとうにごめんね。

22年間連れ添ってきた私自身にやっと、やっと、言えたのです。

今までずっと傷つけた私のことを、これからは少しずつでも、いちばん大切にしてあげたいなと思います。手を繋いで、一緒に歩いて行く。
何があっても私だけは私を守ってあげる。
小さな私が怖がらなくてすむようになる日は遠いかもしれないけど。
また私自身を傷つけようとするかもしれないけど。

でも、私は今日誓ったのです。
私自身を取り戻せ、と。

私が私を大切にすることが、周りを大切にすることにも繋がる。
よく言われるように、自分を大切に出来ない人は他人を大切に出来ない、という理論です。これは本当にそうなのです。
ODして死にかけたとき、私は私を愛してくれるパートナーを深く傷つけたでしょう。もしかしたら父母にも沢山心配をかけて傷つけているかもしれない。もっと知らないところで、視野の狭い私が誰かに心ない言葉を向けたり、態度を向けたりしていたかもしれない。
そのことに気づいたとき、これこそ私が社会に適合できない理由だと思いました。だって当たり前です。自分を大事にしてくれない人とは誰も一緒に居たくない。そうしてどんどんどんどん、「みんな」と「わたし」の溝が深くなって孤立してしまった。

社会に上手くなじめない、適合できない。
辛くて人と関わるのが怖い、難しい。
そんなふうに思うとき、みなさんも立ち止まってみて欲しい。
自分のこと、大切に出来てるかな?と。
泣いている私の声が、どこかから聞こえてはこないかな?と。
うまく生きられないのは、生きるのがどうしようもなく地獄なのは、あなたが悪いんじゃないんだよ。努力が足りないわけでも、何かが欠けているわけでもないんだよ。ただ、ただ、「そこにいる自分」を大切に出来ていないからなんだよ。と、気づいて欲しいです。

今、ここで生きている私を大事にしてください。
何者からも私を守れるのは私だけなんだと気づいて下さい。

そうしたら、少しだけ道が見えてきたような気がします。

本当に私が好きなもの。
やりたかったこと。やりたいこと。
なりたい私の姿。

いつの間にか失っていた自分自身。
時間はかかるだろうけれど、一歩一歩、手を引いて。
私自身を取り戻す。

同じように辛く苦しいおもいを抱えている、優しい沢山の皆へ。
どうか、どうか。
自分自身を取り戻して。
あなたたちが傷つく必要なんてひとつもないことに気づいて。
死ぬことさえ難しい世界で生きていくために。

そう強く願って、やみません。
そして私自身を救ってくれた、あの人へ。
届くか分からないけれど、最大級の感謝をここに。

私は私と、歩いて行きます。





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